何かとんでもないことが起きたときに、神も仏もない、といったりしますが、そもそも神様と仏様に違いはあるのでしょうか。
私たちは亡くなった人を習慣的に仏様と呼びますが、神様と呼ぶことは余りないでしょう。
願い事をするなら、仏様よりも神様だと思っている人は多いのではないでしょうか。
このように神様と仏様に違いがあることは、誰でも何となくわかっています。
でも初詣には、神社と寺院、どちらにも出かけて手を合わせます。
初詣には今年も元気でいられるように、とか受験が上手くいきますようにと願い事をしますよね。
神様と仏様に違いがあることはわかっていても、はっきりと説明できなくてモヤモヤしている人が多いのではないでしょうか。
今回は神様と仏様に違いはあるのか、という疑問について解説していきます。
また、日本にはたくさんの神社と寺院があります。
神様と仏様も一人ずつということはないはずです。
神様と仏様の種類についても解説したいと思います。
神様と仏様の違いとは?修行してなるのが仏様!
日本ではもともと八百万の神が信仰されていました。
どうしてこんなに神様の数が多いのかというと、日本人は、この世の中のありとあらゆるものに、神が宿ると信じていたためです。
家族が死ぬと、その魂は神となり、家を守ってくれると信じており、自然界に存在する木や岩、古くなった道具にも神様が宿ると考えていました。
死んだ人間を神様として祀ってある神社はたくさんあります。
徳川家康も、明治天皇も実在の人物ですが、今は神様として祀られています。
仏教は八百万の神々が存在していた日本に、新しく輸入された宗教でした。
仏教での最高位は、お釈迦様です。
この人はインドの中の小さな部族の王子でしたが、人間が老病死の苦しみから逃れられないことを知り、この問題を解決するにはどうしたらよいのかを探るために出家をしました。
結局悟りを開いたお釈迦様は仏陀(ブッダ、すなわち仏様)と呼ばれるようになりました。
悟りにもさまざまな位がありますが、仏陀は最高の位であり、その最高の悟りを開いた人のことを指します。
生きている人間が神様になることはできませんが、仏様には努力次第でなれるということです。
階級別で厳しい!仏様の世界!
仏陀を最高位として、仏様にはさまざまな階級があります。
仏教の教えの真理とともに現れる者という意味の「如来」、(お釈迦様は如来の一員です)如来となることを目指して悟りを求めている「菩薩」、如来の使者を務めている「明王」、如来・菩薩・明王は生きているものを救いますが、それとは違い、仏法の保護を役目としているのが「天部」です。
特に菩薩は更に細かな階級で分けられています。
これは修行の進み具合によるもので、52階級があるそうです。
菩薩としての最高位は「妙覚」といい、この位につき、煩悩を全て断じた時点で如来と同一とみなされます。
人間にもさまざまな位があった時代がありましたが、これほど細かく分けられてはいませんでした。仏様の世界も中々厳しいことがよくわかりますね。
不動明王に代表される明王は、怒りの形相をしていることがほとんどです。
明王には、仏教を信じない民衆を、力ずくで帰依させる使命があるため、恐ろしい形相をしているのです(明王は如来の化身ともいわれています。
それが本当なら、如来は見事に飴とムチを使い分けているということになるのでしょうか)。
明王たちの多くは、古代インドでは悪鬼神でした。
天部の神々とともに仏教に取り込まれてからは、善の存在となりました。
仏教界では、天界に住む者全てを引っくるめて天部と呼びます。
天部には弁財天、大黒天など天の字が付く神様が多いので、区別が付きますね。
弁財天などは本尊として、人々の信仰を集めていますが、四天王・八部衆(奈良興福寺の阿修羅像は有名です)などの像はお釈迦様の像を守るように安置されており、仏教における守護神の役目を持っていることがわかります。
天部の神様は弁財天や大黒天など、福の神様が多く現世利益が期待できるため、庶民にとっては親しめる神様といえます。
確かに色々と難しいことをいわれるよりも、この神様を拝めば金運アップといわれたほうが、拝む気になるというものです。
仏様の種類について、大まかに説明してきましたが、全体数ははっきりと数えた人がいないので、わかりません。
曼荼羅には1875の仏様が描かれているということです。
八百万よりは少ないのかもしれませんが、相当な数であることは確かですね。
何でも受け入れ、生活の一部になった日本の神様!
