「半夏生」という言葉を知っていますか。
日本には言い伝えやその環境で作られた独自の暦があり、半夏生もその1つです。
「半夏生」には農作にまつわる意味や時期はもちろん、各地で食べられている物や恐怖を感る物忌みの伝説までさまざまな言い伝えが残されています。
日本中で、なぜこんなにも「半夏生」が広まったのか、解説します。
日本の雑節の1つ「半夏生」の読み方を知りたい!
古くから、日本は中国の伝統や文化に色濃く影響を受けています。
風習や行事はもちろんですが、暦の考え方や読み方などもそうですね。
まだ文明が発展していない中国や日本では、寒暖の差や太陽が出ている時間などから、生活に必要な行事や暦を作り出してきました。
季節を分割した二十四節気、それをさらに分割した七十二候がまさにそれにあたります。
しかし長い歴史の中で中国から伝えられた文化とはまた別に、日本独自の季節感を表現する言葉も生まれました。
その中に「半夏生」という言葉があります。
この「半夏生」は「はんげしょう」と読み、農業が盛んだった日本にとても密着している雑節と言われています。
しかも唯一七十二候の中で、「雑節」としてそのまま名称が使われていることも特徴の一つです。
雑節とは季節の変化に応じて的確に分割した暦であり、日常の生活や畑仕事に対する「時期の目安」とされているものです。
日本には現在9つの雑節があるとされています。
- 節分
- 彼岸
- 社日
- 八十八夜
- 入梅
- 半夏生
- 土用
- 二百十日
- 二百二十日
寒さや暑さ、日の長さなどを考慮し考えられた雑節は、四季のある日本だからこそ作られたものといえるでしょう。
「半夏生」は畑仕事を終える時期を意味していた!由来は?
昔の日本の農業においては「半夏生」はとても大事な日とされていました。
何故かというと「半夏生」の時期には、農家の天敵である「大雨」が降るとされていたからです。
当時の日本では畑仕事はとても重要であり、日々の食卓への影響が大きいものでした。
農業が生活の中心である農家にとって、当然不作は避けたいもの。
そこで大雨が降る時期までに、農作業を終えておかなければならないという思いが人々にあったのです。
「半夏生」の時に降る雨を「半月雨」や「半月水」などと呼び、空から毒の入った水が降ってくると信じていた地域もあったとか。
そんな「半夏生」ですが、名前の由来は七十二候から来ているということはお話ししました。
しかし、そもそもなぜ「半夏生」などと付いたのでしょうか。
これには諸説あります。
まずは「半夏」という通称の薬草についてご紹介します。
通称「半夏」と呼ばれる薬草の正式名称は「烏柄杓」と言い、「からずびしゃく」と読みます。
鎮吐作用があることで乾燥させて薬草として使われることが多く「半夏湯」などに配合されるとか。
からすびしゃくが生える時期のことを「半夏生」と呼ぶ、ということが一説です。
一方で「半夏生」はドクダミ科に属する「ハンゲショウ」ではないかという話もあります。
「ハンゲショウ」は「カタシログサ」とも呼ばれ、「半分化粧をした様な」という意味から来ているのだと言われているそう。
「半分化粧」の意味についてですが、「ハンゲショウ」と呼ばれる植物の葉が半分だけ白く色が変わることに由来しているのだという説もあります。
葉の片側だけが白く変化することから「片白草」とも呼ばれ、時期もちょうど合っているのでその名前が付いたとの説もあるのです。
半夏生の時期はいつくらい?
農作業に密着している「半夏生」の時期は、7月2日頃だと言われています。
上記した様に名前の由来になったと考えられている植物が咲く時期や、大雨の時期が偶然重なったという説もありました。
古くからある暦の「夏至」から数えて11日目、またはその5日後までが「半夏生」とされていたとか。
現在では「半夏生」の日を決める天球上の基準がしっかりあり、「太陽の視黄経が100度とされる点を通過する時」となっています。
この太陽が通過する時というのが、1年の中で日が一番長いとされている「夏至」と呼ばれる日から11日後のこと。
つまり、7月2日が半夏生だとすると、七夕までがその時期だったということですね。
ちなみに夏至は太陽の視黄経が90度の時のことをいいます。
現代の日本でも7月の前半は地域によっては梅雨が明けたり、いよいよ梅雨の後半に差し掛かるという場所もあります。
この時期は、大気が不安定な状態に陥ってしまうことも。
そのせいで最近の言い方で呼ぶと「ゲリラ豪雨」が各地で起こっていたのかもしれません。
天気予報のない時代に、「豪雨を避けるために農作業を全て終えておく」という昔の人の発想はとても賢いと言えるでしょう。
この大雨が降るかどうかで、その年の農作物が「豊作か凶作」かなどの未来が決まるとも言われていました。
また「半夏生」の時期には事前に農作業をお休みにするという地域もあり、農家にとって唯一の休暇であったという説もあります。
ここで半夏生にまつわることわざをご紹介しましょう。
「チュウ(夏至)ははずせ、ハンゲ(半夏)はまつな」がそれにあたります。
このことわざは熊本県の阿蘇地方で作られたものだと言われており、主に農家の人にとって意味のあるもの。
夏至の時期を外し、半夏生に入るまでに農作業を終わらせるのが良いということです。
やはり天候を気にし、作業を終わらせようという意味合いが強そうですね。
ことわざの中で夏至のことをチュウと呼ぶ言い方は、長野県・岡山県・兵庫県の独特なものだといいます。
正確な由来はわかってはいないのですが、半夏生はこのように農家にまつわる言い伝えが多く残されている日だといってもよいかもしれません。
食べ物にまつわる半夏生の話が多いのはなぜ?
