「春暁」と聞いて何を思うでしょうか?
その漢字を見るだけで遠い古来の中国を思える方は、漢文に対する知識がとても豊富な方と言えるかもしれません。
あまり中国や漢文に馴染みのない方は、タイトルを見ただけで苦手意識を持つ方もいるでしょうが、実はこの春暁という漢文を読むと眠気ぬぐえないほどの春の暖かさなどが絶妙に表現されていることがわかります。
こちらでは難しく考えがちの漢文・春暁の内容に触れると共に、漢文に苦手意識がある方の心にすんなり入り込めるよう作者の思いなどもまとめていきます。
春暁の読み方とは?
春暁と書いて何と読むのでしょうか。
そのまま読むと「はるのあかつき」ですが、この場合「しゅんぎょう」と呼びます。
春暁とは680年代に生まれ、40歳の時にその才能が認められる事となった、孟浩然という中国人の詩人が書いた作品のタイトルのことを指します。
冒頭の「春眠暁を覚えず」という句は、あまりに有名ですよね。
その名分は一度は学生時代などに、目にしたことがある方もいることでしょう。
この春暁は、代表的な五言絶句という形態であることが有名です。
五言絶句とは近代史の一種だとされており、特に中国では唐時代に完成されたものとなっています。
これは、五言が4句からなっているからそう呼ばれているのです。
この春暁については誰もが認める名詩であり、確かに知っておくと今後の知識としてもためになることもあるはず。
ですがただ詩を丸暗記するだけでは、その内容の深さや春の表現の豊かさなどを感じる事はできないでしょう。
この春暁は実は春の季節感を見事に現しているということは当然なのですが、それ以上にこれだけの短い詩から作者である孟浩然の人生観や生活なども読み解くことができるのです。
ただ、それを読み解くためにはある程度、当時の中国の政治形態や生活習慣、歴史などを知っておく必要があります。
それさえ知っておけば、春暁から孟浩然の不遇の人生までもを感じる事ができ、「ああ春ののどかさだ」というだけの感想に留まらないことでしょう。
そこでこちらでは孟浩然の人生についてまとめつつ、春暁の口語訳を解説していきます。
春暁からその句の意味を簡単に読み解く
こちらで春暁を書き下し分とともに、口語訳していきましょう。
①春眠不覚暁 しゅんみんあかつきをおぼえず
春の眠りは深く、夜明けも気が付かないほどであることを最初に表現しています。
確かに春は暖かくなってきてよく眠ってしまう上、陽が登る時間も早くなりますよね。
そのため、夜明けに気が付かないということはあるのはわかります。
それは古来の唐人に限ったことではないので、こちらの表現は匠と言えるでしょう。
②処処聞啼鳥 しょしょていちょうをきく
そんな朝は、あちこちで鳥のさえずりがきこえてくると言っています。
作者の孟浩然は布団の中で、鳥がさえずっているのを聞いているのでしょう。
③夜来風雨声 やらいふううのこえ
昨晩は雨や風の音が強かったような気がするな…。
ここでは作者である孟浩然の心の声が聞こえてきます。
④花落落多少 花おつること知る多少
そのせいでどのくらい花が散ってしまったのだろうか。
孟浩然は昨晩の天候のせいで、せっかく咲いた花が散ってしまうのを残念に感じたのかもしれません。
こちらが孟浩然が書いた春暁の全容になります。
ここだけ見ると、確かに春の穏やかな夜明けのことを指している詩であることがわかります。
ただ実はこの詩に隠されているのは、それだけではないのです。
春暁とはいつのこと?隠された孟浩然の思いとは?
