あなたを含めて、誰しも1度は「見ざる、言わざる、聞かざる」という言葉は聞いたことがあるでしょう。もしかしたら、「見猿・言わ猿・聞か猿」の三猿も知っているかもしれません。
「見ざる、言わざる、聞かざる」という言葉は、もともとは古代エジプトから始まり、中国を経由して、日本に伝わったとされています。中国から日本に伝わる際には、中国の道教の影響を受けたと言われています。
この記事では、ことわざとしての「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味や由来、さらに文化財としての三猿なども紹介します。
「見ざる、言わざる、聞かざる」とは
「見ざる、言わざる、聞かざる」とは、ことわざの1つです。
たとえ他人の失敗・欠点・悪口などに接したとしても、それを見たり、言ったり、聞いたりしない方がいいという意味がこめられています。
また、「見ざる、言わざる、聞かざる」を象徴した三猿という像も存在します。これは、目をおおった猿・口をおさえた猿・耳をふさいだ猿が、3匹1組になっている像です。それぞれの猿は「見猿・言わ猿・聞か猿」と呼ばれており、三猿と総称されます。
インド独立の父とされるマハトマ・ガンディーは、いつも三猿の像を身につけて、人々に「悪を見るな、悪を聞くな、悪を口にするな」と教えて回りました。
英語の「見ざる、言わざる、聞かざる」の言い方
「見ざる、言わざる、聞かざる」を英語で表現する場合は、「See no evil, hear no evil, speak no evil」と書きます。
「evil」は「邪悪」を意味する英単語なので、他人の失敗・欠点・悪口と同様に捉えて差し支えません。
「見ざる、言わざる、聞かざる」の由来
「見ざる、言わざる、聞かざる」または「見猿・言わ猿・聞か猿」という概念は、古代エジプトから始まり、シルクロードや中国を経由して、日本に伝わってきたと言われています。
古代エジプトを起源とする説には、メンフィス神学の理念「正しくないことは見るな、聞くな、考えるな、口にするな」が元になっているようです。
中国から日本に伝わる際に、どのような形態で伝えられたかについて、いくつかの説が存在します。
論語を由来とする説
論語には「非礼勿視 非礼勿聴 非礼勿言 非礼勿動」という一節が記されています。「礼節に背くことに注目するな、礼節に背くことに耳を傾けるな、礼節に背くことを口にするな、礼節に背くことをおこなうな」という意味です。
上記の一節のように、不見・不聞・不言の教えは、天台宗系の留学僧によって日本に伝えられたとされています。
庚申講(こうしんこう)に由来する説
庚申講とは、道教の言い伝えに基づく行事です。庚申待・庚申会・お日待ちとも言います。日本の民間信仰では、庚申の日に一堂に会し、神仏を祀りながら眠らずに夜を明かします。
道教では、人間の体の中には、三尸虫(さんしちゅう)という虫がいると考えられています。
三尸虫は、60日に1度、庚申の日の夜に、宿主が眠っている間に天へ昇ります。その際、天帝(天の支配神)に、宿主が犯した罪を話します。三尸虫の話す内容によって、宿主の寿命は決まると言われています。
三尸虫が天に昇ることを防ぐためには、庚申の日に眠らない必要があります。そこで、庚申の夜は、人々が集まって酒を飲みかわすようにすることで、眠りに落ちないように協力していました。
庚申は、別名「かのえさる」とも言います。このことから、やがて虫が猿にすり替わり、さらに「見ない・聞かない・天帝に報告しない」ことが災厄の回避につながると考えられるようになったようです。
「見ざる、言わざる、聞かざる」に関する文化財
日本の観光名所には、「見ざる、言わざる、聞かざる」に関する文化財が散見されます。
代表的な文化財をいくつか紹介します。
栃木県の日光東照宮にある「見猿・言わ猿・聞か猿」
栃木県の日光東照宮は、江戸幕府の初代将軍である徳川家康(神号は東照大権現)を祀る寺として建設されたものです。
