皆さんは万歳をしたことがありますか?
テレビでスポーツ番組を観ている時に優勝したチームが感極まってチームメイト全員が万歳しているシーンを見たことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
きっと皆さんのイメージする万歳も笑顔で両手を挙げ、喜びを表現しているものではないでしょうか。
何故私たち日本人は万歳をするのでしょう。
今回は万歳の由来や意味についてご紹介します。
万歳(ばんざい)の由来、知っていますか?
そもそも「ばんざい」とは何か知っていますか?
辞書で調べてみると、「万歳(ばんざい)。喜びや祝いを表現する動作」などと出てくるかと思います。
日本人にはなじみ深い万歳ですが、海外で万歳している人はあまり見かけませんよね。
ばんざいは日本でどのように広まったのでしょうか。
万歳(ばんざい)は明治時代に広まったとされています。
明治時代と聞くと、文明開化が始まっており、武士が存在していた江戸時代よりも後ですよね。
万歳は江戸時代には無かったのかと驚かれる方もいるのではないでしょうか。
厳密に言えば古代中国から「千秋万歳」という文言は伝わっていました。
「千秋万歳」は長寿を祝う文言で、皇帝にのみ使える言葉だったといいます。
この文言から日本でも万歳という言葉は伝わりましたが、昔は「ばんせー」や「ばんせい」と読まれていたそうです。
これが明治時代の日本で、なぜ「ばんざい」という読み方になったのでしょうか。
実は、明治時代1889年に大日本国憲法が発令された時が起源とされています。
大日本国憲法といえば日本で初めて出来た憲法ですよね。
当時の日本の中枢には英国に続け!追い越せ!というスローガンがありました。
そんな中、日本で初めて出来た憲法を祝うために、英国の皇帝をたたえる言葉であるスリーチアーズのような統一したお祝いの言葉を作ることになったとされています。
ちなみにスリーチアーズは「hip,hip,hurrah!(ヒップ・ヒップ・フレー)」と三回繰り返すお祝いの言葉だそうです。
どのような言葉にすべきか、いろいろと意見はあったようで、当初はお祝い申し上げることという意味の奉賀(ほうが)という言葉も候補に出ていたそうです。
しかし、ほうがと読み続けると「阿呆がー」なんて聞こえるような気がしますよね。
天皇に対して「阿呆が」なんて大問題ですので候補から消えたとされています。
そんな中、中国の皇帝をたたえる万歳が候補に挙がったそうですが「ばんせい」という言い方だと言いづらいという意見が出ました。
そこで「ばんざい」という言い方に変えたそうです。
ここから現代と同じように「ばんざい!」と声をあげて両手を上げる万歳が誕生したといわれています。
言葉の言い方を変えるなんてこともあるのですね。
しかし、「ばんせい」よりも「ばんざい」の方がしっくりくるのも頷けます。
もし皆さんも機会があったら、こんな由来があったななんて思い出しながら万歳をしてみて下さい。
ばんざいに似ているけど…まんざいって何?
まんざいと聞くと皆さんが思い浮かべるのはお笑い芸人が壇上で面白おかしく話しをする漫才ではないでしょうか。
年末年始などの特番で漫才をしているお笑い芸人はとても面白いですよね。
しかし、面白い話をする漫才ではなく万歳(まんざい)と読むまんざいについてはご存知でしょうか?
中国から伝わった「千秋万歳」を略した言い方ともいわれている万歳(まんざい)は長寿や繁栄を祝うという意味があります。
この万歳、実は平安時代から始まったとされている芸能です。
新年に祝いの言葉を述べ、鼓を使い、舞を披露したそうです。
江戸時代に入るとこの万歳(まんざい)も少し変化していきます。
平安時代では新年に祝いの言葉と舞を踊るのみの芸能でしたが、江戸時代では二人一組で新年のお祝いの言葉と共に滑稽な問答で人々を楽しませるものが出てきました。
何だか現代の漫才に通じる物がありますよね。
明治時代に入ると、鼓や三味線で囃し立てる賑やかな物へと変化していきます。
その後、万歳(まんざい)は更なる進化を遂げます。
ところで皆さんは昔の映画と聞くとどのような物を思い浮かべますか?
