「万葉集」と聞いて何か思い出しますか?高校の古典の授業で、万葉集について勉強したはずですが、それ以来万葉集とは縁がない生活をしている人が多いでしょう。
平成の次の元号が、史上初めて万葉集を出典とする「令和」となり、万葉集が世間で注目を浴びることになりました。
元号が令和に代わったのは、万葉集を見直すよいきっかけになります。
今回は万葉集について解説します。
万葉集には、昔の人たちの思いがまっすぐにつづられていますから、万葉集を知ることで私たちは古代の人たちとつながることができます。時代や環境が違っても、人の心は同じということを私たちに教えてくれるのが万葉集です。
万葉集の時代と意味!その特徴はダイバーシティ!
万葉集とは、日本に今存在する中では最古の歌集といわれています。
7世紀後半から8世紀後半にかけて和歌を集め、編集が行われました。この頃はまだ平仮名がありませんでしたから、万葉集はすべて漢字で記されています。このことだけでも、いかに時代が古いかがわかりますが、万葉集の特徴は様々な身分、立場の人たちが様々な歌を詠んでいることです。
和歌というと高貴な天皇や貴族たちのものと思いがちですが、万葉集には下級役人や防人(日本を守るための軍人)、大道芸人の歌まで載っています。その数は4500首以上で、昔の様々な人たちの生活や思いを垣間見る貴重な資料にもなっています。
もちろん和歌の原点といわれているため、どの時代でも人々は万葉集を読んできました。今でも古典の授業に万葉集を取り上げるのは当然のことですね。
万葉集という名前は、多くの歌を集めた書物であることに由来しています。
万は数が多いことを意味し、葉は言の葉という意味なので、多くの歌を集めたものという意味になります。
また葉を世の意味と解釈して、万世まで伝えるべき歌集だから万葉集という名前だとする説もあります。
どちらの説もなるほどと納得できますね。
万葉集を読むなら知っておきたい!大伴親子のこと!
多くの和歌を集めた万葉集ですが、誰かが中心になって編纂しなくては歌集になりません。
古い時代のことなので誰が編者なのかは、諸説ありますが、もっとも有力なのは大伴家持が編者だとする説です。
約130年間分の和歌ですから、何人かの手を経て、最終的に家持が20巻に編纂したようです。
この大伴家持の父が大伴旅人といいます。令和という元号は大伴旅人のおかげで生まれました。
万葉集巻五・梅花の歌三十二首は、大伴旅人が主催した梅の花を眺めるための宴で招待客31人と大伴旅人が詠みました。
三十二首の前に序文があり、その中の一文「初春令月、気淑風和(初春のよい月で、気候がよく風も和らいでいる)」が令和という元号の出典です。
この旅人という人物はかなりの酒好きであったようで、こんな歌を残しています。
「中々に 人とあらずは 酒壺に なりてしかも 酒に染みなむ」
これは人間でなければ酒壺になりたかった、という意味です。
そうすれば酒に浸っていられるのに、というわけですが、ここまでいう人物には今でも中々お目にかかれません。
豪快というか率直というか、何だか古代の人たちに親しみが湧いてくるような歌ですね。
歌の数が多く、何を取っ掛かりにしてよいか迷ってしまうのが、万葉集ですが、こんなエピソードから親しみを持って読んでみるのもよいでしょう。万葉集にはほかにも旅人の酒に関する歌が載っていますよ。
現代人には耳が痛い?大伴家持の恋の歌!
