火祭と聞いてどんな祭りを連想しますか?最近は焚き火をすることも少なくなりましたから、実際に大きく燃え盛る炎を見る機会は余りありません。
豪快に燃える炎を祭りで見られたら、私たちはきっと夢中になることでしょう。
そんな炎が見られる祭りが「那智の火祭」です。
これは本当の名前ではありません。
お祭りの本当の名前や由来、いつ行われるのかなど気になることはたくさんあります。
今回は「那智の火祭」について解説します。
「那智の火祭」の由来、本当の名前は?
那智の火祭とは、和歌山県の那智勝浦町にある那智熊野大社の例祭です。
現在、熊野大社でお祀りしている神々は、もともと那智の滝付近で祀られていました。
そこで年に1度、神々を那智の滝に里帰りさせ、その力を新たに蘇らせるために毎年7月14日に那智の火祭が行われています。
神々を熊野大社にお遷ししたのが、約1700年前のことですから、里帰りにも歴史があるはずです。
那智の滝への里帰りは、こんなふうに進行します。
那智の滝はそれ自体が御神体であると考えられていて、飛瀧神社の名前を持っています。
熊野大社から飛瀧神社への参道を、神々がお遷りになった神輿と大松明が行列になって進みます。
大松明は1番大きなものは、重さ50kgといいますから、その迫力が想像できます。
途中まで来ると、大松明だけが飛瀧神社で火を着けられ、神輿を出迎えます。
大松明の炎は神輿を清めるとされているので、出迎えた大松明は神輿に火の粉を浴びせ、神輿に付き添っていた神役も扇を使い、神輿に向けて炎をあおぎます。
一方、火払所役は水をかけて火の粉を消しています。
神役と神輿の担ぎ手とが交わし合う掛け声が響き、大松明の炎と一体となり、「炎の乱舞」といわれる状態になります。
この大松明と神輿による「炎の乱舞(正式には御火行事といいます)」が、那智の火祭という名前の由来です。
地元の人たちも長い間、那智の火祭という名前に親しんで来ました。
しかし例祭の本当の名前は「那智の扇祭り」といいます。
なぜ扇なのか、これから説明しますね。
「那智の扇祭り」の扇神輿、その特徴とは
今も扇は末広がりの形から、縁起がよいと喜ばれています。
かつては扇が起こす風は、あちらへ吹けば厄災を吹き飛ばし、こちらへ向けて吹けば福を呼び寄せると信じられていました。
那智の扇祭りに使われる神輿には、縁起がよい扇が付けられているのが特徴で、名前も扇神輿といいます。
普通の神輿とは全く違う形で、幅1m、高さ10mの細長い枠に緞子という絹織物を付け、その上に扇が取り付けられています。
この細長い形は、那智の滝を表しているといいます。
神輿の1番上には、細長い板を放射状に並べて、中央には複数の扇を丸く留めた飾りが付けられています。
これは光を表していて、ちょうど子どもが描く太陽の絵のような形に見えます。
扇神輿には全部で30の扇が取り付けられていて、1カ月を表しています。
神輿は全部で12体作られますから、神輿全部で1年を表していることになります。
里帰りが年に1度ということに関係がありそうですね。
(熊野大社には12の神様が祀られていて、神輿が12体ともいわれています)扇神輿にはそれぞれ8面の御神鏡も取り付けられているので、絹緞子の朱色と扇の金色に、鏡に反射した光がきらめき、とても美しい神輿になっています。
神輿が出発する前に熊野大社で、御火行事が終わった後は飛瀧神社で(途中伏拝でも)、それぞれ12体の神輿が並ぶ機会がありますが、勢揃いした扇神輿の美しさは格別です。
ぜひ、じっくりとその美しさを味わってくださいね。
木が立ち並ぶ飛瀧神社への参道は昼でも薄暗いので、明るく美しい色の神輿と大松明の炎は、勇壮さと美しさで人々の心を捉えているのです。
「那智の扇祭り」を楽しむために、必要なこととは
7月14日、那智の扇祭り(那智の火祭)の流れは、次のとおりです。
13時から、神輿が出発するための神事が行われ、途中熊野大社と飛瀧神社の中間地点にある伏拝と呼ばれる場所で、扇神輿が全て立てられます。
神輿を立てるためには、男性4人が必要で、しかも細かなしきたりに則って立てなくてはなりません。
出発の前には事前の練習も必要ですから、神輿を立てる場面もぜひ、見てみたいですね。
1つ扇神輿が立てられる毎に、行列の人たちは拍手をして神輿を褒めます。
神輿を褒めるとは、何だか微笑ましい気持ちになりますが、これだけの美しい扇神輿ですから、たくさん褒めてあげてほしいですね。
その後14時からは御火行事が始まります。
祭りの流れを大まかにでも把握しておくと、右往左往しないで済みます。
特に御火行事は人気がありますし、安全のためにも(何しろ燃え盛る大松明が参道を進みます)参道を封鎖します。
