お正月も終わり、寒さの厳しい時期に祝日があるのは、本当にうれしいものです。2月には新しく天皇誕生日という祝日ができましたが、何といっても歴史のある祝日は建国記念の日です。
でも、日本は神話の時代にさかのぼることができるほどの歴史のある国です。
この日は本当に日本の国ができた日なのか、そして一体いつ頃、この日が記念日になったのかを知りたいと思います。
歴史や由来を知ることで、現在祝日になっていることの意味が理解できるし、意味がわかれば、私たちが住む日本という国にもっと愛着が持てるようになるはずです。
2月11日は日本が建てられた日ではない!本当の意味!
建国記念日は世界各国にあります。文字通り国が建てられた日ということですが、その国によって建国の内容に違いがあります。独立記念日である場合(アメリカ)、統一記念日(ドイツ)、革命記念日(フランス)、解放記念日(大韓民国)などがありますが、どの場合もちゃんと歴史的な根拠のある日付が記念日になっています。でも、日本の場合はそのどれにも当てはまりません。
日本は長い歴史があるために、建国された時期がはっきりとはわかりません。
2月11日は日本で初めて天皇が即位した日で、それを記念して明治に入ってから、紀元節という名前の祝日になりました。
2月11日の歴史!由来は紀元節!神武天皇とはどんな人?
日本で初めての天皇は、神武天皇といいます。この人は太陽の神であり、天皇の先祖である天照大御神のひ孫の孫にあたります。
神武天皇は45歳のときに日本統一を思い立ち、九州、中国地方を制覇した後、熊野、奈良で豪族たちと戦い、最後にはもっとも手ごわい長髄彦(ナガスネヒコ)を破り、大和を都にしました。
こうして日本を統一した神武天皇は、紀元前660年の1月1日に即位しました。この日を明治になって暦が変わるときに、現代の暦に換算したのが2月11日だったのです。
建国された時期がはっきりわからなかったために、初代天皇の即位で国が建てられたと考えたのでしょう。
神武天皇が日本を統一した話は、神武東征といわれ、古事記や日本書紀に載せられていますが、これは豪族たちとの戦いに勝利した天皇一族を正当化して、権威を強めるために作られた神話だといわれています。だから2月11日を建国記念日とするには、少し根拠が弱かったのです。神武天皇も日本神話の登場人物とされ、実在したのかをあやしむ声もあります。
実在していたのかあやしい存在の神武天皇ですが、お墓はちゃんと存在しています。奈良県橿原市の畝傍山東北陵(これで、うねびやまのうしとらのすみのみささぎ、と読みます)が江戸時代に神武天皇陵だと認められました。現在も神武天皇の命日とされている4月3日には、各地の神社で神武天皇の遥拝式(遠く離れた場所から神仏を拝むことが遥拝です)が行われています。
廃止された紀元節の復活!いつにすればよいの?
第2次世界大戦が終了した後、紀元節は日本の国家神道を警戒する占領軍によって廃止されました。
紀元節は占領軍にとっては、天皇・皇后を神として崇める危険な宗教活動に見えたのかもしれませんね。
戦後しばらくすると、建国記念日という名前で紀元節を復活させたいと願う人々が出て来ました。しかし、日付をいつにするか、などでなかなか折り合いがつかず、建国記念日は9回も提出と廃案を繰り返しました。
当時建国記念日として、日本国憲法が施行された5月3日、サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日、聖徳太子が十七条の憲法を制定した4月3日などが候補にあがったそうです。
この折り合いをつけるために、名称を建国記念の日にして、いつ建国されたのかにこだわるのではなく、建国されたこと自体を記念する日に解釈を変えました。日付については有識者で作る審議会に意見を求めることにして、それぞれの意見を出した人たちが妥協をしました。
そしてやっと1966年に祝日法が改正され、2月11日が国民の祝日に加えられました。この日の目的は、建国を懐かしみ、国を愛する心を養うことです。
紀元節の復活?政令で日付を定めた理由とは
2月11日という日付が決定する前に、建国記念の日は政令で定める日、と決められました。これで日本の正確な建国の時期がわからなくても、政令で定めた日であればそれでよいことになったのだと思われます。