仏教が日本に入ってきても、神道と仏教が別々に存在したわけではありませんでした。
日本人が仏教を受け入れると、仏教由来の神様が生まれ、日本の神様は更に広がりを見せたのです。
神社へお経が納められたり、神社の境内に寺院が建てられたりと神道と仏教は一緒に成長を続けました。
これを神仏習合といって、明治になるまで続きました。
だから私たち日本人が神様と仏様を混合してしまうのは、実は仕方のない面もあるのです。
日本の国を作る大もとになった天照大神を始めとする日本神話の神々が日本の神々の頂点といえます。
日本では仏教由来の神々が加わったほかにも、生活に密着したさまざまな神々が生まれました。
大地、家屋、門口、かまど、屋敷、厠、水、風、山(季節によって田の神になる)、疫(悪い伝染病をもたらすとされる神)、八幡神(応神天皇といわれています)、熊野の神(熊野三山に祀られている神)などです。
大地の神がいらっしゃるので、今でも土地を利用するときには地鎮祭を行いますし、門口の神様のためにはお正月に注連縄を張ります。
少し前までは、家の中のあちこちに神様を祀るのが当然の生活でした。
みなが毎年楽しみにしている夏祭りは、疫病をもたらす神様のために行っていることがほとんどです。
仏教はあえて自分から信じるものですが、神様を祀ること、信じることは生活の一部だったのです。
今でも地鎮祭やお正月の注連縄は、特別に何かを信心しているからというよりも、普通の生活の一部として行っていますよね。
こうした付き合い方をしていたからこそ、多くの神様と日本人は一緒に歩いて来られたのではないでしょうか。
そうしてかまどの火に気を付けるとか、飲水が出る井戸は大切にするなど、生活に必要な注意をして生きてきたのではないでしょうか。
神様も仏様も、自分が好きなように信じよう!
仏教も取り入れて、日本の神様は大人数となりましたが、日本人は上手く神様と付き合ってきました。
神社と寺院が同じ敷地内に建っている例もたくさんありましたし、神様と仏様をそれほど厳格に区別する必要はなかったのです。
それなのに、現在は神様と仏様は違うというのが一般常識になっているようです。
私たちも神様と仏様の違いを感じて、何だかモヤモヤしているのが実情です。
どうして神様と仏様を厳格に区別する必要が出てきたのでしょうか。
それは明治維新のときに廃仏毀釈が行われたからです。
これは名前の通り、仏を廃して、釈迦の教えを壊すという意味です。
そこには天皇陛下が天照大神の子孫だから、という理由から仏教を廃して、神道を国の宗教にして西洋列強に対抗しようという政治的な目的がありました。
江戸時代には徳川幕府が寺院を通じて、民衆の戸籍などを管理したことへの反発もあったのではないかといわれています。
いったん一緒になりかかったものを、無理に引き離したせいで、神様と仏様はなんだか中途半端な関係になってしまったようです。
しかし神様も仏様も信じるのは、私たち生きている人間です。
自分が信じたいように信じればよいのではないでしょうか。
子どものお宮参りや七五三のときに、神社でお祓いをしてもらうと身が引き締まる思いがしますし、大切な人を亡くした葬儀のときに、僧侶が話す法話には心が休まるはずです。
自分の心がこれでよいというのなら、相手は神様でも仏様でも構わないのです。
まとめ
今回は、神様と仏様の違いについて、そして神様と仏様の種類について解説しました。
とてもたくさんの種類の神様と仏様がいらっしゃることがわかりました。
仏教も受け入れた上で、自分たちがやりやすいように、神様と一緒にしたのは、日本人の素晴らしい才能ではないでしょうか。
この先人たちのように、自分たちがやりやすいように、神様や仏様と付き合っていくことを考えると人生が豊かになるでしょう。
仏様の種類がわかると、旅行などで仏像を見学するときに役に立ち、如来なのか菩薩なのかで、仏教界ではどんな役目があるのかがわかります。
仏像を見るのが楽しくなりますから、ぜひ仏様の種類の違いを覚えておいてください。
神様の違いがわかるようになると、今までは何の気なしに行ってきたことの意味が見えてきます。
なぜお正月には注連縄を張るのか、なぜ台所やお手洗いに神様を祀るのか、これに納得ができれば、生活がより一層丁寧になることでしょう。
後は神様でも仏様でも、自分がよいと思う方を信じてください。
今すぐ信仰はしない、という人も焦らなくて大丈夫です。
何しろ人数が多いですから、きっと自分にぴったりの神様や仏様が見つかるはずです。
そんなお相手を気長に探してみてくださいね。