時代劇や落語が好きな人なら、藪入りという言葉を知っているかも知れませんね。
江戸時代から第2次世界大戦の前までよく使われましたが、日本人の働き方と家族について考えさせられる言葉です。
今知らない人が多いからといって、決して藪入りが絶えてしまったわけではなく、今でも身近に感じる機会があるのです。
今回は藪入りについて解説します。
藪入りはいつ?どんな意味がある?正月とお盆との関係は?
江戸時代、商家では住み込みで働く人がたくさんいました。
その人たちには、年に2回だけしか休日がありませんでした。
10歳前後で商家に住み込みで働く男の子を関西では丁稚、関東では小僧と呼んでいました。
使い走りや雑用をこなし、夜には年長の番頭や手代から礼儀作法や読み書きなど商人になるために必要な知識を教えてもらっていました。
住み込みで働く子どもはかわいそうに思えますが、住み込みだからこそ教育もできたわけです。
この丁稚や女中たちが仕事を休んで実家に帰れるのが旧暦の1月16日と7月16日で、この休日を藪入りといったのです。
今ならまだ小学生の子どもが年に2回しか実家に帰れないとは、親も子もどんなに寂しかっただろうかと、考えさせられます。
藪入りの待ち遠しさ、嬉しさは今の私たちでも想像できますね。
藪入りの日はそれぞれ小正月の次の日、お盆の次の日に当たります。
小正月やお盆は忙しく、実家に帰ることは難しかったので、次の日に帰ったのではないかといわれています。
また、どちらの日も閻魔賽日(えんまさいにち)に当たります。
この日は地獄の獄卒(地獄で亡者を責め苛む鬼)の休みといわれており、亡者たちも苦しみから逃れて、一時休むことができます。
地獄が休みになる日ぐらい、人間も休もうという意味があったのです。
藪入りを利用して閻魔詣でに出かける人も多かったそうです。
今でも閻魔賽日に、寺院では閻魔堂を開帳して十王図(亡者を裁く10人の王・閻魔大王はその1人)や地獄相変図を拝観できます。
露店が出て賑やかになるところも多いので、当時の丁稚の気持ちを考えながら、出かけてみるのもよいですね。
正月もお盆も先祖の霊を供養するための行事です。
さまざまな事情で一緒に住んでいない家族も、この時期には実家に帰って、ともに先祖供養ができるように藪入りができたのではないでしょうか。
閻魔様は藪入りを後押ししてくれる存在だったと思われます。
藪入りは久しぶりに仕事を休んで、家族に会える嬉しい日であると同時に先祖供養をするための日という意味があったのです。
藪入りの気持ちを味わいたいなら、俳句や落語に触れてみよう!
庶民にとっての一大イベントであった藪入りは、俳句では新年の季語になっており、心を打つ句がいくつも残されています。
有名なのは炭太祇の「やぶ入の 寝るやひとりの 親の側」や、与謝蕪村の「やぶ入りの 夢や小豆の 煮えるうち」などでしょう。
どちらも久しぶりの親元で眠る子どもの姿が描かれています。
子どもがいる人なら、身につまされる俳句ではないでしょうか。
古典はちょっと苦手、という人でも、俳句なら短いので、わかりやすいのでは?
