十日戎(とおかえびす)は近畿地方以西で行われるお祭りで別名「えべっさん」とも言われています。
近畿地方では知らない人がいないと言っていいほど庶民に親しまれているお祭りです。
その十日戎についてできるがけ詳しく解説しており読めば必ず行きたくなること間違いありません。
十日戎とは
十日戎の「戎」は「恵比寿」「恵比須」「夷」「蛭子」と表すことができます。
その名の通り七福神の一人である「恵比須様」を祭神としています。
関西では大阪の「今宮戎神社」京都の「えびす神社」兵庫の「西宮神社」が有名で開催期間には初詣を上回る参拝客が訪れるほどです。
「商売繁盛で笹持ってこい!!」と言う掛け声で知られていて、本来は商売を生業としている人たちの商売繁盛を祈願するお祭りでしたが現代では家内安全や家の隆盛を願うお祭りとなっています。
特徴は「福笹」という孟宗竹の枝を拝殿で授かりに縁起ものであるお札と小宝を飾り付け参拝することが習わしとなっています。
小宝は別名「吉兆」と呼ばれ吉兆には「銭叺」「銭袋」「末広」「小判」「丁銀」「烏帽子」「臼」「小槌」「米俵」「鯛」などがあり自分が好きなものを付けてもらうことができます。
金色に塗った笹に初めから吉兆が飾ってある福笹もあります。
孟宗竹の枝の枝を使う理由は竹はまっすぐに伸び折れにくく冬でも枯れることなく青々と葉をつけることから生命力や神秘性を持つと信じられてきたことにあります。
「竹取物語」のかぐや姫が竹の中から生まれることもその神秘性を表しているとされています。
持ち帰った福笹は神棚がある家は神棚に、ない家は頭よりも高い場所に飾り福笹の頭を日が昇る方に向け根くなくてはいけません。
「笹持ってこい」は「おかげさまでこの一年商売繁盛で過ごせました」のお礼の気持ちをもって福笹を返し、新しく福笹を授かり今年一年の商売繁盛を祈願する意味があります。
吉兆は前の年よりも一つ多くつけることで縁起が良くなるとされています。
十日戎の由来について
十日戎の戎は「恵比須」「恵比寿」「夷」「蛭子」と表すことができます。
いずれにしろ七福神の一人である恵比須様を祭神とすることに違いはありません。
七福神の絵から分かるように恵比須様は平安時代以降の貴族の普段着である狩衣(かりぎぬ)や袴の一つである指貫(さしぬき)を身に着け風折烏帽子(立て烏帽子の頂が風に折られた形)を頭にしています。
このことからえびす信仰は平安時代に始まったと推測できます。
西宮神社の略年表には大治三年(1128年)西宮歌合せ、南宮歌合せがありえびす神が詠まれているとあります。
さらに室町時代に七福神信仰が隆盛し安土桃山時代には多くの家でえびす様をお祭りしていた記録が残されています。
今宮戎神社のホームページによると延宝三年(1675年)の現存する最も古い大阪案内図「葦分船」にも十日戎の情景が描かれているとあり、太田蜀山人(太田南畝 1749~1823、文人、狂言師)の紀行文にも十日戎が記されているとあります。
また中世末期に興り江戸時代に発展流行した都市商人の年中行事であり「戎講」ではないかともされています。
こうした事から十日戎は平安時代に近畿地方からえびす信仰が始まり時代を経て「天下の台所」と言われた商都大阪を中心に広まったと推測することもできます。
ただ何故関西地方にだけ根付き西日本や関東を中心とした東日本に広がらなかったか不明です。
えびす様は前述の衣装を身に着け右手に釣り竿、左手に鯛を抱えていることから分かるように本来は「漁神」「大漁神」でした。
大漁が福を呼ぶこともあってか後には福の神、さらには商いの神とされ、商売人だけではなく一般の方もそのご利益を授かるため参拝するようになりました。
ちなみに七福神はヒンズー教、道教、仏教、神道など様々な背景があり恵比須様だけが唯一の日本人です。
このこともえびす信仰に結びついた可能性もあるのではないでしょうか。
十日戎の日程について~今宮戎神社~
十日戎は名前のように新年十日を中心として開催されます。
前記した関西の三つの神社の日程と祭事、その特徴をご紹介します。
≪今宮戎神社 ≫
天照大神、事代主命、他三神
事代主命(ことしろのみこと)がえびすとして信仰を集めた
一月九日午前0時~1月11日二十三時五十九分
一月九日 宵戎 七時 宵宮祭 十二時三十分頃献鯛行列神社に到着
一月十日 本戎 七時 鯛の朝市 八時例祭 九時四十分~十五時宝恵駕行列
宝恵駕行列とは紅白の布で飾られた駕籠に盛装した芸者が乗り込み、その周囲を幇間が取り囲み「ホエカゴホエカゴ、エライヤッチャエライヤッチャ」の掛け声とともに参詣するものです。
