『水無月』と聞くと、月の異名であることは想像がつきますが、いつのことだったかふと思い出せないこともありますよね。しかもどうして『水がない月』と書くのか不思議ですよね?そこで、ここでは『水無月』がいつのことか、ほかの月の異名と一緒にご紹介します。また、『水無月』の由来や、水無月にちなんだ行事やその際に用意されるお菓子についても紹介していきます。
水無月はいつのこと?
『水無月』は何て読むのでしょうか。
『水無月』は『みなづき』と読み、6月のことです。1月2月・・・・12月という陽暦(新暦)での月の呼び方の他に、日本では太陽太陰暦(旧暦)でそれぞれの月に1~12ではなく名前を付けて呼んでいました。これを和風月名といいます。
日本では、月の満ち欠けを基準とした旧暦を明治5年(1872年)まで使っていました。これは朔月という新月を含む日を各月の1日目とした暦で1年が354日です。その時の第6番目の月の名前が『水無月』でした。
当然のことながらこの旧暦と現在の1年を365.2425日とした新暦(グレゴリオ暦)の月とはずれます。大体1か月程度のずれがあるといわれていますので、旧暦の6月は新暦でいうと7月ぐらいですね。
月の名称
旧暦ではそれぞれの月に名前があって、1、2、3…と呼ぶのではなく、睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走というそれぞれの月を表す名前で呼んでいました。
ためしに、日本語以外の月の名称を調べてみましたが、中国語では数字で呼んでいるようですが他はそれぞれに由来のある名称で呼んでいるようですね。身近なところで言うと、英語では1月はJanuary、2月はFebruary、3月はMarchで、1,2,3、ではないですよね。英語の月の名前は、ラテン語に由来していて、ラテン語系の言葉は似たような月の名前になっています。ラテン語の月の名前は、ギリシャ神話や、7月や8月のようにローマ帝国の皇帝の名前に由来しています。
月の異名
日本では、和風月名の他にも、季節感を表している月の異名があります。6月の異名をいくつかご紹介します。
晩夏(ばんか):旧暦では3か月ごとに春夏秋冬の季節を割り当ていて、6月は夏の最後の月にあたり『晩夏』と呼ばれていました。
季夏(きか):『季』は四季の終わりの意味があり、夏の終わりという意味で『季夏』と呼ばれていました。
水張月(みずはりづき):田んぼに水を引く月という意味
鳴神月、鳴雷月(なるかみつき):雷の多い月であったことと、雷や稲妻は神が姿を現していると考えられていたために、神を使った月名となっています。
その他に炎陽(えんよう)、風待月(かせまちづき)、建末月(けんびづき)、水月(すいげつ)、涼暮月(すずくれづき)、蝉羽月(せみのはつき)、松風月(まつかぜつき)、晩月(ばんげつ)などの季節感を感じる異名があります。
梅雨なのにどうして水無月? 由来は?
水無月は6月。梅雨の時期であったのにどうして『水無月』なのでしょうか?月の名前の由来を見ていきましょう。『水無月』の意味や由来にはいろいろな説があり、反対の解釈があるのが特徴的です。
そのまま読むと、水が無い月となり、田んぼに水を引くためそれ以外には水が無いという説や、地上に水が豊富にあるため天には水が無くなってしまうという説や、暑さで水がすべて干上がってしまい水が無いということから『水無月』という説があります。
これに対して、『無』を連帯助詞の『の』とする説があります。この説では、水が無いのではなく『水の月』となります。梅雨が明ける旧暦の6月は中干しをしていた田んぼに水を引く月だったこと。また、梅雨明けで水がたっぷりあることから「水の月」という意味で『水無月』になったという説があります。
この2つの説は田んぼに水を引くという意味では同じですが、考え方が正反対になっています。
その他には、6月は梅雨の時期で雨がたくさん降り、あまり多くの雨は災害を引き起こすため、梅雨に対する恐怖心からできるだけ梅雨が短くなるように願って、『水無月』と書くようになったという説もあります。これは、言葉には魂があるという言霊信仰からきた表現ですね。
このように『水無月』の由来についてはいろいろな説があり、はっきりとどの説が『水無月』の由来となったかは分かっていないようです。
『水無月』の面白い説
『水無月』の由来にはいろいろな説がありますが、先に紹介したものは、『無』をどう考えるかによる違い、つまり水があるかないかの違いの説でした。ところが、水に関係しない説もあるのです。
1つ目は、旧暦の6月には田植えにかかわる仕事がすべて終わって一段落することから、すべて終わった→みんなやり尽くした、となり更に変形し、皆つくした(皆仕月)で、ここから『みなづき』となったという説があります。
