日本で当たり前の様に定着している節句。
節句というと、すぐに思いつくのは端午の節句と桃の節句ですが、それ以外に3つあることをご存知でしょうか。
実は日本における節句は5つあり、合わせて五節句と呼びます。
節句にはそれぞれ意味があり、祝い方も違うのが特徴です。
一体日本ではいつから五節句が始まったのか、どうしてここまで根付いたのか。
普段はそこまで考えない日本の古き良き行事について、こちらでは歴史的背景を調べながら解説していきます。
五節句の意味を解説
日本の節句は良く知られているところです。
当たり前のように毎年節句をお祝いしている方もいることでしょう。
実は日本には五節句と呼ばれている、5つの節句があるのでご紹介します。
①人日の節句
人日の節句は1月7日に行われる節句です。
この節句を知らないという方は多いことでしょう。
お正月が明けると、七草がゆを食べる習慣がありますよね。
実はこれも、人日の節句に由来しているからなのです。
②上忌の節句
3月3日に行われる通称桃の節句。
女の子のお祝いとして知られていますね。
桃の節句にはお雛様を飾り、女の子の健康や成長を願うとされています。
③端午の節句
5月5日の子どもの日に行われる、通称菖蒲の節句。
男子がいる家庭では鎧兜や鯉のぼりを飾り、健康や成長を祝う日とされています。
④七夕の節句
7月7日の七夕の日をお祝いする節句で、通称笹竹の節句。
織姫様と彦星様が1年に1度会える日として、日本では幼少期から親しまれている行事の1つです。
⑤重陽の節句
9月9日、通称菊の節句。
菊にまつわるお祝いの仕方で、長寿や健康を願います。
これらが日本で伝わっている五節句となり、それぞれ異なったお祝いの仕方などがあります。
五節句の由来を知りたい!
日本に生まれると当たり前のように教わり、幼少期から学校などで自然に行事に参加している五節句。
この五節句の意味を知りながら、行事を行っている方はどれほどいるのでしょうか。
日本の節句の多くは中国から伝わりました。
伝わった年やタイミングはもちろん違いますが、どれも中国と国交をもった奈良時代以降と考えて良いでしょう。
その伝わったものをそのまま節句行事にしたわけではなく、日本人が風土に見合った節句行事へ変化させていきました。
そのため、現在のようなスタイルになっていると言えます。
日本は昔から稲作が盛んで、農作に力を入れて暮らしてきました。
そのため、その年の収穫量は生活していけるかどうかを決める重要なものだったのです。
こちらでは五節句の意味について、順番にご説明していきます。
①人日の節句
元々は中国から伝えられた節句です。
昔中国では1月1日から1日ずつ動物の占いをしていました。
それぞれ占いをしている日は1日その動物の殺傷を禁止され、優しく扱わなければいけないという決まりがあったのです。
その動物は全部で6匹でしたが、最後の7日目に人間を占ったというのです。
人間を占った日はもちろん人間に優しくしなければいけないという決まりがありました。
つまり自分自身の体にも気を使うということですね。
その習慣が日本に伝わり、1月7日は人日の節句と呼ばれるように。
体を労わるという風習などが組みあ合わさり、七草がゆを食べるようになったといいます。
②上忌の節句
もともとその年の豊作を祈るため、田植えの季節に入る3月に人型の人形を流す風習がありました。
また中国から伝わった桃の酒を飲む習慣があり、これが後世に桃の節句と名付けられた由来ではないかと言われています。
桃には邪気を払う力があるとされており、桃の花が定着したと考えられます。
ですが江戸時代には人形を川に流すことを良くないとし、作った人形を飾っておくようになったのかもしれません。
③端午の節句
端午という字を分解して考えると、端という時には「最初」という意味があります。
そして午は干支にもある「午(うま)」のこと。
つまり最初の午の日という意味になります。
端午という日は5月最初の午の日であるということが決められていたのですが、たんごというよみかたに「ご」が付いていることもあり、「5月5日にしよう」と決められたのだといいます。
これは時代にすると奈良時代以降のこと。
奈良時代にはすでに菖蒲を飾る風習が定着しており、江戸時代に入るとこの「菖蒲」という発音が「勝負」や「尚武」になり、武士と紐づけていきました。
