大切な人が亡くなった悲しみの中で一通り葬儀などが終わると、次は法要が始まります。
最初の1年が過ぎると一周忌、そしてその次に来るのが三回忌。
これらの法要は全て仏教を基にした教えから執り行われる様になり、普段は顔を合わせない親戚が故人を思い出す滅多にない機会としても重要視されています。
三回忌という言葉を耳にしたことがある方は多いかと思いますが、なぜ三回忌と呼ばれているのかなどについてはご存知ではないという方も多いですよね。
そこで三回忌や法要について、こちらで詳しくご説明いたします。
三回忌とは、忌明けに行われる法要の1つ
人が亡くなり葬儀全般が執り行われた後は、初七日、四十九日と7に関係のある数字の日で法要を行います。
初七日が大事なものだとされる理由は、亡くなってから7日目に故人は三途の河に到着すると言われているため。
三途の河のほとりに到着すると、故人がその後どんな流れの中に身を任せることになるのかが決定されると昔から信じられていることが由来です。
三途の河が急流か暖流かの流れが決まるのは、生前の行いによるもの。
初七日法要を行うことは「どうか故人が暖流の流れで、穏やかに進んでいけますように」と遺族たちが祈ることが目的だとされているとか。
次に迎える四十九日は、故人が7日ごとに受けた裁判の結果がわかる日。
故人はこの四十九日の間に来世の行く先、または極楽浄土へ行くことが出来るのかなどを審判されていると言われています。
遺族は故人が無事に極楽浄土へ行くことが出来るように、四十九日法要を行うということなのです。
ここまでが終ると「忌明け」と呼ばれ、故人の冥福を祈る期間が終わり一区切り。
もちろん、遺族の中で気持ちが切り替わるということではなく、仏教の教えの中で1つの節目とされているということです。
宗教によっては遺族の悲しみが癒え始めるのもこの頃であるとしており、様々な意味で「忌明け」という言葉を使うことも多いよう。
忌明け後、初めて来る法要が一周忌です。
これは故人が亡くなってから、丸1年後に行う法要のことを指します。
そして二周忌は無く、次に行うのが三回忌ということに。
三回忌は故人が亡くなってから3年ではなく、丸2年後に執り行う法要のことをいいます。
三回忌のやり方とは?事前準備が大事
三回忌が近づいて来たら、早めに予定を立てる事をおすすめします。
法要は故人の命日を超えてはいけないとされているので、その前に執り行うのが基本。
平日はお仕事などで親戚が集まることが難しい場合も多いので、事前に電話確認をして土日などの空いているところを話しあいましょう。
候補日をいくつかだしたら、仏式の場合は菩提寺に問い合わせをし三回忌を執り行いたい旨を伝えます。
もしも自宅で行いたいという場合も菩提寺に伝え、僧侶に来てもらう家が多いでしょう。
お寺で法要を行う場合で会食を考えているという方は、併せてその後の段取りも確認するのが良いですね。
お寺で会食ができるのか、また金額や内容を確認することも忘れない様にして下さい。
空いている日にちを確認して予定が決定したら、次は案内状を作成して故人の友人などに送ります。
相手にも都合がありますから、案内状は1ヵ月前に出すことがマナー、返信期限は2週間前などを目安としておきましょう。
会食をする場合は出欠の確認が出来次第、人数分の食事を予約します。
また人数確定次第、来て頂いた方への引き出物を用意することも重要なポイント。
金額は2千円から5千円ほどで、海苔やお茶など「あると便利な品」を用意するのがおすすめです。
最近はカタログなどもあるので、金額に応じて品を選ぶのも良いですね。
この時に「粗供養」などの、表書きと熨斗紙を忘れない様に注意しましょう。
三回忌法要の当日は通常喪主が挨拶をすることになっておりますが、最近では法要時ではなく会食の時にすることも多い様です。
何を話して良いかわからないという方は、来てくれた方に感謝の言葉を述べ、自然体での挨拶を意識すると気持ちが伝わりやすくなるかもしれませんね。
三回忌の意味は、追善供養のこと
それでは三回忌にはどのような意味合いを含んでいるのでしょうか?三回忌に限らず、故人の法要のことを追善供養と呼びます。
故人の道がもしも死後の世界で厳しいものになってしまった場合も、追善供養をすることにより道が改められると信じられているのです。
人の死後には生前の行いにより、「六道」という六つの世界のどこかに落とされてしまうというのが仏教の教え。
六道とは餓鬼・地獄・畜生・修羅・人間・天上のこと。
字を見ればわかるように地獄・餓鬼・畜生・は非常に苦しみを感じる世界であり「三悪道」とも言われます。
残りの3つにも苦しみや争いはあるものの、苦痛は少ないとされているとか。
本来は四十九日までに故人の魂の行く道が決められてしまうのですが、法要による追善供養をすることでこの決定を覆すことが出来るということなのです。
実はこの三回忌までの法要が執り行われる様になったのは、インドや中国の影響を色濃く受けているから。
インドの「四有」という仏教誕生以前の考え方や、中国の儒教による六道のどこかの世界に魂が振り分けられてしまう、通称「地獄裁判」の考え方が日本に伝わり習慣化したものだと言われています。
三回忌以降の七回忌法要などが作られたのは、中国の儒教の考え方を取り入れつつ、日本独自の仏教スタイルを作りあげたからでしょう。
信心深い日本人が死者のことを思い、三回忌以降も「故人の死後の世界が良いものであるように」との願いから法要を増やしたということなのかもしれませんね。
三回忌を含む法要は、江戸幕府の寺請制度からできたって本当?