そのため、参道では早朝から場所取りをする人がいるほどです。
何を諦めて、何を見るかあらかじめ決めておかないと、結局どれも中途半端になってしまうので、祭りの流れを把握することは、絶対に必要です。
飛瀧神社への参道の両脇に林がありますが、そこが御火行事を見物するための場所になります。
参道はカーブしているので、見物しやすい場所とそうでない場所があります。
有料観覧席はありませんから、自分の場所取りだけが頼りです。
もし可能なら前日までに下見をしておくと万全です。
ただ御火行事だけにこだわらなくても、祭りの見どころはまだあります。
それをこれから紹介します。
「御火行事」以外にも、こんなにある!「那智の扇祭り」の見どころとは
那智の扇祭りには、日本の伝統芸能が古い形で残されています。
1日で色々と見られますし、どれも一見の価値があるものばかりです。
扇神輿が出発する前に、舞と田楽が奉納されます。
舞は大和舞といい、大和(現在の奈良県)に伝わっていたといわれています。
これは神を拝む様子を舞にしたものです。
特徴は稚児舞であることと、舞い手が4人いることです。
那智の田楽はユネスコ無形文化遺産に登録されていて、大松明の持ち手が踊り手を務めると決まっています。
踊り手は、ビンザサラ(細い木の板を束ねて作る楽器。
リズムに乗せて、板がこすれる音を出す)や締太鼓でリズムを取りながら、次々と配置を変えていきます。
踊り手の配置の変化で田植えの様子や稲の成長を表しているそうです。
田楽の後は、豊作を祈って御田植式が行われます。
青萱で編んだ笠をかぶった農民役が古い農機具を持って登場します。
中には牛役の人もいて、牛のかぶりものをしているのが、シュールです。
農民役の人たちは、太鼓を先頭に、田んぼに見立てたゴザの上をぐるぐると回りながら田植え歌を歌います。
ぐるぐる回ると田植えが終わったことになりますが、その後にちゃんとお役人が検分にやって来ます。
役人は「千年万年、あっぱれ、あっぱれ」といいながら、田んぼを回りますが、その様子は何とも滑稽で、農民から見たお役人なのだな、と思わされます。
御火行事が終わった後には、飛瀧神社で御田刈式が行われ、那瀑舞が奉納されます。
御田刈式では鎌を持った農民役が、田んぼに見立てたゴザの上を、田刈歌を歌いながらぐるぐると回ります。
稲刈りが終わった田んぼにも、田植舞のときと同じく役人がお供を従えて検分にやって来ます。
御田植式も御田刈式も、大和舞や田楽とは違い、見物客から笑い声が聞こえるような和やかな雰囲気で行われます。
その後の那瀑舞で祭りはクライマックスを迎えます。
先程まで大松明を持っていた白装束の男性たちが、日の丸の扇を持ち、舞いながら歌います。
大松明の持ち手は、祭りの日は大活躍ですね。
「けふのでましの あなあら貴と 滝の流れも さらさらと塵も残さず 神風ぞ吹く 神風ぞ吹く」これは御滝御幸の歌というそうです。
自然への畏敬の念を表した歌だそうですが、滝は塵一つ残さずに流れて行ってしまう、だから私たちにはかないませんという意味でしょうか。
滝の流れの音とこの歌が一つになり、何ともいえない雰囲気を作り出します。
この舞で神々の里帰りは終了し、熊野大社にお帰りになります。
御火行事の前の大和舞と那智の田楽、御田植式は、参道が封鎖される時間に気を付けて楽しんでください(参道は13時に封鎖されます)。
御田刈式と那瀑舞は御火行事の後に、見ることができますから、御火行事が終わったからと、すぐに帰らないように注意してくださいね。
最後になりましたが、那智の滝も忘れてはならない見どころです。
こればかりは、歴史や由来などは関係なく素直に感動できるでしょう。
高さ133mの美しい滝の姿を見ているだけで、心が浄化されるというご利益が感じられます。
御神体となるだけのことはあるのです。
まとめ
本当は那智の扇祭りという名前だった、那智の火祭について、見どころやいつ開催されるのかを解説してきました。
一番の見どころの御火行事について知ると、火祭といわれるのも納得できますね。
那智の扇祭りには、御火行事以外にも見どころがたくさんあります。
自分が見たい行事がいつ行われるのか、きちんと把握してから出かければ一層祭りを楽しむことができますよ。
大松明の炎は迫力がありすぎて、少し怖いような気がしますが、実際に炎を見るのは、ガスの火ぐらいになってしまった今日この頃だからこそ、現代人はこの炎を無意識に求めているように思われます。
もしかして私たち自身も炎に浄化されたいのかもしれません。
だから、毎年人々は大松明の炎に熱狂するのでしょう。