日本には昔から伝統として残っている風習がたくさんあります。
その中の1つとして、12月に行われる「すす払い」という行事がある事をご存知でしょうか。
すす払いは平安時代から続けられてきた「年神様」をお迎えするための大事な行事であり、現代でもそれは「大掃除」という名前に変化しつつも、ちゃんと形を変えて残っています。
そんなすす払い、意外にも意味や歴史を知らない方も多いですよね。
こちらでは「すす払い」の意味や毎年注目されている本願寺の「すす払い」の様子について、寺の歴史をご紹介しながら紐解いていきます。
平安時代から伝わった「すす払い」の意味を知りたい!
すす払いという言葉を知っていますか?
最近では「大掃除」と一緒になっている方も多いといわれていますが、実は「すす払い」は12月13日に行われるものです。
一般的に大掃除というと、年末のイメージがありますよね。
実はこのすす払いが始まったのは平安時代とされており、元々は宗教的な儀式だったのです。
とはいえ平安時代にははまだ日にちは決められておらず、宮廷の貴族たちが翌年の豊穣を願うために「年神様」を迎える準備をするために行っていたといわれています。
現代のようにガスがあるわけではなく、火を炊くのも薪や木炭だった時代は、1年経つと台所も真っ黒になっていました。
その家中すすだらけの状態から、「すすを払う」という意味合いで始まったのだとか。
また平安時代にこの「すす払い」の風習が生まれたのは、陰陽五行説という話もあるのです。
有名な安倍晴明の話が残っているのも、実は平安時代です。
陰陽五行上、12月13日は「冬の土用」と呼ばれており、「土」の付く日は「始まりと終わりの間」と信じられていたとか。
つまり旧年と新年の間にあたる13日に、年神様をお迎えする準備をしておくというのが起源だといわれているということなのです。
実際に「すす払い」が民間に伝わったのは江戸時代とされており、江戸城が13日に「すす払い」をしていた為、民間人にも伝わったというのが有力な説です。
「すす払い」は季語としても使われている!?
「すす払い」という言葉は、多くの俳句などに残されています。
すす払いの意味がわかると季語として使われているのも納得できますが、実際に昔の方が季語として使っていたということを知ると歴史の重みを感じますね。
例をあげてみます。
・旅寝して見しやうき世の煤払/松尾芭蕉
有名な松尾芭蕉の俳句にも残されていました。
1687年松尾芭蕉は江戸を立ち、翌年の春まで現在の近畿地方周辺を旅したといわれています。
この俳句は、その1年の中で作られた物の1つです。
芭蕉はこの旅の紀行文を編集している間に江戸に戻ってしまいました。
芭蕉が亡くなって15年経った後、他の者により紀行文などがまとめられます。
刊行された中に掲載されたのがこの俳句だったのです。
芭蕉は1年旅をしていましたが、おそらく12月13日に旅先で「すす払い」をしている所に遭遇したのでしょう。
もしかしたら、あちらこちらですす払いをしていたのかもしれませんね。
作られた俳句がいつの季節を表現しているのかは、「季語」と呼ばれる物を探せばわかります。
松尾芭蕉の俳句を例にあげましたが、他にも小林一茶や正岡子規なども「すす払い」の季語を使った俳句を作っています。
すす払いで有名!意外と知らない本願寺の歴史を紐解く
京都観光の名所である西本願寺と東本願寺。
本願寺と名前に付くこともありますし、2つのお寺は何か関係があるのだろうと推測する方も多いはず。
実は東本願寺という名前のお寺は無く、正式名称は「真宗本廟」といいます。
何故「東本願寺」ではないのでしょう?
その理由ですが、戦国時代に起こった織田信長と武装派の本願寺の僧侶たちの戦いまで話は遡ります。
当時勢力を誇っていた石山本願寺の一派は、天下統一を目指す織田信長と激しい戦いをして負けてしまいます。
この間は10年といいますから、どれだけお互いに信念を持って戦ったのかが伺えます。
敗戦後、本願寺の顕如は信長と和解をし、本願寺を明け渡すことを約束しました。
しかし、この和解案に「待った」をかけたのが、蓮如の長男の教如でした。
彼は本願寺を明け渡すことを拒み、戦闘態勢を貫こうとします。
結局、信長に戦いを挑みますが、もちろん本願寺を明け渡すことになりました。
その本願寺の場所が現在の大阪城です。
時代が変わり、豊臣秀吉が台頭した時に西本願寺を創設することになりましたが、この時すでに顕如は亡くなっていました。
通常であれば長男の顕如が継ぐはずではありますが、信長に戦闘態勢だったことが引っかかった秀吉は3男を西本願寺に置くことにします。
しかし、徳川の時代に教如も土地を持つことが許され、西本願寺からほど近い場所に寺を建てました。
兄弟の寺ということもあり、通称で「東」と呼ばれる様になったのだとか。
これが通称東本願寺、正式名称「「真宗本廟」」が作られた歴史の全容です。
本願寺のすす払いとはどのようなもの?
