『綿柎開』という言葉を聞いたことがありますか?なんて読んだらいいのでしょうか。これは、秋の七十二候の1つです。『わたのはなしらべひらく』と読みます。綿の花と言いますが本当に花が開くわけではありません。どうして綿の花が開くといったのでしょうか?綿花についてご紹介するのと合わせて、この時期の情景や特徴を紹介します。
綿柎開は何て読むの?
『綿柎開』という言葉を知っていますか。聞きなれない言葉ですね。『柎』は普段使わない漢字で何と読んでいいのか難しいですね。これは『わたのはなしべひらく』と読み、72候という日本に古くからある季節の特徴を名称に取り入れる暦で農事暦とも言われる暦の第40番目の候に当たります。
『綿』は、植物としての名前は『わた』で、これを紡いでできたものが『めん』と呼んで区別をしています。ここでは植物の『わた』を指していますね。次に『柎』は、音読みは『ふ』、訓読みは『うてな』『つける』『いかだ』と読み、花のがく、いかだ、付け加えるなど多様な意味がありますが、ここでは花のがくの意味で、がくは花の一番外側で、数個のがく編からできていて、多くは緑色のもののことです。
これらから『わたの花のがくが開き始めるころ』という意味です。綿は、花が咲いた後に子房が膨らみ緑色の実を結ぶのですが、この実についている花のがくが開くと真っ白な『綿花(コットン)』が見られる時期になったというのが『綿柎開』つまり『わたのはなしべひらく』ということです。まさに、この時期の植物の特徴を表した季節名といえますね。
24節気と72候について
明治時代の初め(明治6年、1873年)まで使っていた太陽太陰暦といういわゆる旧暦は、太陽と月の動きをもとに暦を作っており、1か月は月が満ち欠けする期間で決まり、29日と30日で1年が354日でした。閏月で調整はしていましたが、暦と季節感はどうしてもズレができてしまい、このズレを修正するために使われていたのが、24節気と72候です。
24節気は、地球から見た太陽の通り道である太陽黄道を24分割して15度ずつ1つの節気に割り当てていますが、カレンダーにも24節気が書かれているものが多いこととニュースでも暦の上での季節の変わり目である立春、立夏、立秋、立冬などが紹介されることもあり聞いたことがある季節名が多くあるでしょう。これに対して72候は、24節気の1つの節気を3つに分け1つの季節が5日間で、その時々の天候、植物、鳥や虫の様子をそれぞれの季節の名前として付けています。特徴を端的に表しているのですが、馴染みがない、知らない方が多い季節名です。特徴を表している季節名のため漢字で3から4文字でいわゆる漢文の読み下し分のような季節名となっているため字を見ただけでは何と呼んでいいのか悩むようなものも多くある点が原因の一つかもしれません。また、72候が記載されたカレンダーもあまり多くないようです。
『綿柎開』は『わたのはなしべひらく』で、24節気『処暑』の初候、次候は『天地始粛』で『てんちはじめてすずし』、末候が『蒙霧升降』で『ふかききりまとう』です。
『綿柎開』は、日本独自の改良版名称で中国の72候の宣明暦では40候は「鷹乃祭鳥」です。
どんな時期?どうやって乗り切る?処暑との関係は?
『綿柎開』は、一体どんな時期なのでしょうか。72候の40番目で8月23日~27日頃です。この頃になると日中は暑い日が続いているものの朝晩に秋の気配が感じられるようになってきます。夏の虫の中でも涼しい時期に鳴くヒグラシへと立秋過ぎてから変わったのが、さらに秋の虫に変わり始める頃です。
24節気の処暑は、陽気とどまりて、初めて退きやまんとすれば也と江戸時代に暦の解説書として出版された『暦便覧』にあるとおり、暑さが峠を越えて後退し始めるころで、暑さが収まり始めるころという意味です。
日中は真夏のような暑さが続き夏のレジャーも楽しめる時期ですが、そろそろ夏休みも終わりを迎える時期で、気が付くと涼しい風が吹いているという時期でもあります。西洋占星術のおとめ座が始まるのも処暑の日つまり綿柎開からです。
見上げると、突然の夕立を引き起こしていた入道雲から、なんとなく空が高く感じられ、雲の形も薄い筋状の巻雲や小さな綿菓子をたくさん並べたようなうろこ雲(巻積雲)が見られるようになるのが、この時期の特徴で秋の訪れを感じさせられますね。
また、立秋の翌日から『残暑』と言ってきたのも、この時期期ではもう使わなくなり、残暑見舞いも終わりです。これからの季節は初秋、秋とは名ばかりでなど、時候の挨拶も『秋』に変わります。
どうして柎開?綿花とは違う?
