今は週休二日制が一般的ですね。
それでも、もっと休みが増えればよいのにと思っている人は多いのではないでしょうか。
週休二日制が根付いたのはここ30年ほどのことです。
そのもっと前、江戸時代から第2次世界大戦が終わるまでは、商家などでは多くの人たちが朝昼を問わず休みなしで働き続けていました。
そんな人たちの楽しみだったのが「十王詣」です。
十王詣とは何なのか、いつ行うのか、どんな由来があるのかを解説していきます。
十王詣は現代の私たちにもきっと必要な行事ですよ。
「十王詣」とはどんなもの?いつ行う?閻魔大王の役割とは
昔、商家などで働く奉公人たちの休日は年に2回しかありませんでした。
それが1月16日と7月16日です。
1月は正月、7月はお盆で忙しいけれど、奉公先での行事が全て終わった後で、実家に帰って家族とともに少し遅れて正月やお盆を過ごそう、ということでした。
毎月16日というのは、閻魔大王の縁日が立つ日で、特に1月16日を初閻魔(はつえんま)、7月16日を大賽日(だいさいにち)といって地獄も休みになるといわれていました。
地獄に堕ちた死者を責め苛むのが仕事の獄卒も、初閻魔や大賽日には仕事を休むため、死者たちもホッと一息つけました。
だから人間も休みましょう、というわけで閻魔大王を祀っている寺院には、盛大に縁日が立ち、休みをもらった奉公人たちで大盛況になりました。
縁日が立つだけでなく、十王図や地獄変相図を拝む人、閻魔堂に参詣する人もいましたから、閻魔大王の縁日に行くことをまとめて「十王詣」といいました。
いつ十王詣をするかによって、読み方が違ったようで、1月は「じゅうおうまいり」、7月は「じゅうおうもうで」と読んだようです。
閻魔大王の縁日と聞いて、意外に思う人もいるかもしれませんね。
閻魔大王は、嘘をつくと舌を抜く怖い存在として知られていますが、日本の仏教では地蔵菩薩の化身として、祀っている寺院も多いのです。
閻魔大王は死者のための裁判官としての役割があります。
死者のためにちゃんと法廷があり、生前の行いを全て映し出すスクリーン(浄玻璃の鏡)が備えられているそうです。
証拠映像がありますから、死者は言い逃れできないのでしょう。
「十王」は、死者のための裁判官チーム!「十王図」や「地獄変相図」の役割は?
閻魔大王はなぜ死者のための裁判官となったのか、それにはこんな由来があります。
閻魔大王は、もとは人間で初めての死者になりました。
何しろ前例がありませんから、大変苦労して死者の進むべき道を見つけ出し、死者の国(極楽)の王になりました。
その後、多くの人間が死にましたが、中には極楽に行くのがふさわしくない人もいました。
そこで閻魔大王は自分で死者を裁き、その行く先を決めるようになったのです。
裁判官は閻魔大王を含む10人の王で構成されています。
人が死ぬと7日毎に、10人の王がそれぞれ裁判を行いますが、閻魔大王は最も重要な裁判を担当します。
それが地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道のうち、その人がどこに生まれ変わるのかを決める裁判です。
この10人の王による裁判の様子を描いたのが、十王図です。
十王図には、厳しく取り調べをする王と、引き出された死者の様子が描かれていることが多いようです。
そして裁判の後に地獄に落とされ、責め苦にあう死者の様子を描いたのが地獄変相図です。
どちらの図も見ることで、悪いことをするとこんな目に会うのだと戒め、正しい信仰を教えたのだと思われます。
色々と難しい話を聞くよりも、絵で見るならひと目で理解できますから、十王図や地獄変相図には、どんな立場の人にも、わかってもらえるというメリットがありますね。
たとえ地獄に堕ちるような人であっても、遺族など現世に残っている人が、心を込めて供養すると同時に、よい行いをして徳を積めば、死者は地獄の責め苦から開放されると考えられてきました。
十王図や地獄変相図を見た人々は、自分の大切な人が、死後苦しまないように、心を込めて供養をしようという気持ちを強くしたのです。
昔の日本人にとっては、死後極楽に行けるかどうかはとても気になることでしたが、十王図や地獄変相図を見ること自体が、現代のテレビや映画と同じくらいの刺激的な娯楽だったに違いありません。
また家族や友人に頼らずに、自分で罪を軽くしておくために行うのが閻魔堂に参詣する「閻魔参り」でした。
誰でもいつかは閻魔大王との対面を経験するわけですから、初閻魔や大賽日に閻魔堂に参詣に出かけたときには、あらかじめよろしくお願いします、とお参りをしていたのです。
1838年に出版された「東都歳時記」には、閻魔参りを行うために、閻魔大王を祀っている寺院が60程も紹介されています。
それだけ閻魔参りは人気があったことがわかりますね。
今では残っていない寺院もあるようですが、それでも現代版閻魔参りとして44の寺院を紹介した出版社があります。
下町タイムスという会社が1989年に「江戸東京の閻魔様四十四カ所を歩く」という絵地図(?)を出版しています。
今では手に入れることができないようですが、これを参考にして色々な人がネット上に44の寺院を紹介しています。
数は減ってしまいましたが、それでも東京都内には、ずいぶんと大勢の閻魔大王がいることに、感心します。
閻魔参りをするとともに、それぞれの閻魔大王を見比べるのも楽しいかもしれません。
今はハイテクな、喋る閻魔大王までいらっしゃいます(深川えんま堂・法乗院)。
現代でも閻魔大王はずいぶんと人気が高いようですが、それにはどんな理由があるのでしょう。
「十王詣」人気の秘密は、閻魔大王の優しさにある?