先ほどご紹介した春暁からは、何の問題もない穏やかな春の日の夜明けを指しているようでした。
ですが実は、孟浩然の報われない思いがそこに含まれているのではないか?との説があります。
現代では春眠暁を覚えずは、春になると太陽が昇る時間が早まるため、中々起きることができないという訳が認識されていますよね。
ですが作者の孟浩然が生きていた唐時代には、暁は午前3時のことを指すのです。
この時代、3時は役人が宮廷に仕事のために出勤する時間であり、日の出の時間ではありませんでした。
役人たちはまだ暗い中起き、宮廷に赴いていたのですね。
つまり古典の中で使われている「暁」という意味は日付変更の時間でありますので、「夜明け」ではなく午前3時の役人たちの出勤時間ということになります。
その内容を考慮して春暁を読んでいくと、孟浩然が暁の時間に寝ている事ができるということは、彼は役人ではなかったということになるのです。
孟浩然は午前3時にまだ寝ていることができる職種、または仕事をしていなかった、ということが推測できるでしょう。
孟浩然はこれだけの賢さを持っていたので、当時の資格試験であった科挙を受験しましたが不合格となっています。
科挙とは役人になるための試験。
科挙に受かるのは厳しい勉強をし、知識を得た一部の人間だけだったのです。
当然科挙に受かる事ができれば役人になることができるので、経済面でも生活が安定しますよね。
そこまで仕事がたくさんあった時代ではないので、科挙に受かる事は親戚中の中でも大変喜ばれる名誉であったことだったのでしょう。
ただこの科挙に不合格になったことで、孟浩然は自分の思った人生を歩むことができなかったのかもしれません。
だからこそ「暁」という言葉で役人の出勤時間を詩に表現し、自分は寝ているという表現をしたのでしょうか。
また寝坊するほどぐっすり寝ているはずであるのに、夜に風や雨の音が強かったといっているので起きていますよね。
おそらくを朝早く起きることができないのは、夜中まで起きていたからであるとも言えます。
何か寝ることができない思いや悩みがあったのかと、考える事もできるでしょう。
孟浩然の春暁から彼の人生を知る
春暁を作った孟浩然は、科挙試験を受けようと都に出たのは40歳を過ぎてからといいます。
現代人ほど平均寿命が長くない時代に、40歳で都に出るのは中々の勇気ですね。
よほど自分の知能に自信があったのかもしれません。
彼は山から降り、科挙試験を受けますが不合格。
その後山間で暮らしていますが、科挙試験は不合格であるものの、その詩人としての才能を買われます。
その才能により仕事を与えられることもあったと言いますが、孟浩然は山に帰ってしまいました。
この理由については諸説あり、孟浩然が書いた詩が時の権力者の怒りを買ってしまった、または芸術家としての血が政治内容に合わなかったので自ら帰ったなどがそれにあたります。
実際のところはわかっていませんが、孟浩然が役人として生活をしていなかったということは確かでしょう。
もしかしたらこの春暁を作った時には、その生活を良しとしていたのか、悔やんでいたのか、どちらともとることができますね。
孟浩然の人生はそこまで不遇であったというわけではなく、おそらく芸術家としての山あり谷ありはあったものの、比較的穏やかな暮らしをしていたということも考えられるでしょう。
困難な人生を歩むことが多い、唐代の詩人たち
孟浩然と同時代の詩人たちは、とても著名な人物が多いことでも有名です。
中でも李白と杜甫はその代表格でしょう。
ただ面白いことに、杜甫も孟浩然と同じく科挙試験には不合格となっています。
やはりそれだけ詩人になるほどの知識や語彙力があっても、役人に登用されるのは難しかったということですね。
現代だからこそ名詩人として教科書などで紹介されることも多い彼たちですが、当時もやはり有名であったのでしょうか。
李白においては科挙試験も受けておらず、41歳まで各地を放浪していました。
その放浪の中で様々な人脈を作り、ついに42歳で士官することになります。
ですが李白は元来奔放の性格であり、酒が好きだったことも災いに。
ようやく仕えることができた仕事で、李白は酒を飲む場で時の玄宗皇帝が信頼を寄せている部下たちをののしってしまい怒りを買ってしまいました。
常に自由でいたい思いがつよく、自分よりも上司の時間を大事にしなければいけない仕事には向いていなかったのですね。
一方で李白の人生の友人でもあった杜甫は、李白とは全く逆で融通の利かない不器用ものでした。
そのため士官をしても皇帝や周囲のやり方と合わなくなり、結局いられなくなってしまったといいます。
詩聖と呼ばれた杜甫と、詩仙と呼ばれた李白、そして孟浩然。
この時代に名の知れた詩人は数多く登場しましたが、その芸術的思考と性格で思う様な社会生活を送る事ができなかったことは言うまでもありません。
それだけイマジネーションの世界に生きていた人物たちとも言えそうですが、勿体ないとも言えますね。
やはり何か人より長けている人は考えている事も先を見ていたり、また自由な発想を持っていることで中々交わる事が難しいのかもしれません。
ただしっかりとその時代ならではの素晴らしい描写で作り上げた詩は、彼らの功績であることは間違いありません。
その証として、現代でも最高の芸術作品として残されていますね。
まとめ
こちらでは孟浩然の有名な漢詩・春暁についての口語訳などを説明すると共に、彼がどんな思いでこのような詩を作ったのか?ということなどまで解説してきました。
この時代の詩人たちは、その素晴らしい感覚から見事なまでの描写をした詩を数多く残しています。
だからといって決して完璧な人間ではなく、人間味溢れるキャラクターが魅力的。
人には長けている部分と未完成な部分が混在していることを、教えてくれていますね。
学ぶべきものが多い唐代の詩から知識を得て、さらに新しい芸術家が誕生することが現代美術の繁栄に繋がるでしょう。