一月十一日 残り戎 七時後宴祭 今宮戎神社で行われる福むすめコンテストは有名で十日戎で奉仕するため十八歳~二十三歳の女性の中から選ばれます。
過去には福むすめの中から女子アナウンサーも誕生しています。
当初は福娘と名付けられていましたが平成二十三年から現在の福むすめに変更されました
十日戎の日程について~西宮神社~
≪西宮神社》
御祭神 えびす大神(蛭子大神、伊弉諾神宮と伊弉冉の子供)
一月九日 宵えびす 授与所 午前八時~午後十二時(参拝午前五時~午後十二時)
一月十日 本戎 授与所 午前六時~午後十二時(参拝 午前六時~午後十二時)
一月十一日 残り福 同上 (参拝 午前五時~午後十二時)
西宮神社の呼び物は十日に行われる「福男選び」でニュースなどでおなじみですが、これも開門神事「走り参り」です。
江戸時代に自然に発生したと言われ、十日午前六時に太鼓の音とともに大門が開き大勢の人が本殿に吊るされているお札を目指し参道二百三十mを全速で走ります。
一等賞である一番福を掴んだ人には認定書としてえびす様の御木像(大)と副賞としてえべっさんのお米一俵、えべっさんの酒菰樽、法被(特製)が授与されます。
二番福はえびす様の御木像(小)、えべっさんの米一俵、法被が、三番福にはえびす様の御金像、八喜鯛(焼き鯛)、法被が授与されます。
また先着五千名の参拝者には「開門神事参拝之証」が無料で授与されます。
西宮神社は全国に3000社あると言われるえびす神社の総本社と言われています。
十日戎の日程について~京都えびす神社~
≪京都えびす神社≫
御祭神 八代言代主大神、大国主命、少彦名神
他の神社と違い日程は長く設定されています
一月八日 招福祭 午前九時~午後二十三時 午前十時 宝恵かご社参
午後二時 湯立て神楽神事 午後二時半 餅つき神事
一月九日 よいゑびす祭り 午前九時~夜通し開門 午前九時 招福まぐろ奉納
午前十時 宝恵かご社参 京都ゑびす神社の宝恵かごは今宮戎神社のそれとはやや趣が異なり、東映の女優さんが松竹梅と紅白に飾ったかごに乗り込み、ゑびすばやしの「商売繁盛で笹持ってこい」の掛け声ととともに太秦映画村から神社へ参拝し、順次各デパート、商店、銀行等へ吉兆笹を配り、京の初春を祝うものとなっています。
一月十日
十日ゑびす大祭(初ゑびす) 午前十一時~十二時
東映女優による福笹の授与 (太秦映画村から) 午後一時~午後二時半
同 一月十一日 残り福 ~二十四時 午後二時~午後四時
(祇園町)舞妓さんの奉仕による福笹と福餅の授与 午後八時~午後十時
(宮川町)舞妓さんの奉仕による福笹と福餅の授与 一月十二日
徹福祭 午前九時~午後十時 福笹は京都えびす神社で配布が開始されたとされています。
こうしてみると各々特徴のある催しごとを開催していることが分かりますが、「えびす」「戎」「恵比須」と文字を使い分けていることについては不明です。
各地の十日戎について
関西地方では上記の神社以外にも十日戎を開催している神社がありますのでご紹介します。
堀川戎神社(大阪市北区) 服部天満宮(大阪府豊中市) 野田恵比須神社(大阪市福島区) 堺戎神社(堺市) 布施戎神社(東大阪市) ねや川戎神社(寝屋川市) 柳原蛭子神社(神戸市兵庫区) 関東では十日戎と言う呼び方のお祭りはありませんが、「酉の市」がそれに当たります。
えびす講として十一月に開催され「福をかき集める」という意味でたくさんの縁起飾りをつけた熊手を購入し参拝します。
前年に購入した熊手は神社へ返し新たにより大きな熊手を購入することで翌年の商売繁盛を願います。
その他の地域に十日戎を行っている神社はありませんが唯一九州福岡県に十日戎神社があります。
福岡市博多区にあり事代主命・大国主命を祀っています。
十日恵比須正月大祭の日程は八日 「初えびす」 九日 「宵えびす」 十日「正大祭」 十一日「残りえびす」となっていて 期間中は福引や芸妓かち詣りが有名とのことです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
十日戎についての詳しい情報や「えびす様」についての知識など十日戎について知っておくべき内容を分かりやすくまとめてみました。
興味をもって頂けたと思います。
事前に情報を調べて行くのと知らずに行くのでは楽しみ方も大きく変わります。
もし新年十日前後に関西地方へ赴くことがあればどの神社でもいいですので是非参拝してみてください。
初詣とはまた一味違う雰囲気を味わえること間違いありません。