神無月、霜月、師走は旧暦の月の異名です。
昔の人は各月を数字ではなく異名で呼んでいました。神無月の10月、本当に神様はいなくなるのでしょうか?霜が降り出す11月の霜月はしっくりきますね。師走の12月の師は誰のことなんでしょう。
今回はそれを紐解いていきます。
神々が会議する神無月
旧暦の10月は神無月と呼ばれていました。
神無月の「無」は水無月と同じく、「無」は「の」と読みます。神無月は神の月となるわけです。神の無い月というのは間違いで、神がいないわけではありません。
神無月の由来の中には神様が10月になると、出雲大社に集まって来年の豊作や天候、人間の誰と誰を結婚させるかなどの、会議が開かれるので、出雲以外の国々には神様がいなくなる。だから神無月といわれるという説もあり、出雲のでは、神々が集まるので、10月のことを神在月と呼んでいるという話もあります。
出雲では神在月には全国から八百万神を迎える「神迎祭」が行われます。翌日11日から17日まで、神々が会議をする「神在祭」が行われます。出雲大社や国譲りの神話の舞台稲佐の浜の上宮で祭りが行われ、その間神々は本殿の東西になる十九社で寝泊まりすると言われています。
縁結びで有名な出雲大社、この間に縁結びの会議も行われています。
旧暦10月18日には拝殿で各地に帰られる神々を見送る「神等去出祭(からさでさい)」が行われ、「神在祭」は終わりを迎えます。神在祭は旧暦で行われるため、新暦では毎年いつになるか日にちは決まっていないようです。そうの年の旧暦の10月10日から18日の間行われます。8日間八百万の神々が出雲に集まっている間、各地方を守っているのは留守番をしている神々です。恵比須神や道祖神なども留守神とされています。
逸話では鹿島神宮の祭神は地震を起こす原因の「おおなまず」を押さえ込んでいる石を鎮護している神ですが、過去に神無月に起きた大地震は鹿島神宮の神が出雲に出向いていた不在の時に起こったと言われています。
祭神として祀られている神が10月に出雲に出向くとその地域では鎮護するものがいなくなるので、留守番をする神も作られたという言い伝えもあります。
十日夜と亥の子
十日夜って聞いたことありますか?あまりメジャーではないかと思いますが、十五夜と十三夜はご存知の方も多いでしょう。そうです、お月見ですね。
十五夜と十三夜は、十五夜のお月見をしたら、十三夜のお月見もしないと「片見月」といって縁起が悪いと言われていました。
・片見月の起源この「片見月」の起源は「遊里」だといわれています。
遊里とは江戸吉原の遊郭のことで、遊女たちが十五夜に来てくれた客にまた来てもらうために言った誘い文句が始まりとされています。
神様、仏様の罰が当たるわけではないでの安心してください。
ただ、十五夜は中秋の名月と呼ばれていますが、この行事は中国から伝わったと言われています。
十三夜は日本独自のものです。
・十日夜(とおかや・とおかんや)とは十五夜は旧暦8月15日の中秋の名月をさし、十三夜は旧暦9月13日の月のことで、十五夜の次に美しい月といわれ、お月見をしていました。
十三夜の次にくる月が「十日夜」(とおかや)、(とおかんや)と呼ばれ、「三の月」ともいわれる旧暦10月10日に行われる行事です。
十五夜、十三夜と同じように、お月見をする地域もありますが、元々十日夜は旧暦10月10日に、秋の収穫を祝う行事で、お月見をするのが主体ではありませんでした。
旧暦では毎月1日は新月から始まって、徐々に月が姿を現し、15日に満月になり、だんだんと月が欠けまた新月になるを繰り返すのを一ヵ月としていたので、十日夜の月はそれほど美しい月ではありませんでした。十日夜はお月見ではなく、稲の刈り取りが終わったことのお祝いをする日で、お餅をついて田んぼのかかしなどによく働いてくれたと感謝をこめて、お供えをしました。発祥は関東地方と言われています。新暦でも十五夜や十三夜は日にちは決まっていませんが、十日夜は新暦11月10日と決まっているようです。
・亥の子とは日本のハロウィンのような行事です。
近畿地方より西の地方で行われる行事で、旧暦10月の亥の日に稲の刈り上げを祝う行事です。
亥の子では田んぼのかかしを持ち帰り、亥の子餅と呼ばれる餅を新穀でついて作り、お供えします。この日は子供たちが藁束や石で地面を打って回り、各家から餅を貰ってくる亥の子突きという行事が各地で行われます。ハロウィンの日本版のような感じですね。
