「初閻魔」と聞いてピンとくる人はそう多くないと思います。
しかし気が付かないだけで私たち日本人の生活に昔から根付いている行事です。
今回はその「初閻魔」についてその意味や由来など知れば大変興味深い事柄に関して詳しく解説します。
読めば「そうだったのか!」と思われること間違いありません。
閻魔とは
閻魔とは皆さんよくご存じのあの地獄の万人である「閻魔様」の事です。
名前はよく知られていますがその実体について理解している方はあまりいないのではないでしょうか。
そこでまずこの閻魔様について説明します。
閻魔とは古代衣インド・アーリア語に属する言語サンスクリット語及びパーリ語の「ヤマ」の音訳で仏教やヒンズー教などにおける地獄・冥界の主とされています。
インドのヤマは後になり仏教に取り入れられ「閻魔天」となり、地獄の主と位置づけられるようになりました。
さらに中国に伝えられると道教における冥界である泰山地獄の主である泰山府君とともに冥界の王とされました。
そこでは閻魔王、閻羅王とも呼ばれることになります。
やがて泰山王とともに人が死ぬと裁く役割を担い信仰を集めるようになりました。
閻魔が身に着けている道服(中国の道教の道士が着る服)はこの頃から身に着けるようになったそうです。
同じ仏教であっても浄土真宗では亡くなると直ちに極楽浄土に往生するとされるので地獄に落ちるという発想はありません。
地獄には閻魔を含む十王が存在しています。
人が亡くなると七日ごとに「法要」」と言う名目で亡くなった方の冥福を祈りますがこれは十王が初七日から七日ごとに裁くことから由来しています。
十王とその役割
秦広王
初七日の裁き 本地(本来の姿)不動明王不殺生、不偸盗戒、不邪淫戒、不毛語戒、不飲酒戒の仏経五戒に反していたかについて審理し、その死者がわたるべき三途の川場所を決める。
初江王
二七日 本地 釈迦如来泰広王の審理の結果や三途の川の亡者懸衣翁などからの報告を元に、主に盗みに関しての審理を行う。
宋帝王
三七日 本地 文殊菩薩性に関する罪の審理を行い、正しくない性におぼれたもの、か弱い女性をだましたものなどに裁きが下されます。
五官王
四七日 本地 普賢菩薩人が持つ五官が原因となる悪業や罪を審理対象とし、特に厳しいものが妄言(嘘)の詮議である。
閻魔王
五七日 本地 地蔵菩薩生前の行いをすべて移す浄玻璃(じょうはり)の鏡を持ち、そばには補佐官である司録と司命が控えている。
それまでの裁きの結果から死者が天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の六道のうちどこに生まれ変わるかを決定する本地である地蔵菩薩は地獄と浄土を往来できるとされています。
変成王
六七日 本地 弥勒菩薩六道のどれかに分けられた死者が、その中でどんな場所に生まれ変わるかの審理を行う。
泰山王
七七日 本地 薬師如来生まれ変わる姿、その寿命などが決定される。
平等王
百ヶ日 本地 観音菩薩死後百日目の裁きで以降の審理は再審となり、一種の救済措置となる。
遺族がしっかりと供養を行えば、悪しき道に堕ちたものも救済され、善道に行ったものは更に徳を努めるようになっている。
都市王
一周忌 本地 勢至菩薩喪が明けたとされる。
ありがたい経文が入っているとされる光明箱を悪業の深いものが開けると業火に焼かれるという。
五道転輪王
三回忌 本地阿弥陀如来死後三年目の裁きを行うがそれは地獄の責め苦が行われているすぐそばでなされる。
十王の中で何故閻魔だけが注目されるようになった理由は本地仏との対応が鎌倉時代になされ閻魔が六道を決定する裁きを行うことになったことではないかと考えられます。
死後であっても裁きいかんでは人間界や天上に行けるわけですから、必然的に強い信仰の対象となることは自然の成り行きと言えます。
閻魔の本地は地蔵菩薩とされていますが、これは偽経「地蔵菩薩発心因縁十王経」の登場で閻魔大王の本当の姿はお地蔵様であるという信仰が生まれたことにあります。
地蔵信仰はインドに起こり、中国を経て日本にもたらさたもので平安時代には生まれていました。
地蔵は地獄におちて苦しみにあう死者を地獄の入り口で救済すると信じられており、地獄の入口を村境にあてはめ「境の神」の信仰と結びついたと考えられています。
境の神とは異郷と接する地点に祀る神で、境は未知の世界と接するところとして最も危険な場所と意識されていました。