日光東照宮の浮き彫り細工である三猿は、江戸時代の初期に活躍した彫刻職人の左甚五郎の作品と伝えられています。
日光東照宮の三猿は、それ単体が1つの作品であると認知されていますが、実際は8面の浮き彫りの1つにすぎません。8面すべてに猿の像が彫られており、それぞれ特有の意味がこめられています。
1つ1つの面が連結することで、猿の成長の物語が描かれています。
- 1面……親子の猿が彫られています。親猿は目の上に手をかざして遠くを眺めるような恰好であり、子猿の将来を案じていると言われています。
- 2面……3匹の猿がそれぞれ目・口・耳をふさいでいる姿が彫られています。三猿として広く知られている浮き彫りです。
- 3面……座っている猿の姿が彫られています。この浮き彫りは、独り立ちする前の姿と言われています。
- 4面……天を仰ぐ2匹の猿が彫られています。青い雲も彫られていることから、青雲の志(立身出世して高い地位に就こうという志)を表現しているようです。
- 5面……3匹の猿が彫られていますが、そのうちの1匹は突っ伏しており、もう1匹の猿が慰めるような恰好です。突っ伏した猿は、人生における失敗や挫折を表しているとされます。また、そばに寄り添う別の猿は、不幸にあっても支えてくれる仲間を意味しているようです。
- 6面……2匹の猿が彫られており、何やら物思いにふけっている様子です。これは、魅力的な異性と出会ったことで、猿に恋心が芽生えた姿と言われています。
- 7面……2匹の猿と海の波が彫られています。2匹の猿は夫婦とされており、互いに協力することで、世間の荒波を乗りこえていくことを表しているそうです。
- 8面……お腹が大きく膨れた猿が描かれています。この猿は母猿であり、次の世代を担う子猿を産む役割を担います。そして、また1面から物語が繰り返されます。
埼玉県の秩父神社にある「お元気三猿」
埼玉県の秩父神社の社殿には、3匹の猿が描かれた彫刻が設置されています。
秩父神社の三猿は、「お元気三猿」と呼ばれています。この三猿は「よく見て、よく聞き、よく話せ」という意味がこめられており、日光東照宮の三猿とは真逆です。
三猿は、もともと四猿だった?
中国や台湾などでは、三猿と似たような像として、4匹1組の猿の像が見られます。
1~3番目までの猿は、日本と同様に見猿・言わ猿・聞か猿です。ただし、4番目の猿は、股間を両手で隠しています。
4番目の猿は「せざる(せ猿)」を意味します。これは「浮気しない」ということの暗示であり、「節度の無い欲望は、自身の災いとなる」ということを表しています。
四猿の由来は、論語の「非礼勿視 非礼勿聴 非礼勿言 非礼勿動(礼節に背くことは、見るな・聞くな・言うな・おこなうな」と考えられています。最後の「非礼勿動」が性的な欲望と結び付けられ、せ猿が生まれたようです。
なお、日本で4番目の猿が省かれてしまった理由には諸説あり、「4という数字は死を連想させて不吉であるから」という説や「性的な要素を匂わせる像は好ましくないから」という説があります。
まとめ
ことわざの「見ざる、言わざる、聞かざる」は、「他人の失敗・欠点・悪口に接しても、それを見たり、言ったり、聞いたりしない方がいい」という意味です。
「見ざる、言わざる、聞かざる」は、目をおおった猿・口をおさえた猿・耳をjふさいだ猿を3匹1組として表現されることが多いです。
もともとは古代エジプトから生まれ、中国を経由して日本に伝わってきた文化とされています。中国から伝わる際には、論語あるいは道教の影響を受けたと考えられています。
三猿についての文化財としては、栃木県の日光東照宮にある浮き彫りが有名です。また、埼玉県の秩父神社では、お元気三猿が有名です。お元気三猿には「よく見て、よく聞き、よく話せ」という意味がこめられています。
中国や台湾などでは、三猿と似た文化として、四猿の像が見られます。これは、基本の三猿に加えて、4番目に「股間を両手で隠した猿」が描かれています。この猿は「せざる(せ猿)」を意味するとされ、浮気の暗示であり、節度の無い欲望が災いをもたらすことを表しています。