最近、ハロウィンは誰でも知っている行事ですが、30年前にはハロウィンはほとんど知られていませんでした。
仮装してお菓子をもらう子どもたちの姿も、一般的になりつつありますが、日本にも昔からハロウィンとよく似た行事がありました。
それは「亥の子」という行事です。
亥の子とは一体何をする行事なのか、そもそも亥の子とはどんな意味があるのか、これから詳しく解説します。
今は秋の行事としてハロウィンが全盛ですが、亥の子のことを理解すれば、きっと亥の子に興味が出てくるはずです。
「亥の子」とはいつのこと?どんな意味?
亥の子の「亥」は、イノシシのことです。
十二支にも登場するイノシシは、旧暦の10月を指します。
亥の子は旧暦10月にある最初の亥の日のことで、この日に行う、「亥の子祭り」や「亥の子祝い」などの行事も意味しています。
現在使われている新暦では、11月の初旬が亥の子祭りになることが多いようです。
イノシシは子どもを一度にたくさん生むため、これにあやかり豊作と子孫繁栄を願ったともいわれています。
またイノシシは摩利支天という神様のお使いで、火災を避けることができると信じられていました。
そのため亥の子にこたつを出すと火事にならないからと、江戸時代には亥の子はこたつを使い始める「こたつ開き」の日でもありました。
古代中国で旧暦10月の亥の日、21時から23時の間(この2時間の間をかつては亥の刻といいました)にさまざまなな穀類を混ぜ込んだ餅を食べる習慣がありました。
その習慣が日本の宮中に伝わり、亥の子の由来となりました。
源氏物語には亥の子餅が登場しますから、亥の子の歴史的古さがわかりますね。
宮中の行事が民間に広がり、旧暦の10月がちょうど稲の収穫後だったために、亥の子祭りは収穫を祝い、子どもたちの健康を願う行事になりました。
以上が亥の子の意味と由来ですが、昔ながらの行事のどこがハロウィンにそっくりなのか、気になりますよね?
ハロウィンにそっくり?「亥の子突き」とは
亥の子の晩にある「亥の子突き」では、夕方に子どもたちが集まり、一晩かけて地区の家々を一軒ずつ周ります。
そのときにみなで歌を歌いながら、亥の子石に付けた縄を四方八方から引っぱり、上下させて地面を突きます(亥の子石には縄が付けられるように、専用の金具が取り付けられています)。
かつての天皇が抵抗勢力を滅ぼした際に、椿の木で作った槌で地面を打ったことが、亥の子突きの由来だと考えられています。
地面を突くことで、邪悪なものをしずめ、土地の神様を励ますことができると考えられていたようです。
歌うのは亥の子のための歌ですが、地方によって色々な歌があって興味深いです。
石を突くときに、リズムが取れた方がよいらしく、数え歌の形式が目立ちます。
また、縁起を担ぐ内容が多いといわれていますが、そうでない場合もあり、本当にさまざまなな歌があることがわかります。
石の重さも軽いもの(約1kg)と、重いもの(約10kg)があり、地方によってだいぶ差があります。
亥の子突きをした子どもたちは、その家から菓子や餅、小遣いをもらいます。
何ももらえないと、子どもたちが悪態をつく歌を歌うことがあるようです。
亥の子を祝わない者は、鬼や蛇のような子どもを生むだの、馬のくそで壁を塗るだの歌の内容はけっこう辛辣です。
石をついた後に地面に穴が開くと、その穴が大きいほど喜ばれたそうですが、現在はコンクリートの場所が増えて穴が開かなくなりました。
そのため、地域によっては石を突かずにこすって亥の子突きをしています。
亥の子突きも時代とともに変化しているのです。
このように亥の子突きの内容は、ハロウィンにそっくりです。
ハロウィンももともとはケルト民族が収穫を祝い、邪悪なものを鎮めるために行った行事です。
亥の子祭りと目的が同じなので、似ているのも納得できます。
夜外に出る、悪態をつく、特別にお菓子や小遣いをもらうなど、亥の子突きは子どもにとって普段はできないことを全てやれる日です。
ストレス解消にはもってこいなので、現代の子どもたちにこそ、亥の子突きは必要なのかもしれません。
私たち大人も、子どもたちが喜んで亥の子突きをする姿を見られたら、 こんな嬉しいことはありませんね。
「亥の子祭り」は全国区じゃない?東日本は「十日夜」!
