小学校の日と聞いても、いまいちピンと来ない方が多いかもしれません。
実は5月21日は日本で初めての小学校開校されたということで、注目された日でもあるのです。小学校は現在の日本では義務教育でもありますし、当然通うものと思っている方も多いかもしれません。
ですがそれまでの日本では経済的な事情もあったり、戦争などの時代的背景も重なり中々思うように子供が勉強をできる環境が整わなかったのが現実。
そこでこちらでは改めて学問をする場所の大切さを知り、小学校について考えていきましょう。
小学校の日ができたのはいつ?
小学校の日と言いますが、これは正確には略されているので「小学校開校の日」と呼ぶのが正しいでしょう。小学校は現在地域のあらゆるところにあり、学区などで行く指定校が分けられていますよね。
今でこそ当たり前に入学する小学校ですが、一体いつできたのが始まりなのでしょうか?
小学校の日は5月21日なのですが、明治2年(1869年)に「下京第十四番組小学校」と「上京第二十七番組小学校」を最初に開校した日であり、これが小学校の始まりです。初めての小学校の場所は、京都でした。
5月21日に対しそこまで思いいれがない人もいますが、おそらく京都のこの地域の方は思い出すこともあるのかもしれません。5月というと端午の節句などもありますので、子供のための月と言っても良いですね。
またこの小学校の日に最初に開校した2校の他、同じ年に62の小学校が創立し合わせて64校の小学校が開校されることになったのです。そういう意味でも、この5月21日の小学校の日は大きな影響を日本に与えており、この日を境に小学校が全国に見直されるようになりました。まさに日本の教育を作り上げてきたといっても良いでしょう。この小学校の日に開校された2校を合わせた64の小学校は、当時番組小学校と呼ばれていたのです。番組というと、今でいうテレビ番組のようなものかと思いますよね。どうしてこの番組小学校ができるまでに至ったのでしょうか?
番組小学校の歴史とは?
小学校の日を考える際に、外せないのが番組小学校の歴史です。
京都にはもともと地域連携のためにも、町組と呼ばれる組が組織されていました。それが明治維新が起こったことで、町組と呼ばれるものが再編成されることにより地域に名称をつけて「番組」と呼ばれるようになったのです。このある一定の地域を番組と呼ぶことで、そこにできた小学校を番組小学校を呼んだのですね。
この町の編成ですが、現在でもご近同士で自治体のようなものがありますが、当時存在していた27前後の町を1番組と数え、計66番組が作られました。この1番組に1小学校を置くことで、まんべんなく子供たちが小学校に通えるようになったということなのです。ただ数が合わないのは、1番組で2小学校という地域が存在したからであり、それ以外はほぼ各番組に小学校ができました。この小学校開校は日本国が小学校を正式に学制として創設する前の話であるため、この番組小学校が小学校の基盤を作り上げたのです。
またこの小学校の建設にはきちんと模範とされる建設の仕方が存在し、好き勝手に小学校を造って良いというものではありませんでした。例えば校舎は2階建てまで、職員室などは2階に置かれ、講堂や算術の教室を置くのが理想とされていたのです。1階部分にあるエントランスに入ったら、男女別の筆道場を左右に造ることまで模範とされました。これはあくまで京都府が出した模範例ではありますが、大概の小学校はこれをもとに設計されたと言われています。学ぶ科目としては4つである、算術・句読・習字・暗読とされていました。
小学校の誕生資金はどうしたの?
小学校の日に京都で初めて小学校が設立されるにあたり、気になるのが資金源です。
これはあくまで京都で発案した問題でもありますし、国から補助がでるわけではありませんよね。実は小学校を造るための資金は、住民が出し合ったのです。住民たちはこれを竈金(かまどきん)といい、家にある竈が何個あるかどうかによりお金を寄付しました。もちろん家に子供がいる家庭だけではなく、全員が出し合ったのです。当時の様子はわかりませんが、当然不服とする意見もあったことでしょう。ですが多くの住民が子供のためにお金を出し合い、教育を受けさせようとしたということで意見がまっとまったと考えられますね。
実は京都の人々がそう思うのには、理由があったと言われています。
江戸時代、京都はそれまで政権を握っていた華やかな時代とは裏腹に、実権を握れず文化的発展を勧められる街となってしまいました。ですが京都の人々は都であった実権のある華やかな街を取り戻すために、必死で努力をしようと考えます。
その1つが教養を身につけることでした。教養を身につければ商人と渡り合えたり、知識のある武士や公家とも正面から交渉ができるとされたのです。そこで江戸時代に学問所と呼ばれる多くの寺小屋が、京都で開かれました。良く時代劇などで「私は京都に医学の勉強をしにいく…」という台詞を聞いたことはありませんか?つまり勉強をするには京都に行く、という方程式が成り立っていたと考えられます。その考え方は時を経た明治維新の後も続き、それらが竈金を出して地元住民たちが子供に教育をさせた理由でもあるのです。地域で子供を育てるという考え方は今もありますが、まさにその模範となることをしたのですね。
ホテルにまでなった番組小学校の現在とは?
番組小学校は京都で数々作られましたが、そのあと学制などにより小学校のあり方も変わってきました。
人々の思いを乗せた番組小学校ですが、現在はどうなっているのでしょうか?
実は最近では合併したり、中学校として存続するなど様々な変化を遂げています。また不思議な事にそんな番組小学校が廃校状態になっているものでも、そのまま取り壊されず残されているものもあるというのです。これは地域住民が竈金を出したことで建てたものだからでは?とも言われており、本当の理由はわかりませんが国の力も及ばないのではないかとさえ噂されているのです。そのくらい京都の住民の思いが、強いということですね。
そんな中で、ホテルに変貌を遂げる番組小学校があることがわかりました。下京第27番組小学校は、時を経て清水小学校に名を変え、多くの子供たちに教育を受けさせました。その小学校がホテルになるというのです。京都は日本でも有数の観光地でありますから、ホテルができることで観光客が増えることも見込めるでしょう。やはり思い出の地がなくなることを、寂しいと感じる方もいますよね。ですが今後もその場所が多くの方に愛される思うと、今までの歴史も活きるかもしれません。
自分の小学校の日を調べてみよう!
小学校の日は確かに5月21日ですが、これは日本に小学校が誕生したという歴史に因んだものでした。ですが今お子さんが通っている小学校でも、当然創立記念日がありますよね。小学校によっては記念品やケーキをもらうことができる場所もあるようで、毎年の子供たちの楽しみとなっていることでしょう。
普段は創立記念日を気にすることも無いかもしれませんが、その地域にどんな思いがあって小学校が造られたのかを考えると、改めて学校教育の大事さがわかるかもしれません。日本は世界の中でも、幼児教育に力をいれている国として知られています。勤勉として知られている日本ですから、より質の良い教育をこどもたちに受けさせるために、地域で協力をしながらぜひ見守っていきたいところですね。今年は自分の小学校の創立記念日を、思い出してみて下さい。小学校に対し、違った見方ができるかもしれません。
まとめ
こちらでは明治2年の小学校が京都で初めて造られた、という歴史についてご紹介してきました。京都の住民は自分たちの教養を身につけさせるため、学校教育に力を入れてきたのです。しかも自分たちで資金を出し合ったというから、驚きですよね。
この小学校ができた5月21日には小学校の日が制定されていますが、この日は京都のためのものと考えず、日本全体の国の教育を考える機会としてみてはいかがでしょうか。
こどもたちの明日は学校機関での生活も関わってくることがありますので、地域の大人たちと連携をしよりよい教育を受けさせる場を作りたいものですね。