『柎開』とはどんな意味でしょうか。綿花は綿の花のことなのでしょうか。綿は、アオイ科の一年草で、もともと熱帯気候の植物なので、温帯の日本では栽培が難しかったようです。平安時代に漂着したインド系の青年が綿の種を持ち込みましたが1年で失敗し、栽培に成功し普及したのは16世紀になってからといわれています。
綿がどのように育つかというと、初夏に種をまき、気温が上がる6月末ぐらいからどんどん成長し、7月から9月にかけてクリーム色の花が咲きます。不思議なことに綿の花は咲いてから時間が経つと少しずつピンク色になり、花がしぼむころには全体がピンク色になってしおれます。花が咲くのはたったの1日で花がしぼんだ後には子房が膨らみ緑色の実がつくのですが、花が咲いて40日から50日くらいするとがくが開いて中から綿花が顔を出します。
『柎開』とは、まさにがくが開いて実がはじけて割れた、そうすると思いもかけずそこからは真っ白な綿花が顔を出しているという状態のことです。ちなみに綿花というのは、綿の花のことではなくふわふわな綿・コットンボールのことを指します。一般に綿花の収穫は9月から11月ぐらいといわていますので、綿花の初物が見られる時期ということですね。
この時期の風物詩を紹介
8月下旬のこの時期には、夏が終わり秋に本格的に入っていく時期のため、季節が変わることに由来するかのような行事があります。有名なのが茨城県の綱火と富士吉田の火祭りです。
綱火といってもピンと来ない方も多いかと思いますが、これは国の重要無形民俗文化財にも指定されているもので、茨城県つくばみらい市に伝わる民俗芸能で綱に仕掛け花火をつけた人形をつけて綱を操ることで人形を動かす人形芝居をし、クライマックスで人形につけた花火が点火し綱を渡ります。戦国時代に通信用として使われたといわれる竹筒に火薬をつめて作る花火という技法を利用していて、小張(おはり)地区の綱火は、愛宕神社の祭礼として行われていて例年8月24日ごろに行われます。
富士吉田の火祭りは諏訪神社の火祭りが起源とされ500年以上の歴史を持つといわれています。北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の秋祭りで、8月26日と27日頃に行われています。これは富士山の夏登山を終わりにするという山じまいのお祭りとして行われていています。夕方に御神輿が奉安されると高さ3メートルの大松明70本程度と家ごとに井桁に積まれた松明一斉に点火されると町中が火に包まれ、お祭りは夜遅くまでにぎわうのです。この日祭りの起源伝説には蛇神を祀ったともいわれており、これは長野の諏訪神社でも諏訪明神は蛇体で現れるとされているところによります。
さて、この時期の食べ物といえばサンマです。この時期期から店頭に新鮮なサンマが並び始めます。脂ののった新鮮なサンマを味わってみたいですね。
また、野菜はナスが旬です。水分をたくさん含んだナスは、体を冷やす効果があり、日中の暑さの残るこの時期には体を中から冷やしてくれ食べ物といえますね。ナスにはビタミンB群や余分な塩分を排出してくれるカリウムそして鉄分が多く含まれるのと同時に、抗酸化作用のある成分が含まれているためとても体に良い食べ物ですね。ぜひ旬の野菜として取り入れてみてはどうでしょうか。
まとめ
- 『綿柎開』は『わたのはなしべひらく』とよみ、綿の実がはじける時期という意味。
- 『綿柎開』は、72候の第40番目で24節気の処暑の初候。
- 時期は例年8月23日~17日頃。
- 残暑見舞いも終わりの時期です。
- 綿の花は7月ごろに咲き1日で萎み、その後綿の実が40日から50日かけて大きくなります。
- 無形民俗文化財の茨城の綱火は人形に竹筒の花火を背負わせた人形が綱を移動する火祭り。
- 富士吉田の火祭りは、夏の富士山の山じまいからきている、豪快な火祭り。
『綿柎開』は『わたのはなしべひらく』は、まだ暑さが残る時期にほっこりとした綿花がはじけ始める時期です。季節の変化を目で見て取れるようになるにはまだ時間がかかりそうですが、綿の実がはじけるのは季節が進んでいくことが感じられる自然の変化ですね。