葵祭といえば、京都の有名なお祭りです。
京都では祇園祭も有名ですが、これは庶民のお祭りといわれています。
対して葵祭は貴族の祭りだといわれています。有名なお祭りなので、何となく知っている気になっていますが、実際に考えてみると、一体どんなところが貴族を感じさせるのか、葵祭はどこの神社のお祭りなのか、知らない人も多いのではないでしょうか。
今回は葵祭の意味やいつから行われているのか、また葵祭の時期についても、解説していきます。
葵祭が貴族の祭りといわれる意味と由来とは
葵祭はもともと賀茂祭、または北の祭りという名前でした。
京都の上賀茂神社と下鴨神社(2つの神社を総称して賀茂神社といいます)のお祭りで、行われるのは毎年5月15日です。現在の葵祭はどのようなお祭りなのでしょうか。
天皇のお使いである勅使が、賀茂神社で祭典を行うことと、賀茂神社までの道のりを行く勅使一行の行列を忠実に再現しているのが現在の葵祭です。
葵祭がいつから行われているかですが、今から1400年以上前の567年、天候不順のために作物が実らなかったために、五穀豊穣を願って始まりました。
もともと賀茂神社と朝廷の行事でしたが、御所から神社までの行列が華やかで素晴らしいので、貴族がこぞって見物に訪れるようになりました。
行列する方も見物する方も両方共貴族だったので、文句なしの貴族のお祭りですね。
平安文学の中では名高い源氏物語の中にも、葵祭に関する場面が描かれています。
以上が葵祭の由来と、貴族の祭りといわれる意味です。
賀茂神社までの行列を、路頭の儀といいます。
動く平安絵巻ともいわれ、これを見るために毎年たくさんの観光客が京都に押し寄せます。
路頭の儀の後、行列が神社に到着した後は、勅使が御祭文を奏上し、御幣物(お祝いの品)を奉納します。これが葵祭では最も重要な儀式で、これが終わると神馬の引き回しや舞の奉納も行われます。
これら神社に到着した後の一連の儀式を社頭の儀といいます。
葵祭の葵の意味!ハート型の葉がかわいい植物だった
賀茂神社のお祭りなのに、なぜ葵祭と呼ばれるようになったのでしょうか。
それは葵という植物が2つの神社とゆかりが深いからです。
上賀茂神社のご祭神から、葵と桂を編んでお祀りすれば、自分(神)に会えるであろうとのお告げがあったために、葵がこの2つの神社のご神紋(人間では家紋)になりました。
葵祭は応仁の乱以降、約200年もの間中断してしまいます。
1694年に祭りが復興したときに、祭りに関するものを葵の葉で飾るようになったために、葵祭という名前で呼ばれるようになりました。
平安時代には祭りといえば、葵祭のことだったので(源氏物語にも葵祭はただ祭り、とだけ表記されています)、特に名前を付けて、他の祭りと区別する必要がなかったのです。
正確には葵だけでなく桂も一緒に飾られます。
葵は二葉葵(通常は双葉葵ですが、上賀茂神社ではこのように表記します)という名で、葉がハート型の多年草です。桂は高さ30mほどに成長する木で、やはり葉がハート型です。
この2種類のハート型の葉を絡ませて、葵桂(あおいかつら)という飾りを作ります。
祭りの当日は、ぜひ葵桂がどこに飾られているのか、注目してくださいね。
路頭の儀、斎王代は主役ではない?
