「初午」という言葉を知っているでしょうか?
これは「はつうま」と呼び、日本では昔から祝いごととして定着している日です。
ですが人や住んでいる地域によっては、初午についてご存じない方も多いことでしょう。
初午の日には「お稲荷さん」を食べるとされているのですが、実際どのくらいの方が習慣としているのか気になるところ。
そこでこちらでは、初午がなぜおめでたいのか、どうして初午と呼ばれているのかについてまとめていきます。
初午とは十二支と新暦がくみあわさってできた日
初午という日についてですが、これは十二支の1つの中にある「午」のことなのです。
初午という言葉が耳慣れない方もいることでしょう。
初午とは2月最初の午の日をしめしますが、正確には節分が終わってから最初の午の日を意味します。
そもそも午の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥が十二支ですよね。
その中の7番目が「午」。昔の人はまだ月の日にちを数字で読む習慣がなかったため、この十二支を日にちに当てはめていました。
つまり12日サイクルでものごとを考えていたということです。
12日たったらもう1度「子」に戻り数え始めるわけですから、当然現代の1か月の間に2回から3回ほど1つの干支が回ってきました。
このことから見ると1年の中に「午の日」は35回前後あり、「初」とつくのであれば新年の1回だけあります。
もともとこの十二支の考え方は古代の中国から伝わってきたものだとされているので、以前は旧暦で考えられていました。
ですがそのうち新暦が採用されるようになったため、立春と呼ばれる「新年」の考え方が変わり2月4日前後ということになったのです。
現在の中国も日本やその他の国と違い、2月が新年となっています。
現代は飲食店も営業しそこまで閑散としていませんが、その時期は正月休みをとる方が多いため、ひと昔前までは観光客がいくと店が閉まっていることが多いという話さえあったほど。
これを見るとわかりますがこうして節分を新暦の正月と考えたことで、その後に来る最初の「午の日」を「初午」ということにしたのでしょう。
1年の中で「午」のつく日は5つ!十干十二支の意味
その昔1年は十二支で1サイクルであったとお伝えしました。
ですが実は、「午」の日はただの「午」ではなく名前が付いているのです。
良く職場などで干支を誰かに尋ねると「私は丙午(ひのえうま)だから」と言っているのを聞いたことがありませんか?
他にも「五黄の虎」などが有名です。
これは性格や特徴を表すときに良く使われる言葉で、実際に根拠はありません。
ですがその年に生まれると「パワフル」「頑固」など、イメージが定着している十二支があるのです。
実は1年の中で巡ってくる「午」がつく日は5つ。
庚午(かのえうま)、壬午(みずのえうま)、甲午(きのえうま)、丙午(ひのえうま)、戊午(つちのえうま)がそれにあたります。
これを繰り返していくのです。
この数え方を十干十二支といい、やはり古代中国の陰陽・五行説と大きく関わっているのだとか。
十干十二支とは甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸のこと。
良く契約書の書類や、方角などでも見かける漢字ですよね。
十干十二支は中国の陰陽から作られたもので、光と影という2つで1つという考え方からできました。
例えば植物と動物、光と闇などがそうですね。
その中に「兄と弟」というものがあり、この呼び方が「えと」であったと言われています。
もともとは干支とは12ではなく、「木の幹」を意味する「支」を使った十干と、ただの十二支がくみあわさってできたものなのです。
実はこの組み合わせは60通りもあるとされています。
つまり一巡するのには単純に60日かかるということ。
しかもこれを年計算すると60年。
今年は「丙午だ」などという声を聞くことがあるのは、この十干十二支を年計算にし60年に1度巡る珍しい年だからという意味合いが込められています。
「還暦」をお祝いする理由もここにあります。
十干十二支で考えると60年に1度巡るという十干十二支の考え方は、もう1度生まれ変わる、生き直すなどの意味があるそう。
そこで子供がよく着用しているちゃんちゃんこにもう1度そでを通し、お祝いをするようになったのです。
なぜ「赤」なのかというと、昔は赤が魔よけとされていたからというのが発端です。
初午にお稲荷さんを食べる理由
実は初午の日にはお稲荷さんを食べるのが習わしとなっています。
もともとこの初午を祝うようになったのは、京都。
有名な観光地でもある京都の伏見稲荷に、農業や穀物の神が降臨したという伝説からでした。
実はこの最初に降臨した日が711年の午の日でした。
いつの頃からか降臨した初午の日を、住民たちが祝うようになっていったのです。
正確には「祈願」とも言いますが、その年の五穀豊穣を願ったのでしょう。
初午の日を祝った風習が今でもこの場所一体に残されており、京都の伏見稲荷周辺では初午の際には商店街などで大売り出しなどをして観光客などを呼び込んでいます。
これを「初午詣で」と称しています。
また初午の日には、稲荷ずしを食べる習慣があるのですが、これも伏見稲荷に因んでいます。
良く稲荷神社のことを「おいなりさん」などと、親しみを込めて呼ぶことがありますよね。
実は探すと街のあらゆるところに稲荷神社があるもの。
その入り口に狐の石像などが置いてあるのを見たことあありませんか?