「半夏生」の話をする時に、外せないのが食べ物との関係です。
地域によって差はあるものの、それぞれ豊作や土地の繁栄を願い、半夏生にまつわる食べ物を食べる習慣があると言われています。
例えば関西だと「タコ」を食べる事で知られているんです。
タコは足が8本付いているので、しっかり作物が根を広げる様にとの願いが込められているそう。
また福井県の大野では、その時期に農作業をこなす忙しい農家などの疲労を気遣い、藩主が「鯖」を食べるように勧めていたといいます。
このことから現在でも福井県には半夏生の時に、焼きサバを丸1匹家族で食べる習慣が残されています。
しかしなぜ半夏生の時期に鯖?と思う方もいますよね。
実は当時の福井県の大野では、この時期でも鯖が大量に獲れました。
藩主はせっかく獲れるその鯖を漁村の年貢として納めさせることで、年貢を軽減するというアイデアを提案。
栄養素をふんだんに含んだ鯖は、当時とても高価なものでした。
そこで藩主は納めさせた鯖を、半夏生の時期に疲れた農家の人々に食すことを勧めたのだそうです。
鯖には疲労を回復させる栄養素が豊富だったこともわかっていたのかもしれません。
それを知った魚屋が商売気を出し、鯖を焼いて売り出し世間に広まったというから歴史は面白いですね。
普段は食卓に鯖を出すことが出来なかった人々も、半夏生の時期だけは家族の分の鯖を買ったと言います。
偶然や土地の事情、農民の事を思った出来事が風習として残されたのでしょう。
一方で香川県では、半夏生の日に「うどん」を食べる習慣があるそう。
これも田植えに忙しかった農家に出したことがきっかけだと言われています。
しかも香川県は最近7月2日を「うどんの日」と制定し、無料でサービスする風習も作っていることで話題です。
また、地域によっては半夏生餅を食べる習慣があります。
妖怪に祭り?半夏生の物忌み伝説に迫る!
半夏生には各地でさまざまな伝説が残されており、その内容はどれも「物忌み」についてなのです。
半夏生自体、雨が降ることを「天から毒が降ってくる」と比喩され、良いイメージがないですね。
さらに怖い伝説があるので、以下で地方別にまとめてみましょう。
・三重県
「ハンゲ」という名の妖怪が畑に出るため夕方からは外を歩かないように、またはこの時期は畑に行かないようになどの言い伝えがあります。
・埼玉県
めったに咲かない竹の花が咲いたり消えたりするので、竹林に入るなとされていました。
何でもその竹の花を見ると死んでしまう。
竹の花は60~120年周期ほどの間隔で咲くことはあるそうなのですが、ほぼないと言われているのです。
しかも竹に花が咲くと不幸が起きると言われているので、タブーの表現として竹林を出していることがうかがえます。
・佐賀県
半夏生の間に田植えをしてしまうと、米粒が1粒ずつ減っていく。
この様な伝説が残されていました。
恐らく半夏生の前に田植えを終わらせ、雨に備えるという意味で出来た物忌みの伝説であることが推測されますが、妖怪や死というキーワードは日本古来の恐怖の表現方法ですね。
まとめ
日本に残された「半夏生」についての言い伝えや伝説を解説してきました。
食べ物や恐怖伝説なども含めると、各地で数多くの言い伝えがありましたね。
しかしどれも農家にまつわるものばかりでした。
それというのもニュースや天気予報がない時代に人々が知恵を出し合い、半夏生の前に田植えを終わらせるためだったのでしょう。
暦などの意味を考えると、意外にもいろいろな意味合いが隠されていることがわかります。