いつ日本が建国されたのかがわからなくても、現在日本で生活している人たちが、国ができたことをお祝いするのは、とてもよいことだし、大切なことです。今、大抵の人は決まったところに住んでいて、そこから学校に通ったり、仕事に行ったりと生活を営んでいるはずです。安心して1つのところに住んでいられるのは、国が存在しているからです。
普段は国について考える機会はあまりありませんから、このような記念日に自分が住んでいる日本が、どんな国なのか考えて感謝をしたり、改善できる点を探したりすることには大きな意味があります。
2月11日という日付には9人中7人の審議委員が賛成したそうです。政令で定めた日にすると決めたことで、歴史的な事実ではなくても、日本人にとって昔から思い入れのある紀元節の日付を復活させることに成功しました。歴史的な事実ではないために、かえって誰からも反対されにくかったのでしょう。こうして紀元節は名前を変えて復活したのです。
お出かけから家の中まで!記念すべき日の過ごし方
せっかく意味や由来を知ったのですから、ただのお休みではなく、建国を記念する日にふさわしい過ごし方をしたいですね。
現在でも2月11日には、神宮外苑銀杏並木通りから明治神宮の大前まで、奉祝パレードが行われます。東京都内の大学の吹奏楽部、幼稚園から社会人まで、さまざまな年代の人たちによる鼓笛隊やブラスバンドなどが加わり、総勢6千名以上になるパレードはまさに迫力満点で見応えがあります。このパレードには神輿渡御が加わり、建国を祝う気持ちが見る人たちに伝わります。
先程神武天皇陵があると紹介した奈良県橿原市は神武天皇が即位した土地でもあります。これにちなんで橿原神宮では、御祭神が神武天皇です。このため紀元祭はもっとも重要な儀式になっています。現在でも、皇室から勅使が送られてくる本格的な儀式が執り行われ、建国がお祝いされます。
紀元祭に参列するためには、事前に申し込みをする必要がありますが、普段は立ち入れない内拝殿で参拝ができる上に、直会と称するお弁当やまんじゅうがいただけるので、毎年何千人もの人が申し込みをするそうです。
にぎやかなパレードも楽しいですが、基本に立ち返って、厳かな紀元祭を体験するのもすてきな1日になりそうですね。紀元祭に登場する神職の方の衣装を見ているだけで、タイムスリップしたような気持ちになれますよ。
紀元祭は各地の神社で行われていますから、奈良県は遠いという人も、自宅に近い神社を探してみるとよいでしょう。紀元祭には特別限定御朱印がいただける神社が多いようです。
御朱印は、神武天皇がいらっしゃったり、八紘一宇(日本書紀に由来の言葉・全世界の多くの民族を1つの家の家族のようにするという意味)などの言葉が書かれたりして、紀元祭にゆかりがある内容になっています。良い思い出として後から見返すことができますよ。
この他にも日本各地で、建国記念の日にちなんだ記念式典やイベントが催されますから、自宅の近くでお祝いができますね。
せっかくのお休みを自宅でゆっくりと過ごしたいなら、自宅で古事記や日本書紀に親しむのもよいですね。普段はなかなか知る機会がない、神武天皇についてあらためて知ることができるでしょう。
古事記や日本書紀は現代語で書かれたものや漫画になったものもありますから、気軽に読み始めることができます。
今、日本の神話について知らない、わからないという人が増えていますが、これはとても寂しいことですね。古事記や日本書紀で、日本神話の世界に触れれば、新しい発見があるかもしれませんし、自宅にいても心に残る1日になるでしょう。
まとめ
2月11日の歴史や由来を知ってみると、現在祝日になっている意味も理解できましたね。また、なぜ建国記念日ではなく、建国記念の日という名前になったのかも納得できたことでしょう。
今まではただの祝日でも、これからは日本という国について考える貴重な機会になりそうです。
考えるための助けとして、奉祝パレードや紀元祭に出かけてみるのもよいでしょう。また、古事記や日本書紀などに親しむ機会を持つのも、新しい世界を知ることに役に立つはずです。
神話なんて空想の世界だと思う人もいるでしょうが、なぜそんな神話が生まれたのか、そしてそれがなぜ長い間、読みつがれてきたのか(日本神話はつい最近まで、子供向けの絵本にもなっていました)を考えながら読むと、日本の国と日本人について何かがわかるはずです。