実は三回忌などの法要は、江戸時代に本格化したと言われています。
平安時代には天皇などのいわゆる宮廷関係者が一周忌まで行っていたという事実はありましたが、まだ三回忌までは行っていなかったそう。
その後、インドから「7」の付く日を重視した思想が中国や日本に伝わり、そこで独自の宗教観が出来上がりました。
このことにより、三回忌の発想が徐々に民間にも広まったのだとか。
実際に鎌倉時代の武士が三回忌を執り行っていたという話しも残されているのです。
ただここまで法要が増えたのには、江戸時代の「寺請制度」が大きな要因だという説もあ ります。
寺請制度とは1961年に発令されたもので、簡単に言うと主にキリスト教の弾圧を目的としたものでした。
職務に関わらず仏教徒である証明書を寺院に出させ、それを住民票変わりとしていたのだそう。
証明書を出すことで住民はその寺院の檀家として認められ、自由に旅行や引っ越しなどを行うことが可能だったといいます。
つまり逆をいうと檀家にならなければ、それらの自由は許されなかったということですね。
人々はこの制度に従わざる負えない状況だったとも言えます。
寺請制度により事実上、寺は戸籍の管理をすることになり次第に力をつけていきます。
そのせいで檀家となった人々は、寺での法要や葬儀を執り行うことが強要されるようになっていたのだとか。
これが一般人にも法要が習慣化した理由だという話しが有力なのです。
ただ結果的にこの制度は現在の戸籍制度を確立させたことに貢献していますし、人々も自然に先祖供養のための法要を行うようになっていきました。
三回忌以降の法要はどこまで続けるのが正解?
三回忌までは詳しくご説明してきましたが、それではその後はどのくらい法要を続けたら良いのでしょうか。
三回忌の後は一般的に七回忌・十三回忌・十七回忌・二十三回忌・二十七回忌・三十三回忌・三十七回忌・五十回忌・百回忌まであります。
これら全て追善供養であり、故人の死後の世界での道を決める大事な法要。
ただ大半の方は十七回忌前後で法要を執り行うことを終わりにするそう。
本来は永続的に続けていくことが良いとされてはいますが、五十回忌までいくとすでに故人のことをそこまで知らないという方も増えてきますよね。
そのため法事を行う意味を問う方が増えてくるのも頷けます。
実は死者の魂の行く末が決まるのが三十三回忌とされており、ここで故人はようやく死後どの様な道にいくことが出来るのかが決定されるとか。
そのことを考えても、三十三回忌まで執り行うということが理想的であると言えます。
実際に十七回忌以降は法要を行わず、三十三回忌だけ行うという家もあるそう。
故人の家族が高齢の場合は三十三回忌を節目として法要を終了とする家もあり、意味合いは家により様々ではありますが、重要な区切りであることはわかりますね。
まとめ
こちらでは三回忌を始め、法要の内容や歴史についてご紹介してきました。
法要とは死者の魂の行く先を決める重要な追善供養であると共に、残された遺族が故人を思い出し偲ぶ機会でもあります。
中々、会うことが出来ない親戚などと久しぶりに顔を合わせる法要は、故人の共通の思い出を語ることもできる場でもありますね。
普段は忙しく忘れがちだという故人の思い出を再び回想し、死後の世界での平穏を祈るという意味を持つ法要は日本人の信心深さから続けられているといっても過言ではありません。
法要の際には事前にしっかり準備をし、故人を偲ぶ良い日にできると良いですね。