「八朔」と聞くと、3月前後にスーパーに並ぶ、「黄色い大きな柑橘類」の1つを思い出す方が多いのではないでしょうか。
実は八朔とは日本の風土に密着したからこそ出来た、祝いの行事のことを指します。
こちらでは古くからの良き風習でもある八朔をクローズアップしながら、意味や祝い行事についてのあれこれをご紹介していきます。
八朔という言葉が出来た語源は?
八朔という言葉は「八月朔日」という言葉を略した言葉です。
朔日とは陰暦の中では1日のことを意味し、朔と一文字だけで「ついたち」と呼ぶこともあります。
元々朔は「新月」の意味を持っているのだそうです。
月の1日目のことを「ついたち」と呼ぶのは、「つきたち」という言葉が変化したものだと言われています。
そこに意味合いを重ねて、朔日と呼ぶようになったとされているのだとか。
その話を踏まえて考察していくと、八朔がいつのことを指すかおわかりでしょうか。
そう、八月一日のことを言います。
八月の朔日、つまり一日目のことですね。
実は果物の八朔がいつから、そして何故「八朔」と呼ばれるようになったかは未だに解明されていません。
この八月朔日を過ぎると食べられるとされた果物の1つが、八朔という名前になったのだという説が有力です。
八朔は、1860年頃に広島県のお寺の境内にあった柑橘系の果物が発見されたことで名前が付いたといいます。
しかし八朔が美味しいシーズンは1~4月の間とされ、ピークは3月です。
まだ8月では八朔の果実も小さく、とても食べ頃であるとは言えません。
名前の付いた経緯を調べても、「8月1日を過ぎた頃に食べられる」という言い方をされているだけのようなので、食べ物が無い時代にようやく食べられるようになった果実という意味合いで付けられたのかもしれません。
八朔の由来は農家に密接に関わっている?
八朔という日は、農家の生活にとても密着した日だと言われています。
八朔時期の8月1日は旧暦の話であり、新暦では8月23日頃から9月の秋分くらいまでのことを指します。
つまりこの時期は日本各地で台風が起きる季節であり、農家にとっても大打撃を回避したいと必死になる時期でもあるということです。
そのため八朔は昔から農家の三大厄日の1つとして恐れられています。
一方で江戸時代には徳川家康が江戸城に入城した日としても知られ、より八朔の日が民間に広まるようになったとも言われています。
江戸時代において徳川の存在はとても重要なもの。
その日以来この日に江戸に暮らす多くの住人や武家たちが「特別な日」としての認識を持つようになり、八朔の日として後世に残されていきました。
「農家の三大厄日」について先ほど触れましたが、あと2つの厄日とは何なのでしょうか。
1つ目は二百十日です。
二百十日とは立春から数えた日にちに関する雑節で、210日目には台風が多いとされていました。
2つ目は二百二十日です。
同じく農作物に悪影響を及ぼす天候の日からそのように言われ始めたのだとか。
その中の1つに八朔があると言いますが、時期としては新暦で9月中の事を指すので同じ時期の話ということがわかります。
八朔の祝いとは?時代を繋ぐ希望や感謝の気持ち
台風などの影響で農家にとっては悪い時期だと言われていましたが、もちろんそれだけではありません。
八朔の時期は初穂が実るころでもあり、収穫出来る時期でもあります。
そこで八朔は「田の実の祝い・節句」と呼ばれることもあり、初穂を献上する習わしがあったとか。
初穂とは文字通り、その年初めて収穫する稲の穂のことを言いますが、初穂はとても重要な意味を含んでいます。
初穂が実る時期は本格的に台風が来る前、つまり9月の初め頃です。
昔の日本では、朝廷や神に初穂を捧げるものとされていました。
本格的に収穫する前に初穂を摘み、まずは捧げるべき人や神に最初に献上していたのです。
お宮参りなどで神社に出かける際に「初穂料」はいくら納めれば良いのか?などと悩んだことがある方もいることでしょう。
当然農家でなくても、神社で祈祷を頼む時は「初穂料」が必要になります。
昔は現金の代わりに「初穂料」として、その年初めて収穫した稲穂を献上していたのですね。
また八朔は今後も無事に収穫が出来るようにとの願いを込め、初穂の収穫の祝いをしたのだとか。
この八朔、別名「田の実の祝い・節句」は、時を経て次第に形を変えていきます。
田の実という言葉が「頼み」に変換され、鎌倉時代あたりには普段から頼みごとをしている友人や親戚などに贈り物をし「今後も宜しくお願いします」と関係の良好を願うというものに。
江戸時代にはすでにこの事は武家にも伝わっているほどで、日常に密着した行事となっていました。
それは大名たちが徳川将軍に祝辞を申す際、贈る祝い物を「八朔ご祝儀」として献上するという習慣が根付いたのが理由とか。
八朔祭りに出かけてみよう!全国で開催しているって本当!?