ハロウィンも子供たちがお菓子をくれないといたずらするぞと、各家々を回ってお菓子を貰う行事ですが、亥の子も各家を回って、藁束や石を打ち付けて、亥の子餅を貰って回ります。日本がハロウィンを受け入れられたのも、こういった行事が日本にも古くからあったからかもしれません。
霜が降り出す霜月
霜月は旧暦の11月のことです。
旧暦11月は今の新暦に直すと1ヵ月くらいズレがあるので、12月ころになります。12月だと霜も降りて寒いですね。
霜が降り出すから「霜月」というのはしっくりきますね。
12ヵ月のうちで由来がしっくりくる月の異名っていうのは、11月が一番ではないでしょうか。
七五三
11月の年中行事と言えば、七五三ですね。
七五三は今でこそ全国各地で3歳、5歳、7歳の子供たちが成長を祝って神社・寺などにお参りに行きます。由来は1681年12月24日に徳川家の長男の健康を祈って始めたのがきっかけであるというのが有力と言われています。
元来、関東圏の地方で行われていた行事でしたが、やがて京都、大阪でも行われるようになり、全国に伝播し、現在では全国で行われるようになりました。
七五三は文字通り年齢を指した数字です。3歳、5歳、7歳のことです。現在ではどの年齢も、晴れ着を着て、羽織袴を身に着けて同じように神社・寺に参るのが七五三になっていますが、実際はそれぞれの年齢には違った行事がありました。
七五三は数え年の年齢の時に行う行事です。
・数え年3歳の時には、「髪置きの儀」といって、女の子が3歳まで髪の毛を剃っていたのを終了するという儀式です。
・数え年5歳の時「袴儀」といって、男の子が袴を着用し始める儀式です。
・数え年7歳の時「帯解きの儀」といい、女の子が幅の広い大人と同じ帯を結び始める儀式です。
数え年3歳と数え年7歳は女の子が行う儀式です。数え年5歳は男の子が行う儀式です。これは地方によっては、3回すべて男女問わず行っているところもありますが、本来は年齢と性別によって行われる儀式でした。
師が走る師走
小学校時代に、師走というのは年末で教師も走り回るから師走と授業で習いましたが、どうやら違うようです。調べてみると、師走の「師」は僧侶を指して、お坊さんが年末に各家庭にお経を詠みに回るのに東方西走する様子をみて、僧侶も走り回るほど忙しいので、師走となったという説がありましたが、これも俗説のようです。
師走の由来は未詳で諸説がいくつかありますが、やはり当時の師が僧侶であるなら、僧侶が走り回るほど忙しい月「師走」がしっくりくるのではないでしょうか。
除夜の鐘
除夜の鐘は大晦日の夜の12時をはさんで、各寺で鐘をつくことをいいます。
12月31日の夜、仏教では人間には108種類の煩悩があると言われ、その年の終わりの日に、その1年の煩悩を払い新しい年を迎えるために午前零時を挟んでつかれます。
最近では近くのお寺などでは、順番にその地域の人に鐘をつかしてくれるお寺もあるようです。お寺の鐘をつくというのも、こういう機会でしか体験できないことですよね。
・煩悩とは人の心の乱れ、汚れのことです。
その中には欲望、怒り、執着、猜疑などが代表に上げられます。この煩悩が細かく分けると、108つあるというのです。ほかにも、八万四千の煩悩があるともいわれています。
・除夜の鐘除夜の鐘をつく数は煩悩の108回ですが、なぜ大晦日につくのかというと、仏教の修行に由来します。
仏教では煩悩を払うことで悟りを開くことができると言われています。
悟りとはこれまでの悩み苦しみから解放され迷いもない無の状態になることです。除夜の鐘にはこの煩悩を払う力あると言われているので、修行をしていない一般人でも鐘の音をきけば煩悩が払われるという信仰が現在でも伝わり行われている儀式です。
そして、108回目の最後の鐘は31日から新年になる夜0時を過ぎてから打たれると言われています。
まとめ
神無月から師走まで由来や意味を見てきましたが、暦が中国から伝来したこともあり、日本の年中行事も元々あった日本の行事に中国の行事を足したものが多くあることが分かりました。今では形だけ残っている行事もありますが、それらは意味があります。その意味に触れることで、昔の人たちは季節ごとに行事をおこない、自然とともに暮らして来た事わかると思います。今の時代は時間に追われ、機械的に1日1日を処理しているだけのように思えます。そんな中でも自然に触れ心が和む時間があってもいいのではないでしょうか。