閻魔大王の像は、たいてい真っ赤な顔をしています。
これぞ憤怒の形相と思っていましたが、顔が赤いのには、ちゃんとした理由がありました。
閻魔大王は死者を裁き、地獄に落とすという罪を背負って、彼自身も罰を受けているのです。
その罰は1日に3回、ドロドロに溶けるまで熱せられた銅を飲まされるというものです。
銅を飲んだ閻魔大王の体内は焼けただれ、痛みで苦しみぬくといいます。
閻魔大王の像の顔は、銅を飲んだことによる熱さと苦しさが表れたために、あのような表情をしているのです。
人間は罪を償うことで新たな世界に生まれ変われます。
だから死者を地獄に落とすのであって、決して閻魔大王の意地悪や嫌がらせではありません。
それでも、人を裁くということにはこれほどの罪が課せられるのです。
閻魔大王がなぜあんな顔をしているのかがわかると、怖い存在ではないのがわかります。
閻魔大王は自分の苦しみを厭わずに、死者に罪を償わせて、新たな生まれ変わりをさせてくれる、すなわち死者を救ってくれる優しい存在なのです。
実際死後の6つの世界(六道)を周って、死者を救ってくれることから閻魔大王は地蔵菩薩の化身といわれるようになりました。
初閻魔や大賽日に、十王詣に出かける人が多かったのは、たまたま奉公人の休みと重なっていたから、というのもありますが、実は優しい閻魔大王や十王の人気が高かったからかもしれません。
閻魔大王の好物はこんにゃく!庶民的で親しみを感じる!
実は優しかった閻魔大王ですが、もっと親しみが持てる逸話があります。
閻魔大王にも好物があるというのです。
それはこんにゃくです。
こんにゃくには裏も表もないというのが理由らしいです。
江戸時代には目を悪くした老婆が閻魔大王に21日間祈ったところ、閻魔大王が老婆に自分の片目を与えました。
感謝した老婆は、以来自分の好物だったこんにゃくを食べずに閻魔大王に供え続けたということです。
この閻魔大王は東京都文京区の源覚寺に祀られています。
こちらの閻魔大王像は右目と左目の色が違っています。
絵馬に描かれているのも、片目の閻魔大王で、今でも「こんにゃくえんま」と呼ばれ、人々に親しまれています。
たまの休みに十王詣に行くのですから、閻魔大王や十王がそれほど恐ろしかったら、足が向かないのではないでしょうか。
閻魔大王は優しい、ということをわかりやすく伝えるのが、このこんにゃくの話だと思います。
普通頼まれたからといって、自分の片目は差し出しません。
ましてや報酬はこんにゃくです。
大体の人間は割に合わない…、と思ってしまうのではないでしょうか。
あの怖そうな見た目で、これほどに優しいところに昔の人は参ってしまったのでしょうか。
いつの時代にも、見た目と中身のギャップがある人は、人気が高いのかもしれません。
まとめ
今回は働き者だった昔の人の大切な楽しみ、「十王詣」についていつ行うのか、どんな由来があるのか解説してきました。
閻魔大王についても、印象が変わったのではないでしょうか。
現在は、働く人たちの休みが増え、娯楽も色々とできたので、もう十王詣は過去のものと思う人もいるかもしれません。
しかし現在の私たちにとっても、十王詣はとても大切なことです。
人は気付かない内に、誰かを傷つけてしまうこともあります。
いつの間にか罪を背負っているかもしれないのです。
その罪をリセットして、死ぬその日まで気持ちよく過ごすために十王詣はピッタリです。
だから、元気なときから閻魔大王と仲良くしておきませんか。
ついでに十王図や地獄変相図を見て、いずれくるそのときの予行演習をしておくのもよいですね。
十王詣は現代の終活に匹敵する行事なのかもしれません。