松の内という言葉は誰でもよく使います。昔から使っている言葉なので、何となく正月を意味しているのだということは想像できますね。
日本全国で使っているのに、松の内には地域差もあります。松の内とは何か、その意味や地域差をはっきりさせておくと、自分自身がスッキリできますし、年末年始の準備をするときにも役に立つはずです。
今回は松の内について理解するために、由来や歴史などを詳しく説明します。
松の内とは?神様へのおもてなし!松との関係!
松の内とは、簡単にいうと正月の門松を飾っている期間のことです。
正月には門松やしめ飾り、鏡餅などを飾りますが、これらをまとめてお飾り、または正月飾りと呼んでいます。
これらはすべて松の内の期間中に飾られます。
なぜ正月にはお飾りを飾るのでしょうか。
かつて正月の最も大切な目的は、自分の家に歳神様を呼び込むことでした。
歳神様は豊作や幸運を運んでくれる神様ですから、確実に自分の家に呼び込むために目印が必要でした。
この目印として家の前に立てたのが、門松です。
門松は、松や竹を使って作ります。
松は常に緑で枯れないため、神様が宿る神聖な木とされてきましたが、松という名前が(神様を)祀るに通じることもあって、門松に使われることになったのです。
歳神様を家に呼び込むと、清らかな場所にお通しして、おもてなしをします。
正月期間中は歳神様をおもてなしする期間であり、歳神様が家にいらっしゃる間は門松を立てておくために、松の内という呼び方が生まれました。
それでは門松以外のお飾りにはどのような意味があるのでしょうか。
松の内に門松以外のお飾りも必要!その理由とは
清らかな場所を作るために使われるのが、しめ飾りです。
しめ飾りは神棚に飾るしめ縄に縁起物を加えたもので、結界を表しています。
しめ飾りやしめ縄を飾ることで神様の世界と私たちの世界が分けられ、神様が入るのにふさわしい場所だと示しました。
この結界には、もちろん不浄なものは入れません。
私たちはお客様を迎えるとき、家の中を掃除して心地よい空間を作ろうとしますから、ちょうどそれと同じことですね。
おせち料理には、正月くらい女性が楽をできるように作り置きをしたのだという説もありますが、もともとは歳神様に供える料理でした。供えた料理を人間がいただくことで、神様に感謝して自分たちの幸せを祈ったのです。
鏡餅も正月にはおなじみですが、これには神様への供え物としての意味と、神様の依代としての意味があります。
鏡餅は供え物であるだけでなく、正月期間中は神様そのものになるわけです。
松の内が終わると、鏡餅を下げて、みなで食べる風習がありますが(鏡開き)、神様だった鏡餅を食べることで体にエネルギーを取り入れようとしたのかも知れませんね。
しめ飾りやしめ縄で清らかな空間を作り出し、おせち料理や鏡餅で歳神様をおもてなしするわけですから、松の内には門松とともにしめ飾りや鏡餅が大切なことがわかります。
私たちが当然だと思っている正月の過ごし方は、神様をおもてなしすることにつながっていたわけです。
ちゃんと松の内を迎えるために!お飾りを飾るのはいつ?
松の内の意味がわかると、きちんとお飾りを飾ることが大切だとわかります。
毎年慌ただしくなってしまう年末、お飾りを用意するだけでも大変です。
いつ飾るかまでは気が回らないという人も多いかも知れませんね。
でも、昔の人はちゃんといつ頃お飾りを飾ればよいのかを決めておいてくれました。
門松などの正月のお飾りを飾り始める日は、12月13日です。
この日は鬼宿日という鬼の休日で、何事も鬼に邪魔されずにできると伝えられています。
そのため、今でも神社や寺院ではこの日から正月の準備を始めます。
遅くても12月28日までには、お飾りを飾り終えるように心がけましょう。
28日は漢数字の八が末広がりを表すと考えられており、縁起がよい日ですが、29日は数字の29が、二重苦に通じるとして縁起が悪い日にあたります。31日に飾るのも一夜飾りといって歳神様に失礼にあたるため、避けた方がよいでしょう。
やはり歳神様のためには、余裕を持って準備をすることが大切です。
自分の好みにあった門松やしめ飾りを選ぶためにも、早めの準備をおすすめします。
地域で違う松の内!期間は?関東が短い理由とは
松の内について色々とわかってきましたが、実際松の内とはいつのことを指すのでしょうか。
現在松の内は、ほとんどの場合1月1日から7日までになっています。
かつて松の内は地域に関係なく1月1日から15日までの期間でした。
それが江戸時代から、江戸を中心とする関東地方では1月7日までに短縮されてしまいました。
きっかけは江戸時代、徳川家光が亡くなったことでした。
当時の鏡開きは1月20日でしたが、家光は4月20日に亡くなりました。
幕府は月命日に当たる20日から11日へと鏡開きを変更してしまったのです。
松の内が終わっていないのに鏡開きは行えないということで、自動的に松の内は7日までに期間が短縮されました。
この短縮には、江戸で多発していた火事も関係していました。
1662年には、江戸で門松やしめ縄が燃える火事が相次いで起こったため、幕府から1月7日には正月のお飾りを取り外すようにとお触書が出されました。
江戸を中心に松の内は期間短縮されましたが、関西の方までは情報が正確に伝わらなかったようで、今でも関西方面では1月15日までになっているようです。
江戸と同じ関東地方でも、松の内の終わりに多少の違いがありますが、これも情報が正しく伝わらなかったためなのかも知れません。
松が明けることの意味!松の内が終わったら、これをする!