明治になってからの藪入りを描いたのが、落語「藪入り」です。
久しぶりに帰ってくる息子にあれも食べさせたい、これも食べさせたいと舞い上がってしまう父の姿が印象的です。
この話の中では、息子の財布の中を勝手に両親が見てしまい、挙げ句に中身が多すぎるとあらぬ疑いをかけます(結局息子は無罪ですが)。
こんなことが起こるのも、普段離れて暮らしているからなのかと考えさせられる落語です。
子どものいる人にとっては、おかしいけれど少しほろ苦い内容かも知れません。
俳句や落語に触れることで、藪入りのときの親子の気持ちがさらに実感できるでしょう。
藪入りはいつからある?その由来とは
江戸時代、藪入りの習慣が商家に広まりました。
始めは嫁に行った女性が実家に帰る日で、関西ではオヤゲンゾ(親見参)、六入りと呼ばれていました。
その習慣が、街の都市化とともに、商家に取り入れられたのです。
江戸時代には結婚した女性や、商家で働く人たちなど、藪入りのとき以外は、実家に帰る自由がない人が大勢いたのですね。
年に2回の藪入りには、商家の主人は実家に帰る人たちに、新しい着物や履物を用意して、小遣いも渡しましたから、渡された人たちは、喜んで実家に帰ったことでしょう。
迎える家族の嬉しさも相当だったようで、盆と正月が一緒に来たようだというのは藪入りのときの嬉しさを表しているといわれています。
藪入りのときに主人が用意した着物や履物はお仕着せと呼ばれました。
働く人たちには、自分の好みのものを選ぶ権利はありませんでした。
一人ひとりに新品を用意する主人側も大変だったに違いありませんが、もらう方の気持ちはどうだったのでしょうか。
今でもお仕着せという言葉が使われますが、あまりよい意味ではありません。
自分の意思とは関係なく、一方的に与えられる(押し付けられる?)という意味になっています。
自分の身に付けるものは、自分の意思で選んだほうがよいですね。
藪入りという言葉がめったに聞かれなくなったのに比べると、お仕着せは今でもよく聞くのは、お仕着せに反抗する人が多かった証拠でしょうか。
実は私たちも楽しんでいた?今も生きている藪入りとは
明治に入って、太陽暦が採用されるようになると、藪入りも新暦で行うようになりました。
商家での生活は、江戸時代と大きく変わることはなかったようで、藪入りは貴重な休日として、第2次世界大戦が終わるまでは、働く人たちに心待ちにされていました。
第2次世界大戦後には日曜日が定着し、毎週休日があることが当たり前になりました。
働き方が大きく変わって行く中、働く人の休みは正月休み・お盆休みに変更になり、藪入りという言葉は、段々と忘れられていったのです。
しかし今でも正月とお盆には多くの人たちが、せっかくの休みが無くなってしまうことも嫌がらず、ラッシュにも負けずに帰省します。
それは藪入りの名残だということです。
消えたと思っていた藪入りは、まだ私たちの間で生き残っているのですね。
何で藪入りというの?藪入りの語源が知りたい!
藪入りの意味はわかりましたが、働く人の休日が、なぜ藪入りという名前になったのでしょう。
・藪の深い田舎に帰るから。
商家に住み込みで働く人は、田舎から出てきた人が多かったのかも知れません。
・宿入りが訛(なま)って、藪入りに変化した。
田舎に実家がある人は、途中何回か宿に泊まらないと、実家に帰れなかったために、実家に帰ることを宿入りといいました。
大奥(江戸城における、徳川将軍家の生活の場)に勤める女性が実家に帰ることは、宿下がりと呼ばれていたことから、宿入りという言葉は確かだったようです。
この2つの説が有力ですが、はっきりした語源はわかっていません。
他にも父を養うために実家に帰るから養父入り(家父入り)といっていたのが、藪入りになった、事情があって実家に帰れない者が藪に入って遊んでいたから、などともいわれています。
年に2回の楽しい休日の名前が藪入りとは、何だか不思議ですね。
優しさが溢れている、もう1つの藪入りとは
藪入りには働く人たちの休日の他に、もう1つの意味があります。
江戸時代は、自由に日本の中を行き来できたわけではありません。
日本全国53ヶ所の関所が設けられ、一般の人たちの行き来は厳しく制限されていました。
特に箱根の関所の厳しさは有名でした。
当時の関所破りは死罪になるほどの重罪でしたが、関所を破ろうとする人は後を絶ちませんでした。
しかし関所破りをして見つかった人のほとんどが、道に迷って間違えて関所を超えてしまったとして、それ以上罪を追求されることなく追放処分で済まされ、死罪を免れていたのです。
当時箱根の関所で、藪入りは道に迷うという意味で使われたのです。
だから江戸時代を通して、関所破りで死罪になった人はほんの数人しかいませんでした。
2つの藪入りは一見全く違うようですが、どちらも行動する自由がない人たちの逃げ場になっています。
藪は草や木が生い茂った場所のことですが、草木だけでなく、人間の色々な事情も包み込んでくれる場所なのかも知れません。
語源はよくわからなくても、藪入りという言葉には、行動する自由がない人への優しさが込められているように思えます。
まとめ
藪入りについて、意味や語源などを解説してきました。
今は働く人たちも休みが増え、結婚した女性も自由に実家に行き来ができる世の中になりました。
藪入りという言葉は、テレビのドラマの中でしか聞かなくなってしまいました。
しかし私たちは今でも藪入りの影響で、正月とお盆には遠くても近くても実家に帰ります。
日本人にとって大切な正月とお盆に実家に帰ることで、家族のつながりが強くなることは確かです。
誰でも生活する上で、様々な試練を経験するでしょうが、家族が一丸となれば、乗り越えて行けるはずです。
藪入りは今こそ大切にしなければならないのです。