あの狐は動物の狐とは違い、神様の使いである「白狐」であるとされているのです。
この白狐が油揚げが好きだという話があり、いつからか油揚げをお供え物として供えました。
この影響で油揚げの中に酢飯を入れたものを、「おいなりさん」と呼ぶようになったのです。
一説には五穀豊穣の神であった伏見稲荷の神に、白狐の好物である油揚げに米を入れて米俵に見せてお供えしたなどの意味合いもあるとされています。
なぜ神の使いを狐にしたのか?
一体なぜ稲荷神社では、神の使いが狐になったのでしょうか。
京都の伏見稲荷の様に降臨した神を守っている形のお稲荷様であれば話は違いますが、稲荷神社自体にお稲荷様を祀っていることが多くあります。
これは「稲生り」という言葉が語源であるという見方が強く、五穀豊穣を願う神が「御饌津神」と呼ばれていたことでその漢字を「三狐神」に変えたのではないかと言われています。
狐が神として名前が付いたのには理由があります。
もともと日本では狩猟のためにオオカミを使ってきましたが、オオカミは田畑に危害を加える動物などをやっつけてくれる強さがありました。
そのため各地でオオカミを神格化していたのですが、だんだんと日本の街並みや法律が整うにつれどうもうなオオカミが暮らしにくくなってきます。
実は最初にオオカミが神格化したのは、古事記の伝説のころ。
日本武尊を山火事から救ったとのことで、日本では昔からオオカミ信仰が広まっていました。
ですが時代の流れと共に共存していくのが難しくなってきたのです。
そこで山に住み人を襲いにくい狐が、そのポジションにつきました。
狐はもともと山から食べ物を探しに村に降りてきては、畑などを食い荒らすネズミなども食べていたため農民にとってはとても助かる存在へと変わっていったのです。
しかも自分が満足すると山へ帰るという潔さも、狐が良いとされた理由だったのかもしれません。
各地の初午祭りとは?
初午の日前後には、「初午祭り」と名のついたお祭りが各地で開催されています。
もちろん京都の伏見稲荷がその代表ともいえますが、お稲荷さんを祀っているところでは開催するところも多いとか。
これは五穀豊穣や商売繁盛を祈願しているといいます。
やはり京都の伏見稲荷が最初に豊穣の祭りとしたからだと言えますね。
初午の日にはおいなりさんを作って食べたり、お稲荷さんに奉納したりする人も。
もともとおいなりさんはお祭りや奉納のために作られていたのでしょう。
また奈良県では旗雨という風習があり、子供たちがお店を訪れ、のぼりがついたつながった飴をもらいます。
京都と奈良は近いのに、風習にだいぶん違いがあることがわかります。
奈良県の成瀬稲荷神社では、初午の日になると旗飴を配るイベントを行っており毎年多くの人が訪れているのだそうです。
この初午は北関東でも習わしがあり、鮭や野菜、酒粕などを混ぜた「しもつかれ」という料理を食べると言われています。
このように地方で違いはあれど、初午という日を大事にしている場所は多く特別なものとして認識していることがわかりますね。
まとめ
こちらでは初午の日についてご説明してきました。
初午とは新暦で正月にあたる2月に、初めて来る午の日のことです。
その日をどうして祝うようになり、意味があると考える様になったのかはとても奥深いものでした。
このように知らない知識を勉強することは意味のあること。
お稲荷さんの歴史などを学びつつ、日本の良さについて理解がふえると良いですね。