2月の立春を過ぎた頃、やたらとスーパーなどでいなり寿司が売られているのに気が付いた人もいるでしょう。初午の日には、いなり寿司を食べようと、最近は盛んに宣伝されていますが、では初午とは一体何のことなのでしょうか。
今回は初午には、どんな意味や由来があるのか、なぜいなり寿司を食べるのかをお知らせします。
きちんと知っていると、いなり寿司ももっとおいしく感じられます。家族みんなで初午の日を楽しく過ごしてみませんか。
初午の意味!神様が降り立った日が由来!
初午とは1年で最初の午(うま)の日を意味しています。
日本では現在の暦になるまでは、1日ごとに十二支が割り振られていたため、12日に1度は午の日が巡ってきます。
1月にも午の日があるので、そちらがの方が先ですが、旧暦を使っていた頃は、立春で年があらたまると考えられていたので、2月の午の日が最初だといわれています。
京都の伏見稲荷の御祭神が稲荷山に降り立った日は、2月の初午の日でした。これが祭りの由来になり、現在まで続いています。伏見稲荷は日本全国の稲荷社の本社となったために、初午の日の祭も日本全国に広がっていきました。
かつての初午は旧暦の2月だったので、春先の行事でした。祭りは稲作が始まる前に、五穀豊穣や商売繁盛、家内安全までを願うものでした。稲荷神社にまつられている神様は、五穀豊穣だけでなく、幅広いご利益があるので、現在でも各地で稲荷祭が続けられています。
初午だけじゃない!次の午の日にも祭りがある!
初午の次の午の日のことを二の午、その次を三の午(2月の日数の関係上、三の午はないことが多い)といいます。
初午だけでなく、二の午、三の午の両方、またはどちらか一方で祭りを行う場合があります。
東京の王子稲荷神社では初午、二の午、三の午で祭りを行います。このとき縁起物として売られるのが凧です。熱風が火事を大きくすることから、風を切って上がる凧は火事除けとして、人々に喜ばれました。凧もだるまなどと同じで前の年に買ったものを奉納してから、新しい凧を買うそうです。
実は初午と火事は深いつながりがあります。初午が早い年は火事が多いという言い伝えもあり、初午の日に消防団員が家庭を回って、火の用心を呼びかけたり、火の用心の御札を配ったりする地域もあります。現在の初午は1年でもっとも寒く、火事が多くなる季節ですから、この日に火の用心を呼びかけるのは理にかなっていますね。昔から伝えられてきたことを、私たちも伝えるとともに、上手に現代の生活に生かしていけたらよいですね。
歴史がある京都の初午!しるしの杉に大根焚き!
全国の稲荷神社の本社であり、初午の日が生まれた京都の伏見稲荷大社では、毎年「初午大祭」が催されます。
この日にお参りすることは福詣りとも呼ばれ、多くの人々で大変ににぎわいます。このときに、人々が買い求めるのが「しるしの杉」です。かつて稲荷山に参拝した人がしるしとして、杉の小枝を折って持ち帰ったことが由来となっています。これは平安時代から行われているそうですから、歴史を感じますね。現在は御神木の杉を使って作られているので、1年の幸せを祈願するお守りとして、また参拝のしるしとして人気があります。
時間がある人は、伏見稲荷から、神様が最初に降り立った稲荷山まで足を伸ばしてみましょう。これはお山めぐりと呼ばれ、平安時代に清少納言も行ったといわれています。当時の初午の日は、春先だったので清少納言は歩いているうちに暑さを感じ、休憩をしている間に、後から来た中年の婦人に追い抜かれてしまいました。
伏見稲荷から稲荷山まで行って帰ってくるには、2時間ほどかかるそうですから、普段運動不足の人には、なかなか大変な道のりです。清少納言の気持ちが味わえるかもしれませんね。
天台宗の寺院である三千院(こちらも京都にあります)では、初午の前後4日間で初午大根焚き(はつうまだいこんだき)を行っています。
地元・大原で有機栽培された大根に加持をした後、大釜で炊いた「幸せを呼ぶ大根焚き」が無料で振る舞われます。底冷えのする京都の寒さの中で味わう大根焚きは、それだけでも幸せな気分を運んできてくれます。
なぜ?稲荷神社にキツネがいる理由とは