京都観光の名所としても有名な西本願寺・東本願寺では、上記したように元々は1つでした。
つまり本願寺は「西本願寺」を指します。
本願寺が信長と戦う前、およそ500年前からこの「すす払い」はされていたといいます。
現在も12月20に、両本願寺で「すす払い」はされています。
午前9時頃から門徒や職員など大勢の人たちが、お堂に集まると合掌。
門主だけが大きなほうきを持ち、床を掃いていきます。
そして入口を背にした人たちが1mほどの竹を持って、畳を叩いていくのです。
この時に大きな団扇を持っている門徒が、埃を外に出すために仰ぎます。
これを2回繰り返していくのですが、これは畳の埃を宙に浮かせているのだそうです。
埃が浮いたら、暫く間を空け完全に下に埃が落ちてくるのを待ちます。
大体床に埃が落ちたら、次は濡れ雑巾で拭いていきます。
堂内の埃をほとんど出すことが出来たら、外した障子を元に戻し「御規式」という儀式を開始。
この「御規式」とは給仕をする際にする儀式で、代表とされる方が白い布に「寿」と書いて完了です。
これが「本願寺」のすす払いです。
すす払いに必要な道具には何がある?
本願寺などでは畳のすす払いをするために、割竹を使いバシバシと畳を叩いていました。
実際に自宅ですす払いをする時は、畳ではなく内外の掃除するということになります。
自宅のすすを払うという意味から来ているので、当然神棚などから台所まで綺麗に掃除をしましょう。
現在は掃除も便利なグッズが増えましたし、気軽に掃除をすることが出来るようになりました。
しかし基本的には昔からすす払いに使う道具は決められています。
それは笹竹に葉や藁をつけたもの、または篠竹のほうきなどです。
場所によっては竹の先に和紙を付けた物ですす払いをする所もあるので、一概にこれが正解だとが言えません。
現代ですす払いというとやはり「大掃除」のことを指す場合もありますし、出来るだけ掃除をしやすい物を選ぶのが良いかもしれませんね。
すす払いは掃除だけじゃない!こんな伝統も!?
すす払いは、12月13日に「年神様」のためにすすを払うという意味で始まった行事です。
元々は宗教行事でしたので、しっかりとしきたりや伝統が守られているのにも納得できます。
場所や宗教、考え方などの違いにより「すす払い」もやり方がそれぞれ違うのだとか。
基本的には神棚を掃除するという意味で使われるのですが、その後に違いがあるようです。
こちらでは「すす払い」で掃除以外に、他にも行われている慣習があるのかどうかについてご説明します。
例①
すす払いは神棚を最初に掃除し、次に台所を掃除します。
薪や木炭などで汚れたすすをしっかり取り除いたら、次に自宅の内外の掃除を始めます。
この作業が終わったら入浴して体を清めます。
この時に入る湯を「すす湯」と言ったとか。
その後、すす払いをした神棚にお供え物をし、お供え物を家族で頂きます。
例②
すす払いで使った竹などの掃除道具には、厄が付いているのでお炊き上げをします。
現代ではプラスチックなどの材質が多いので、竹などの材質以外ならお炊き上げは控えましょう。
例③
正月飾りを飾り終わるまで待ち、それらと一緒にどんど焼きにしましょう。
例④
すす払い祝いで「すす払いもち」や団子を食べます。
また「すす払い粥」と呼ばれるものを一家で食べることで清め、年神様を迎える準備をしたそう。
以上のことが見つけられました。
地方や考え方によりすす払いの手法はさまざまであることがわかりましたが、どれもみんな年神様のためだということもわかりましたね。
まとめ
日本古来の伝統行事である「すす払い」についてご説明してきました。
「すす払い」には長い歴史や、宗教的な行事の意味があることがわかりましたね。
平安時代から形を変え、現代にも「大掃除」という形で残っていることもとても神秘的です。
日本の風習には人や神様を思いやり、お迎えする気持ちが込められていることが多いのです。
海外の方からも注目されることの多い日本の良き風習。
この良き風習が、たとえ形を変えたとしても、時代と共に消えていかないようにに現代の人たちで守り抜きたいものです。