旅人の息子、大伴家持はこんな恋の歌を詠んでいます。
「百年に 老い舌出でて よよむとも 我はいとはじ 恋は増すとも」
あなたが年老いて100歳になり、口からは舌が出るほどヨボヨボになっても、私は構いません、という意味の歌です。
それどころか、それほどヨボヨボになっても恋する気持ちは増すと家持はいっています。
現代ではアンチエイジングがもてはやされ、年を取るのを嫌う傾向が強くなっていますが、年を取ることは自然の流れです。
それに永遠に抗い続けることは不可能です。今、家持のこの歌を読んで、それを思い知った人もいるのではないでしょうか。
この歌は恋の歌ではあるけれど、年を取ることに卑屈になることはない、見た目だけを取り繕っていても意味がない、こんな当然のことを教えてくれています。
「常人の 恋ふといふよりは あまりにて 我は死ぬべくなりにたらずや」
この歌は大伴家持が都に住む叔母の大伴坂上郎女(おおともさかのうえのいらつめ)からおくられたものです。
「世の中のみなが話している恋よりも私の方が大変なの。あなたに会えないから寂しくて恋しくて死にそうになっているのよ」と自分の甥に向かっていっています。
これは甥に恋をしているわけではなく、甥に会えなくなり、寂しい気持ちを表していると思われます(このとき家持は越中に赴任中だった)。今どきこんなことをいっていては、家持がマザコンになってしまうのではないかと心配してしまいますが(この叔母さんが亡くなった母親に変わって家持を養育しました)、私たちは家族を愛する気持ちをもっとストレートに表してもよいのかも知れません。
世間の目を意識して暮らすよりも、素直に自分の感情を出せる生活が幸せだとこの歌は私たちに教えてくれているようです。
率直な思いを表す歌で、古代の人に親しみを感じるとともに、何かが学べるのが万葉集のよさだと実感できますね。
ほかにも万葉集はすでに結婚している相手におくった恋の歌などが載っています(額田王と大海人皇子のやり取り)。
昔の人の恋愛事情を知りたい、などという興味本位で読んでも楽しめる懐の深さが万葉集にはあるのです。
万葉集の挽歌!人生の終わりは昔も今も一緒!
万葉集は恋の歌が有名ですが、それだけではありません。
挽歌というジャンルが万葉集には載っています。挽歌は人の死を悼むための歌で、もともと棺を曳くときの歌でした。
恋の歌は力強い生命力を感じさせますが、万葉集では人生の終わりも大切にしています。
挽歌で有名な歌人は柿本人麻呂です。彼は万葉集でもっとも優れた歌人だと評価されているし、決して挽歌だけを作っていたわけではありません。
ただ、人麻呂は2人の妻を亡くしており、その死を悼んで詠んだ歌は、泣血哀慟の歌といわれています。
「玉ほこの 道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ降りつる」
これは人麻呂の歌の1部です。亡くなった妻の面影を求めて彷徨いでたが、道を行く人に妻の面影は認められなかったときの絶望にも似た感情を表しています。
今は身近な人の死に触れる機会がとても減っています。
死は病院という別の世界での出来事になり、私たちから遠いところに存在していますが、生きている以上は誰もが必ず死にます。
人麻呂の歌からは、人は必ず死んでしまい、会うことも触れることも叶わなくなるということが実感できます。
万葉集を読んでいると、いつか必ず死んでしまうからこそ、生きているときの輝きが増すのだとも感じられます。
恋の歌と挽歌、どちらかだけでは不十分です。両方揃っているから、人間です。万葉集はそんなことも私たちに教えてくれます。
万葉集を知りたい人へ!おすすめの方法とは
万葉集に興味が湧いた人は、現代語訳付きの書籍を読むのがおすすめです。
現代語訳に解説まで付いたものを選べば、正確な意味を理解できるでしょう。
現代語訳にはかつての教科書に載っていたのとは違い、現代詩としても通用する(つまり面白い)「超訳」といわれているものがあります。
万葉集を、古典を読むと構えるのではなく、詩集だと思って読んでみると新しい楽しみ方が見つかるのではないでしょうか。
わかりやすさを優先するならマンガになったものもありますので、取り敢えず読んでみてください。
思いの外面白くて、引き込まれるはずです。万葉集には子供向けの書籍も販売されているので、子どもと一緒に楽しむこともできます。
またネット上では万葉集に載っている歌を一首ずつ解説してくれるサイトもあります。
サイトなら、思い立ったらすぐに見ることができますね。初心者向けに丁寧に書かれたサイトもあるので、書籍を購入する前に1度覗いてみるとよいでしょう。まずはお気に入りの一首を見つけると、万葉集の世界に入りやすいですよ。
ちなみに、かつてNHKで万葉集ファン200人にお気に入りの一首を選んでもらったそうですが、見事第1位に輝いたのは、額田王の恋の歌だったそうです。額田王はその人生がマンガにもなっており、多くの人に親しまれている女性です。
機会があれば、彼女の有名な歌をチェックしてみてくださいね。
まとめ
今回は万葉集について解説しました。
万葉集がいつの時代の書物なのか、どんな意味があるのかについて説明しました。
また内容についても説明しましたので、実は万葉集は親しみやすい書物であるとわかってもらえたのではないでしょうか。
古典といっても、一つずつが短い和歌ですから、どこからでも読み始めることができ、少しずつ自分のペースで読み進めることができるのが、万葉集のよいところです。
生と死の両方の姿を垣間見られる万葉集を、家事や仕事の合間に読んでみませんか?誰でもきっと得るものがあるはずです。