鎧兜が飾られるのもこの武士と関係していると考えられます。
④七夕の節句
今でこそ織姫と彦星が出会う日とされていますが、実はこの七夕の日も中国から生まれた節句です。
もともと中国では針仕事が上達する様に願った祭りであり、織姫ことベガ座にお願いをする習慣があったのです。
それが日本に伝わり七夕になるのですが、日本には「タナバタツメ」という伝説がありました。
神聖な織所で選ばれた女性が旗を織り、それを神に捧げるというもの。
その女性をタナバタツメと呼んでいたことが、中国の節句と混ざり合い「七夕」となったというのが有力な説です。
⑤重陽の節句
重陽の節句とは菊の花の節句で9月9日のことを指します。
平安時代には中国から伝わった菊の花をめでる宴を楽しんでいましたが、江戸時代には民衆に広がり節句として親しまれることになったのです。
主に長寿を願い、祈願する節句のことを指します。
五節句と食べ物の深い関係
日本で知られている五節句ですが、食べ物と深い関係があります。
それは節句自体がもともと、農業にまつわる土地に密着した祝い事であったことも理由の1つでしょう。
人日の節句では、セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロなどが関係しています。
これらは青菜ばかりですが、青菜にはビタミンも豊富であり消化を助ける効果もあります。
次に上忌の節句では、桃が深く関係しています。
元々は中国から伝わった桃の酒だと言われていますが、段々と桃が定着した様です。
また女性の貞操を意味する蛤や、ピンク、白などの色見の食べ物が大事にされています。
端午の節句では主に薬草など。
七夕の節句では素麺、重陽の節句ではその時期や年に収穫できる食べ物や農作物を食べる事が一般的です。
このように五節句ではそれぞれ、この時期に食べる物が決められているのが特徴的です。
五節句で食べられている料理をご紹介!
五節句に関係している食べ物は、もちろん料理にしてよく食べられています。
もしもどんなものか知っていれば、次回の時の参考にできますよね。
そこでどの様な料理が一般的なのかをご紹介していきます。
①人日の節句の料理
七草粥です。
それは正月に疲れた胃を休めるという意味合いがあり、七草粥を食べて内臓から疲労を取り除きましょう。
②上忌の節句の料理
桜餅や、蛤のお吸い物、ちらしずし、ひなあられ、菱餅など。
色見の綺麗な物を食卓に並べるのがおすすめです。
③端午の節句
ちまきや柏餅など。
できるだけ力の付きそうなものを用意するのがおすすめです。
④七夕の節句
素麺を食べることが知られています。
⑤重陽の節句
菊のお酒や栗ご飯など、秋に美味しい食材を使った料理など。
この様に五節句には特別に食べる料理があるので、ぜひ節句の意味を考えて大事に食べるのがおすすめです。
五節句を簡単に覚えたい!
五節句の日に限らず、祝日や記念日を覚えておくのは中々難しいもの。
ですが何かの拍子に五節句の話になる場合などは、大人のマナーとして知らないと困りますよね。
そこでいかに簡単に、五節句の日にちを覚えるかがポイントです。
こちらでは五節句の覚え方をご紹介していきましょう。
まず、五節句の月ですが、1年の中の最初から数えた5回分の奇数月です。
つまり1月・3月・5月・7月・9月ですね。
そのうち、1月だけが7日ですが、あとはゾロ目。
つまり月と同じ日にちが並ぶということなのです。
もしも五節句の日に悩んだら、まずは1月7日だけ覚えておき「1月7日で、いいなあ五節句」と続けましょう。
1月だけクリアしたら、あとの4節句は順番に奇数月とゾロ目で決まりです。
これだけ覚えておけば、次に忘れる事はないのでぜひ試してみてくださいね。
まとめ
こちらでは五節句の意味や由来、時代的な背景も含めて解説してきました。
実際に節句自体は中国から伝わったものではありますが、それを日本人が信じるものや伝説、または農業というライフスタイルに合わせて時代と共に変化してきました。
食べ物や飾るものなどは、まさに日本独自のものが多いですね。
奈良時代や平安時代から続く節句は、最初こそ宮中のものでしたが段々と民衆に広がりました。
そのおかげで文明が発達した日本でも、いまだに昔ながらの伝統を大事にする機会が生まれ文化的な日を過ごすことができますね。
今後もぜひ大事にしていきたいところです。