有名なチャップリンを想像して頂くと分かりやすいのですが、当初は映画を白黒の無音声で上映していました。
その為、映画の解説をする役が必要だったのです。
その解説者を映画の弁士と呼ぶのですが、解説を主流としていますから話しも旨いです。
その映画の弁士が行っていた面白おかしく話しをする漫談というものがありました。
その漫談を昭和初期に現在も有名な吉本興業の宣伝部が現代でもなじみ深い「漫才」と名付け、主に二人一組で行うボケとツッコミの漫才へなっていきました。
まんざいという言葉だけでも古い歴史がありましたね。
漫才の元を辿れば万歳(まんざい)という新年のお祝いの意味もありますから、お正月のテレビ番組が漫才だらけなのも頷けるような気がします。
是非、おめでたいお正月にはまんざいを見て下さいね。
三河万歳って知っていますか?
三河万歳は、主に愛知県の三河地方に伝わる新年を祝う民俗芸能です。
二人一組で行う芸能で国の無形民俗文化財にも指定されていますが、初めて三河万歳という言葉を知った!なんて方も多いのではないでしょうか。
三河万歳の起源は戦国時代といわれ、現在の安城市の祈祷師が徳川将軍家の先祖である松平氏に必勝祈願を行ったことが始まりとされています。
その後、江戸時代に入ると三河の祈祷師たちは新年に三河に縁のある武家や大名家に出かけました。
このあたりから平安時代にも行われていた鼓を使い、舞を踊る「千秋万歳」の形へと変化していきます。
三河の祈祷師たちは屋敷の中に入り、新年の家の繁栄や長寿を祝う言葉を述べた後に中啓という扇を持っている太夫と鼓を持った才蔵が舞を踊ります。
滑稽なやり取りを行った後は祝儀を貰ったそうですよ。
この万歳は祈祷師の出身地にちなんで三河万歳と呼ばれるようになりました。
明治時代に入ると神道の近代国家を目指す政府からの規制で、陰陽道の強かった三河万歳は禁止されました。
その為、神主のような言葉や服装へ変えるなどを行うことで政府から推進されている神道の形へと変化していきました。
尾張万歳って何か知っていますか?
先程、三河万歳についてご紹介しましたが他にも尾張万歳という芸能もあります。
こちらも三河万歳と同じく、国の無形民俗文化財に登録されています。
尾張万歳は賑やかに大勢で演じるとことから庶民の間で愛されてきた芸能です。
江戸時代に尾張万歳は存在していましたが三河出身の徳川家康が三河万歳を保護する動きをみせていたことから、武家の間で尾張万歳が主流となることはありませんでした。
しかし、江戸時代が終わり明治時代に入ると人々は面白い方の尾張万歳を支持し始めます。
尾張万歳も二人一組で太夫と才蔵に分かれて舞を踊りますが厳密に二人というわけではなかったようです。
格式高い三河万歳とは少々異なり、演目によっては舞台芸とし才蔵を2人、4人と加え、三味線や胡弓で華やかに芸を行ったとされています。
このような賑やかさが庶民にも好まれたのですね。
もともとは現在の名古屋の東区矢田町で始まったとされており、それが愛知県内各地に広がっていきました。
尾張万歳は庶民に親しまれていた正月の祝福芸であり、明治時代以降では農閑期の出稼ぎ万歳として東京方面への万歳列車という列車が出るほどの人気だったようです。
正しい万歳三唱はどうやるの?
万歳三唱というと、祝賀会や披露宴などのおめでたい席で行いますよね。
会社などでも大きな契約や目標を達成した時などに万歳三唱を行った!なんて方もいるでしょう。
私は小学校の運動会で万歳三唱をやった記憶がありますから、子供でも出来る簡単なものですよね。
しかし、万歳三唱の正しいやり方、きちんと知っていますか?
まず万歳の音頭を取る司会や幹事が必要ですよね。
そして起立し、音頭を取る人の「御手を拝借」などの掛け声とともに、参加者全員で「ばんざい!」と合わせて言いながら両手を挙げます。
この動作を三回繰り返すと万歳三唱となります。
ちなみに手を挙げる際は腕をしっかりと伸ばし、手の平の向きは外側になるようにして指を揃えるようにしましょう。
その後は全員で拍手を行い、着席の合図が出てから座ります。
手の平の向きなど、少し細かいことはありますがとても簡単です。
是非、正しい万歳三唱で気持ちよく万歳してみて下さいね。
まとめ
今回は万歳についてご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
万歳といっても言い方ひとつで全く意味の異なる文言になることに驚いた方もいることでしょう。
色々と意味はありますが、こうやってルーツや意味を知ると面白いですね。
もしも万歳をする機会がありましたら今回ご紹介したことを思い出してみて下さいね。
正しいやり方で気持ちの良く万歳して下さい。