葵祭の行列、路頭の儀はただ漫然と見物していると、あっという間に通り過ぎてしまいます。
見どころをあらかじめ押さえておくと、しっかり見られるでしょう。
天皇のお使い・勅使代の行列は本列、斎王代の行列を斎王代列(または女人列)といいます。
特に斎王は平安時代から、行列の花形でした。現在でも、お供に担がれた腰輿(およよ)という乗り物に乗って登場する姿はひときわ人目をひきつけます。
斎王代は斎王の代理という意味で、本来斎王は未婚の皇族女性が務めました。
天皇の代わりに、神に仕える巫女になるのが斎王の役割で、伊勢神宮に置かれていた斎王にならって、賀茂神社にも斎王がおかれていました。斎王に選ばれると、家族から引き離されて、世間から隔たった生活をしなければならず、大変孤独だったようです。しかも、天皇が交代するとか身内の不幸がなければ都に戻ることは許されませんでした。
だから今でも、斎王と聞くと、どこか寂しげな儚い感じがするのです。
この雰囲気も斎王代人気の一因ではないでしょうか。
葵祭に斎王代が復活したのは、昭和28年のことです。
第2次世界大戦によって、一時中断した祭りが、復興するときに華やかに盛り上がるようにと、斎王代が参加するようになりました。
現在斎王代は毎年、一般市民の未婚女性から選ばれています。
どんな女性が選ばれるのか、毎年注目を集めているそうですよ。斎王代の存在に隠れてしまいがちですが、実は葵祭の主役は天皇のお使いである勅使代です。
そのほかたくさんのお役人が行列に参加していますが、それぞれの役職に伴った衣装がきちんと再現されています。
本当に牛が引いている牛車も登場します。斎王代列の牛車からは、十二単の裾がのぞいています。
これは高貴な女人が乗っている証拠の出衣(いだしぎぬ)を再現したものです。
知らないと見過ごしてしまうような細かなことですが、これも雅な京の文化です。
じっくりと味わってくださいね。
これらの人や乗り物、動物などあらゆるものに葵桂が飾られていて、まさに葵祭を実感できます。
ゆったり進む行列ですが、瞬きする間も惜しくなるほどです。
路頭の儀をじっくり鑑賞するために・社頭の儀の後のお楽しみも
葵祭の行列、路頭の儀の魅力が少しは伝わったでしょうか。
しかし5月の京都で行列をじっとして見物するのは、暑くて大変です。
京都市観光協会では京都御苑と下鴨神社に、有料観覧席を用意していますから、椅子に座ってゆっくりと行列を見ることができます。
下鴨神社では、糺の森(ただすのもり)に有料観覧席が設けられています。
糺の森とは、下鴨神社境内、参道の周りに残された原生林の名前です。約12万4千平方メートルもの面積があり、下鴨神社全域が世界遺産に指定されています。爽やかな木陰で路頭の儀を眺められれば、最高ですね。ただし有料席に座るには、気遣いも必要です。
あまり、行列の到着時間ギリギリになると、身動きができなくなる可能性があります。
時間に余裕を持って(行列通過30~40分前までに)着席するようにしてください。
またたくさんの人が座るために、日傘の使用や喫煙はできません。
フラッシュ撮影は行列に参加している牛や馬を刺激してしまい、思わぬ事故のもとになりかねません。マナーを守って、路頭の儀を鑑賞したいですね。
神社での社頭の儀の終了後、走馬の儀が行われます。
実はこれを楽しみにしている人はとても多いのです。眼の前を馬が疾走する様子は、とても迫力があります。全部で10回ほど馬が走った後は、乗り手が褒美の布をもらい、喜びの舞を舞う姿を見ることもできます。
下鴨神社では無料で見られる走馬の儀ですが、上賀茂神社では有料席に入る必要があります。
神社の馬はどこか神々しく、美しいので、競馬で見る馬とはまた違った魅力があるように思います。
また、葵祭には普通お祭りに付き物の屋台があまり出ていないそうですが、下鴨神社はみたらし団子発祥の地として有名です。お祭りのときは、屋台でいろいろと楽しんでいる人なら葵祭のときにはみたらし団子を食べてみてはいかがでしょうか。下鴨神社門前の加茂みたらし茶屋は有名ですよ。
忘れないで!葵祭を支える人たちのこと
雅で華やかな印象が強い葵祭ですが、実はたくさんの市民やボランティアによって成り立っています。斎王代列に参加するのは、一般から募集された女性たちですし、京都府庁や関西電力からのボランティアが毎年活躍しているそうです。大勢の学生アルバイトの存在も忘れてはいけません。
また、葵祭には葵の葉が欠かせません。
かつて上賀茂神社の境内では、二葉葵が群生していました。しかし環境の変化でその数が激減、葵祭では毎年1万本の葵を使うために、現在では上賀茂神社の葵の森を再生するための活動が行われています。
この葵プロジェクトに賛同する小中学校が中心となり、毎年葵の葉を栽培しています。葵祭は近寄りがたい貴族のお祭りではなく、京都の人たちの熱い地元愛に支えられていることがよくわかります。
何回か中断があっても、その度に乗り越えてきた葵祭をいつまでも守って欲しいですね。そのためにも私たちは、葵祭に出かけて楽しむべきです。
観客が祭りを盛り上げれば、祭りは活性化して後の時代へと続いていくのではないでしょうか。
まとめ
葵祭の意味や時期、見どころについて解説しました。
いつか葵祭を楽しむときの手助けになれば幸いです。何も知らなくても、葵祭は楽しめます。
しかし葵祭の歴史や葵の葉について知っていれば、祭りを見物するときの視線がまた違ったものになるに違いありません。きっと心にも深く残ることでしょう。外で長い間過ごす葵祭ですが、有料席などをうまく利用して快適に楽しんで、よい思い出を作ってくださいね。