稲荷神社といえばキツネを思い出しますが、キツネは神様ではなく神様のお使いであると考えられてきました。
稲荷神社にまつられているのは、宇迦御霊神(うかのみたまのかみ)という女神です。宇迦には穀物や食べ物という意味があります。名前からして、五穀豊穣をもたらしてくれそうな神様ですね。
食べ物に関係する神様には、御饌津神(みけつかみ)という別名がありました。キツネは昔「ケツ」と呼ばれていたため(現在でも関西ではケツネといいますね)、三狐神の字を当てることがありました。このことからキツネが神様のお使いと考えられるようになりました。
穀物を食べるネズミを獲ってくれることも、人々の間でキツネの人気を高める一因になりました。キツネは稲をネズミから守ってくれる守り神だと考えられたのです。
初午にはコレ!いなり寿司を食べる理由
このキツネの好物とされたのが、油揚げです。神様に願い事があるときは、キツネが取次いでくれると考えた昔の人々は、神様の好物ではなく、キツネの好物である油揚げをお供えしていました。初午の日にはそれが油揚げを使ったいなり寿司に変わりました。家庭でも、この日にいなり寿司を食べると、運気が上がるといわれています。いなり寿司は行楽のお弁当といったイメージがありますが、ぜひ初午の日には家族で食べたいですね。
ちなみに関東のいなり寿司は俵型で、五穀豊穣を願っているといわれていますが、関西では三角形です。これはキツネの耳の形だといわれています。中身の酢飯もそのままだったり、五目の具が混ざっていたりと違いがありますし、きつね寿司、こんこん寿司などと、名前も地方によって違います。各地のいなり寿司について話題にしてもよいですし、ほかの地域の特色を取り入れてみるのも楽しそうですね。
ところで、紛らわしいのが初午いなりの日です。これは2018年に日本記念日協会により認定された新しい記念日で、2月11日に固定されています。いなり寿司について世の中に広く知ってもらい、もっと食べてもらうために作られた記念日で、初午の日とは異なりますから、注意が必要です。毎年同じ日に固定されている記念日は、日にちが覚えやすいというメリットがあります。そのうちに初午いなりの日が有名になるかもしれませんね。
いなり寿司のほかにもある!初午の日のメニューとは
いなり寿司以外にも、初午ならではのメニューがあります。栃木県の郷土料理、しもつかれは荒くおろした大根や人参と、塩引き鮭の頭や大豆、油揚げを大きな釜で煮たものです。酒粕を使うのもしもつかれの特徴です。これは江戸時代の中頃に、乏しい食物の中から初午のごちそうを作るために人々が考え出したメニューだといわれています。
今では栃木の人たちのソウルフードとして、1年中スーパーなどで売られていますが、昔は初午前には作るな、といわれていたそうです。
富山県や群馬県では、初午団子を食べます。初午は蚕の神様をまつる日でもあったために、養蚕の盛んだった地域では団子を作ってお供えしました。
この団子はマユの形をしているのが特徴です。特に群馬県では、醤油をつけるとマユにシミができて不良品になってしまうといって、醤油はつけないという習わしがあります。
京都では、いなり寿司と一緒に畑菜の辛子和えが食べられます。畑菜は京都だけで作られているアブラナ科の伝統野菜で、マグネシウムやビタミンB6などを豊富に含んでいる上に、大根の葉と白菜の中間の食感を持っています。
確かにいなり寿司の横に緑の小鉢があると、見た目にも鮮やかですし、栄養のバランスもよくなるでしょう。畑菜は手に入らなくても、いなり寿司には緑の野菜を添える心遣いをすると喜ばれます。
まとめ
今回は初午の日の意味や由来についてお知らせしました。きちんと知ってみると、いなり寿司も一層おいしく味わえるような気がしますね。家族で、なぜこの日にいなり寿司を食べるのかを、話題にしてみてください。
1年でもっとも寒い時期ですが、家族でいなり寿司を食べれば、しっかり乗り切れることでしょう。いなり寿司以外のメニューも紹介したので、何か1つ取り入れてみるのもよいですね。
また、冬にどうしても増えてしまう火事についても、考えるきっかけにしてください。冬を乗り切り、無事に春を迎えるために、初午の日を上手に生かしていきましょう。