その為境の内側を守るためには祀られる神も恐ろしい威力をもつものである必要から六道を決定する力を持つ閻魔と結びついたと思われます。
そこから生前に境の神として自分たちの日々の暮らしをつぶさに見ているお地蔵様を拝み、信仰することで死後地獄での閻魔様の裁きに温情が加えられると信じられるようになりました。
またお地蔵さまは日本の民間信仰では道祖神としての性格を持つとともに「子供の守り神」として信じられています。
初閻魔とは
初閻魔とは旧暦の一月十六日と七月十六日の閻魔賽日(地獄の釜の蓋が開く)のうちその年の始めに行われるものをそう呼んでいます。
一月十五日は「小正月」と言われ、元日を大正月というのに対して呼んだ名です。
年神様や先祖を迎える行事を行う大正月に対して、小正月は家庭的な行事を行う日とされていました。
小正月の翌日十六日が「藪入り」となっています。
藪入りとは商家に嫁いだお嫁さんが結婚後初めて生家へ帰ったり、働く丁稚や女中さんがいくばくかのお小遣いをもらい、そのお金でお土産を買って実家へ帰る習慣のことです。
この藪入りの期間は地獄の邏卒達もさすがにその仕事を休むだろうという事で、その間に閻魔様に詣でようと始まったのが「初閻魔」で一年で最初の縁日となっています。
大斎日(だいさいにち)とも呼ばれています。
この大斎日と言う表現は文化年間(1804~1818年)頃に記された「秋田紀麗」に「一月十六日と七月十六日は大斎日とて、地獄の釜もひらくと云ひ」という記載が見られることからもそれより以前から初閻魔・大斎日が祝われてきたことが分かります。
また縁日が盛んになったのは江戸時代であるという説があることから江戸初期には存在していたと推測できます。
初閻魔で知られる各地の寺院をご紹介します。
東京 深川えんま堂(法乗院)
日本最大の閻魔像で知られており、毎日一日、十六日と十二月三十一日~一月十六日にご開帳されます。
京都 長円寺
初閻魔は正月一日~三日 八時から二十時まで観音堂で御朱印が戴けます。
夜閻魔があり申込制となっています。
大椿山六道皇寺
一月十二日~十六日 初ゑんま詣
大分県中津市 円龍寺
閻魔像の隣に三途の川の番人である奪衣婆の像が安置してあります。
縁日について
縁日と言うと神社仏閣の祭礼の際参道にたくさんの出店が並び多くの参拝客で賑わうことで知られています。
正式には「特定の神仏に縁を結ぶ日」であり降誕・請願など、それぞれの神仏に縁のある日を選び祭祀や供養が行われることとあります。
この日に参拝すると普段以上の功徳を得ることができると信じられています。
現代でも各地で縁日が開催されていますがその中で主な縁日と執り行われている寺社をご紹介します。
観音様
毎月十八日
- 東京浅草寺
- 京都清水寺
鎌倉長谷観音お地蔵様
毎月二十四日
- 巣鴨とげぬき地蔵
- 大阪八尾寺
京都壬生寺お不動様
毎月二十八日
- 成田不動尊
- 高畑不動尊
東京五色不動尊お大師様
毎月二十一日
- 東京西新井大師
- 神奈川川崎大師
- 京都東寺
- 御室仁和寺
まとめ
初閻魔について意味や由来などをできるだけ分かりやすくまとめて解説しました。
おそらく初めて知る内容ばかりではないでしょうか。
初詣は多くの方が参拝しますが初閻魔に参拝する習慣がある方はそう多くないと思います。
仏教の伝来とも深く結びついているためその始まりは定かではなく鎌倉時代とされているようですが実際に初閻魔として参拝の対象になったのは江戸時代に入ってからのようです。
こうした民間信仰や庶民文化が発達したのは殆どが江戸時代で、そこには時代の安定という背景があったと考えられます。
一番の驚きは何故十王が仏との対応がなされ、その中で何故地蔵菩薩と閻魔が同一視されるようになったかという事です。
おそらくは地蔵菩薩がお地蔵さまとして親しまれ身近な信仰の対象となっていたことではないでしょうか。
そこには地獄に落ちた死者であっても地獄での救済はあり、その為には生前に多くの功徳を積んでおかなくてはならないということ、さらには残されたものは七日ごとに亡くなった人の冥福を祈願することで死者も救済されるという、日々の過ごし方を示す教えのように思われます。
現代では路傍にお地蔵様を見かけることはありませんが各地にお堂がありその中に鎮座されているのを見かけることがあります。
その時には是非手を合わせ日々の行いを振り返ってみるのもいいのではないでしょうか。