ところで、亥の子祭りはどこでやっているのでしょうか。
聞いたことがない、という人も多いはずです。
それもそのはず、亥の子祭りが行われているのは西日本が中心だからです。
もともと日本の収穫祝いの行事には「十日夜(とおかんや)」がありました。
旧暦の10月10日に、田の神に供え物をして、子どもたちが藁を束ねて作った藁鉄砲で地面を叩くのが、十日夜という行事です。
地面を叩くことで、地面の中の神様に力を与えるだけでなく、稲にいたずらをするモグラを追い払います。
西日本では新しく中国から入ってきた亥の子と、古くからあった十日夜が結びついたのかもしれません。
かつては都があった関係上、西日本では新しいことが入ってくることが多く、それが民間に取り入れられることも多かったのではないでしょうか。
東日本では亥の子ではなく、十日夜と呼ぶことが多いようですが、畑を荒らすイノシシにおとなしくして欲しいので、イノシシを亥の子さまと呼んで敬っている地域もあります。
西日本の亥の子突きでも、藁鉄砲で地面を叩く地域がありますが、これは十日夜の名残ではないかと思います。
どうやら亥の子と十日夜は切っても切れない関係のようです。
国の外だけでなく中でも、名前は違っても、子どもたちのための行事が行われています。
これはとても興味深いですね。
「亥の子祭り」が新しくなった!「大イノコ祭り」とは
亥の子はそれぞれの地域の中で続いている行事で、大々的な亥の子祭りというものはありませんでした。
しかし、今まではなかった亥の子祭りを作った人たちがいます。
それが広島市の「大イノコ祭りを支える市民の会」のみなさんです。
大イノコ祭りというだけあって、亥の子石も1.5tの重さがあります。
そんな大きな石は人の手では持ち上がりません。
そこで市民の会のみなさんは、こんな装置を考え出したのです。
まず88本の竹を円形に立てて、円の中心に亥の子石を置き、それぞれの竹の先と亥の子石をロープでつなぎ、竹をしならせます。
竹がもとに戻ろうとする力で亥の子石を空中に持ち上げるのです。
この装置はイノコインスタレーション(設置、取り付けなどの意味)『石動』といい、大イノコ祭りのシンボルになっています。
2日にわたって行われる大イノコ祭りでは、大イノコだけでなく、昔ながらの亥の子突きも子どもたちによって行われます。
屋台が出る日もあるそうですから、これからは、毎年大イノコ祭りを楽しみに待つ子どもたちが増えるのではないでしょうか。
亥の子祭りに思い入れのある人が多いからこそ、このような祭りが生まれたわけですが、広島は西日本の中でも比較的亥の子祭りが盛んだったようです。
江戸時代に3度も大火事を経験した広島の人たちは、火の用心を心がけ、防火対策としてこたつは亥の子に使い始めるようにしていました(理由は先程のこたつ開きの箇所を参照してください)。
このことから広島の人たちにとっては、亥の子祭りは身近なものだったのでしょう。
昔からの祭りを何とか子どもたちに残してあげたいと、大人たちが奮闘する姿というのはよいものです。
きっと子どもたちが成長したときに、自分たちもまた、子どもたちに同じことをしてあげたいと思うに違いありません。
これも亥の子祭りなの?「高田亥の子暴れ祭」
少し変わり種になりますが、奈良の桜井市にも亥の子祭りがあります。
「高田亥の子暴れ祭」です。
豊作と子どもたちの成長を願う祭りですが、とにかく子どもたちが暴れます。
祭りのために作られた御仮屋を壊す、用意された膳をひっくり返し、お椀を投げつけるなど、およそ育ちのよい現代の子どもたちは決してしないであろう乱暴を働きます。
この祭りでは、子どもたちが大暴れをするほど、その年は豊作であるといわれています。
しかし、少子化の影響で、祭りに参加する子どもは年々減っているそうです。
少子化以外にも勉強の妨げになることを理由に学校で禁止されたりしたため、亥の子は過去のものになってしまった地域がたくさんあるようです。
しかし亥の子祭りは、完全に姿を消すことはなく、少しずつ形を変えたり、保護されたりして残ってきました。
そして稲の収穫だけでなく、子どもたちの成長を祝ってきました。
私たちにとっては、子どもたちの成長が最も大切です。
稲作だけではなく、ほかのどんなことでも、子どもたちが成長して引き継いでくれなければ、それで終わりになってしまうからです。
子どもたちの成長を願う大人の気持ちが、亥の子祭りを残しているのかもしれません。
まとめ
亥の子祭りは、いつどんな場所で行われるのか、由来とともに解説してきました。
亥の子の意味がわかったら、亥の子祭りに興味が出てきた人もいるのではないでしょうか。
日本人の大切なもの(それは稲であったり、子どもたちであったりします)のための亥の子祭りが、これからも絶えることのないように見守っていきたいです。
日本にも、子どものための「亥の子祭り」があることは、忘れたくないですね。