1月7日や15日に松の内が終わると学校や仕事が始まり、普段の生活に戻ってホッとしますが、それでおしまいではありません。松の内が終わったら、しなくてはならないことが待っています。
松の内が終わることを松が明けるといい、自分の家でおもてなしをしていた歳神様は元の場所に帰ります。
もう歳神様への目印は必要なくなりますから、お飾りを下げます。
下げたお飾りはどんど焼き(これも地域によって、どんと祭りや左義長など様々な呼び方があります)などで燃やします。
燃やした煙とともに歳神様を元いた場所にお送りすると考えられています。
自分の家にお迎えして、一生懸命におもてなしをした歳神様ですから、見送りまできちんとしたいものですね。
たとえ松の内の期間が同じでも、お飾りを下げる時間はその地域で違いますし、どんど焼きが行われる日程も様々です。
ぜひ、年長の家族などに確かめて、自分の住む地域の日程と方法で歳神様を見送りましょう。
かつて1月15日までが松の内だったために、その前後にどんど焼きは多く行われています。
お飾りを燃やす火にあたるとその年1年はカゼをひかない、またはお飾りと一緒に書き初めを燃やすと字が上達するなどの言い伝えがありますから、正月後の楽しみに出かけるのもよいですね。
どんど焼きは神社などで行うほか、地域の行事として行う場合があります。
ご近所の人などに尋ねてみると情報を得られることがありますよ。
近所でどんど焼きを行わない場合、お飾りを自分で処分しなくてはならないことがあります。
また、大きな門松は持ち込めない場合があるため、やはり自分で処分することを考えなくてはなりません。
お飾りはお守りや御札と違い、自分で処分しても大丈夫ですが(神様への目印であって、神様本体ではないからです)、ほかのゴミと一緒にしないで、紙に包み、酒や塩を振って清めてから出すなどの気遣いが必要です。
ゴミとして処分することに抵抗がある場合は、自宅の庭で燃やしてもよいでしょう。
自宅の庭で燃やす場合には、十分に安全を確認して、近所の家に迷惑をかけないように注意してください。
大きな門松は燃やすときも、ゴミとして処分するときも、まず分解する必要がありますから、自分で行うのは大変です。
最近は門松を購入すると、撤去と処分まで行ってくれる業者もありますので、門松を購入するときに処分をしてもらえるかどうか、前もって確かめておくとよいですね。
まとめ
今回は松の内について理解するために、由来や歴史などを詳しく説明してきました。
松の内とは何か、由来や歴史、期間や地域差をしっかりと知ることで年末年始の準備や過ごし方がわかってきます。
年の始めをしっかりと過ごせると、その年1年がスムーズに進みます。
松の内について知ることには大きな意味があることがわかりましたね。
自分の住む地域での、松の内の準備や過ごし方について、ぜひ確かめてみてください。
そしてそれを大切に次の世代に引き継いでください。
毎年新しく歳神様をお迎えして、幸せを願うことができる日本人はとても幸せです。
地域で習慣は違っても、毎年幸せになるチャンスがあることは同じです。
ぜひ、お互いの習慣の違いを認めあって、みなで幸せになりたいですね。