八朔についてお話ししていますが、実は全国に八朔祭りと言われるものがあることをご存知でしょうか。
八朔祭りとはその名の通り、その年の豊穣を願うもので「田の実の祝い」と似ています。
もしかしたら「田の実の祝い」が現代版に形を変えたものが、八朔祭りなのかもしれません。
八朔祭りで特に有名なのが、熊本県です。
250年以上の歴史を誇る八朔祭りでは、天然の草木を使い最大4mを超える大きな造り物を山車で引き練り歩きます。
熊本県の八朔祭りは、大自然の力強さを感じられるのが特徴です。
その迫力は見た物だけが感じられると評判です。
緻密に作り上げられた龍や武将などをかたどった木の造り物には日本人の器用さを感じられることでしょう。
また島根県の安来市で毎年行われる井尻八朔祭りでは、子供神輿から花火まで見ることができ、地元の方を始めとても人気があります。
山梨県の都留市では八朔祭りではなく「都留 ふるさと時代まつり」と称し、江戸時代の豪華絢爛な衣装に身をまとった大名行列が闊歩します。
その周囲にはお囃子が演奏をし、目でも耳でも楽しむことができます。
打ち上げ花火もあるので、富士山の観光ついでに遊びに行かれるのもおすすめです。
また祭りというよりも風習といった方が近いかもしれませんが、京都の舞妓さんや芸子さんにとっても八朔はとても重要です。
この八朔の祝いは現代でも見ることが出来ます。
毎年8月1日の八朔の日に、舞妓さんや芸子さんが正装と呼ばれる美しい着物姿で師匠や茶屋を訪ね丁寧に感謝を込めて挨拶をするというのです。
そのため八朔の日には、京都の祇園の通りは挨拶まわりをする舞妓さんや芸子さんで溢れています。
普段はあまり舞妓さんたちが歩く姿を見たことがないという方も、思わず興奮してしまうのがこの八朔時期。
伝統家屋の多い京都の雰囲気ある街並みを、大勢の人気舞妓さんたちが練り歩くのです。
まさに古風な日本の風景を感じられる風習です。
時代を経て「八朔」はその意味を変えていますが、いずれにしても感謝という日本人の奥ゆかしさが八朔の祝いを作り上げたことは間違いなさそうですね。
八朔と団子の関係は?
全国に伝わる八朔ですが、実は団子に関係があると言われています。
特に香川県などでは「八朔団子馬」という祝い菓子があり、男子が生まれるとお祝いとして贈られています。
木などでしっかりと骨組みを作り、米粉で作った団子を張っていき形作っていきます。
しかもこの団子馬は、何と子供が乗れるほど大きいものもあるというから驚きです。
形も馬だけではなく、虎などもあるとか。
暫くは自宅で子供の健康や長寿のために飾った後、ご近所にその団子を配っていきます。
この団子で馬を作っていくという風習は、日本全国の中でも広島県と福井県の一部だけだそうです。
元々は農家の行事なので、赤飯や八朔団子などを神様のお供え物として用意をしたのが始まりとされています。
確かに八朔の時期にお団子を食べるという地域は多いのです。
古くから日本の食べ物として外すことが出来ないお団子は、腹持ちも良く農家の方によく食べられていたということがわかります。
まとめ
日本古来の八朔についてご説明してきました。
由来や意味を知ると、農家の方の知恵や不安を配慮して作られた雑節だということがわかります。
まだテレビなどがない時代、天候を気にし、その年の農作物の成長の影響について悩んでいた昔の方々の苦労も伺えます。
八朔祭りは全国で開催されており、もしかしたら名前を変えて身近な神社などで行われているかもしれません。
興味がある方は、自宅の近くや、近県の祭りを探して昔の人の知恵を感じてみてください。
日本の伝統行事に参加することで、日本の文化も学ぶことができるかもしれませんね。