またこの他には、田植えは大変な作業なので、地域の仲間と協力して順番に仲間の田んぼの田植えをするという習慣がありました。このことから、みんなで田植えをやり尽くした、ことから、みなつくした(皆尽月)となって、『みなづき』になったという説もあります。
さらに、田んぼに水を張る、ことから、水張り月となり、これがみなづき、になったという説もあります。
どちらの説も『水』のあるかないかには関係のない説です。『水無月』の由来は、生活をしていく上で大切な田植えに関係する説が多いのが特徴ですね。
昔の人は、自然や生活に密着した事柄を敏感に感じ取って季節の名前などに取り入れているので、『水無月』も田植えなどの生活のことや梅雨という自然現象から名前がついたのでしょう。
水無月の行事
『水無月』は6月ですが、6月は1年が半分終わる月で、季節も春と夏が終わります。宮中や各地の神社では、半年分のけがれをはらい残り半年の健康を祈るために6月末に『夏越の祓(なごしのはらえ)』または『水無月の祓』という神事を行っています。これは半年後の12月末に行われる『年越しの祓』と対になっている神事で年に2つある大祓です。
大祓というのは、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらえ)を起源とする神事で、宮中の年中行事になっています。心身を清めて厄災を払う行事です。
『夏越の祓』では、形代(かたしろ)を奉納したり、参道の鳥居などに茅で編んだ直径が数メートルにわたる輪を作り、これをくぐることで無病息災を祈願します。この茅の輪くぐり(ちのわくぐり)は日本神話のスサノオノミコトに由来するもので、神社により奏上する詞は異なるようです。『水無月の夏越の祓(なごしのはらえ)をするものは、千歳(ちとせ)の命延(いのちの)ぶというなり』または『祓えたまえ、清めたまえ、守りたまえ、幸へ(さきわえ)たまえ』と唱えながら8の字を書きながら3回くぐるのが一般的な作法です。
この夏越の祓は、大阪の住吉大社の夏越祭が有名ですが、現在でも行われている神事ですので、6月30日に各地の神社に行ってみると夏越の祓の茅の輪を見ることができるかもしれませんね。
水無月のお菓子 氷のかけらが三角だから?
夏越の祓の行事食というものは特にはないといわれていますが、平安時代の京都の宮中では6月に1日の『氷の節句』のときに暑気払いとして『氷』を食べる風習がありました。もちろん冷凍庫がない当時は、氷はとても貴重なもので、山陰地方などで日の当たらない穴などに作られた氷室から氷を切り出して使っていました。そのため庶民には手が届かないものでしたが、宮中から氷がふるまわれていたようです。
ふるまわれた氷をかたどったお菓子として『水無月』が作られ、夏越の祓のときに食べられるようになりました。このお菓子は、三角形に切った白いういろうの上に甘く煮た小豆がのせられたものです。三角形が、氷をかたどったからとか、1年の半分を意味しているからともいわれています。また、小豆の赤色には悪魔はらいや厄除けの意味があるとされています。
ですから、氷のかけらと夏越の祓のいずれか又は双方が由来の『水無月』というお菓子は必ず三角形をしています。そして、残りの半年の無病息災を祈り夏越の祓のときに食べられていたことから、とても縁起の良いお菓子といえそうですね。
『水無月』というお菓子は、6月になると現在でも京都の和菓子屋さんでは必ずといってもよいほどある季節のお菓子です。6月のお菓子だから『水無月』という名前なのではなく、半年の汚れを落とし、残りの半年への祈りが込められているのです。名前の由来を知ると、頂くときも今までとは違った気持になりますね。
まとめ
- 『水無月』は旧暦の6月のことで、旧暦ではそれぞれの月に名前がついていました。
- 『水無月』の由来には諸説ありまだ定まっていませんが、水が豊富にあるから『水の月』という意味や水がなくなってしまうから『水がない月』の反対の解釈がありました。
- 『水無月』に行われる行事には、半年分の汚れを落とし残り半年の無病息災を祈願する『夏越の祓』があります。
- 三角形の白いういろうの上に小豆がのせられている『水無月』というお菓子は、夏越の祓のときに食べるお菓子として作られ、形には氷と半年の意味、小豆には厄除けの意味があるといわれています。
『水無月』には諸説がありこの時期特有の行事もありました。どの説も季節や当時の生活と密着したことからきていることが分かりますね。1年の半分が終わる今年の6月には、残りの半年の無病息災を祈願して、伝統のある『水無月』を頂くのもいいですね。その時に形や小豆の由来を知っているとちょっと格好いいかもしれませんね。