日本でも端午の節句に食べることが多い粽(ちまき)。
ちまきとはもともとは中国からの影響を受けて日本でも食べるようになったとの説が有力です。
笹の葉などにくるまれたもち米は少し葉の青い香りが漂い、甘みのある食べ物として日本でも好まれています。
そんな粽(ちまき)ですが、なぜ食べられるようになったのか?
どんな意味があるの?などという、細かな疑問を持つ方も多いことでしょう。
ちまきの魅力を知ったら、普段はそこまで粽を食べないという方も、今年の端午の節句には食べてみようか…そんな気持ちになるかもしれません。
そこでこちらでは、ちまきについて、意味からレシピまでをご紹介していきます。
粽(ちまき)の意味は、中国の偉大な人物の供え物だった!
粽(ちまき)を端午の節句に食べる家庭は多いことでしょう。
まずちまきについて、こちらで簡単にご紹介します。
ちまきとは、もち米をおにぎりのように握ったもので、それを笹の葉でくるんで縛ったものをいいます。
現代でいう、おこわと考えれば良いでしょうか。
実際に、今の中華ちまきはアレンジされており、中がもち米で作った五目ごはんのようになっているものを多く見かけます。
これを1つずつ、紐をほどいて食べるのが醍醐味。
このちまきが日本に入ってきたのは、平安時代。
ちまきは日本で始まった食文化ではなく、やはり中国からの影響を受けていると言われています。
日本で端午の節句にあたる5月5日に食べるとされているのには、理由があります。
実は中国の著名な詩人であり、政治家である人物・屈原が亡くなったのが5月5日。
そのため、この人物を慕っていた人々が、命日になると川に供え物を投げ入れるようになりました。
それがもち米でできたおにぎりの様なものだったのかは謎ですが、昔の人々はその供え物が龍に盗まれてしまうと恐れたといいます。
それでは死んだ方へ届けることができないということで、その供え物に笹の葉を巻くことにしたのです。
それがちまきができた、由来とされています。
そもそもちまきという名がついた意味についてですが、これはもち米をくるんだ素材に理由がありました。
今でこそ笹などにくるんでいますが、昔はイネ科であるチガヤという植物を使っていました。
このチガヤでもち米を巻くという習慣から、チ巻きと名付けられたというのが有力なのです。
ちまきが端午の節句で食べられるようになったのはなぜ?
ちまきとは中国の屈原という、詩人で政治家であった人望のある人物にあげる供え物としてできた食べ物でした。
ですが、なぜ端午の節句に粽(ちまき)を食べる習慣がついたのでしょうか?
確かに屈原の死は、中国で大きな出来事だったことでしょう。
そこで悪い龍から供え物を守る為に、邪気払いをしたというのも納得です。
その邪気払いの方法ですが、龍が嫌いな「れんじゅ」でちまきを巻き、さらに5色の色違いの紐を使ったことで邪気を払ったとされています。
ただ日本で子供の成長を祝う端午の節句には、死が関係しているのでやや不向きな理由でありますよね。
実は、これが昔のちまきの作り方にも理由がありそうです。
中国では屈原にあげる供え物が悪い龍に邪魔をされ、届けることができないという理由のもとで葉にくるまれたとされていました。
実はそれ以外にも、邪気を払う作り方をしていたのです。
昔のちまきは灰汁を使い作られており、灰汁の中に入れることで物持ちを良くするという意味があったのでした。
灰汁には防腐剤としての役割と、殺菌作用があると考えられていた戦国時代。
武将たちは日々行われる戦により、あらゆるところへ出かけていました。
今の様に車があった時代ではないので、当然食べ物もそこまで運べませんし、何より日持ちのする食事もそうそうありません。
乾物などは力になりませんよね、そこで考えたのがもち米でできた食事を灰汁の中で煮込むということ。
灰汁の中で煮込んだちまきは、戦場でも日持ちをしたと言われているのです。
武士が食べる食事として、端午の節句に出したのは男子の強さを象徴していたともとれますね。
他には旧暦の5月には、湿気なども重なり伝染病なども増える時期でした。
医療が発展してない昔には、ちまきを食べて健康や長寿などを願ったとも言われているのです。
粽(ちまき)は関西発祥の和菓子!?
粽(ちまき)は京都を始めとする関西地方で、和菓子として愛されています。
関東でも和菓子として食べる場所ももちろんありますが、おそらく関西ほどではないかもしれません。
京都で有名な粽に、水仙粽というものがあります。
中国から伝わって来てから大分時間が経ち、日本でも糖分や粉の質、また戦国時代以降には茶の湯という文化も発展し段々と和菓子が注目されるようになってきます。
今まではもち米をそのまま葉につつんだだけのものから、葛や羊羹、ういろうなどまでもを使い葉につつんでくるむのが水仙粽でした。
中身が普通の団子である場合もあるのですが、それは団子ちまきと呼ばれていて水仙ちまきとはまた別物ですね。
細い三角形の形にした水仙ちまきは、京都の夏の和菓子として今でも愛されています。
一方で朝比奈ちまきというものも存在します。
朝比奈ちまきは、徳川家康が愛したと言われているちまきであり、朝比奈ちまきは戦国時代からその美味しさを知られていたのですが、発祥の地は藤枝市岡部町朝比奈です。
作り方はそう変わらないのですが、ちまき井戸と呼ばれている井戸の水で作られているのが特徴。
やはり椿の木を燃やした灰汁で煮込み、日持ちをさせて戦場に持参していたとのこと。
しかもそのちまきを食べると元気が出てきて、戦に勝利することが多かったというのです。
そのために朝比奈ちまきは縁起の良い和菓子である、という印象が今でもあるといいます。
そのちまきの噂を聞きつけた当時の徳川家康が興味を持ち、自分のところに献上させました。
やがて徳川家康はその朝比奈ちまきの魅力を知り、その後ちまきが好物になったのでした。
この様にちまき1つではありますが、様々なドラマや発展していった理由がありますね。
ですがどちらにしても、中国から伝わったちまきを日本の材料や風土にあったものへと変化を遂げさせたのは、日本人の知恵としかいう他ありませんね。
中華粽(ちまき)のカロリーは?
粽(ちまき)にはそれぞれ種類があり、日本では和菓子として愛されています。
ですが中華料理屋にいくと、ちまき料理を見かけることがありますよね。
あれは中華ちまきとして区別されており、料理の名称になります。
そこで中華ちまきのカロリーが気になるという方向けに、どのくらいのカロリーなのかをまとめていきましょう。
中華ちまきは名前の通り、味付けも中華風。
ごま油やラードなどを使うと味に深みがでるのですが、そこで気になるのがカロリーです。
中華ちまきは一般的なもので1つ180カロリー前後。
カロリーだけでいくと、一般的なヨーグルト2個分といったところでしょうか。
1つだけならそこまで高いという感じはしないはずですし、中華ちまきだけをたくさん食べるということも考えにくいですね。
中華粽(ちまき)のレシピを知りたい!
粽(ちまき)を和菓子として頂くのも美味しいですが、食事として中華ちまきを作ってみてはいかがでしょうか?
こちらで中華ちまきのレシピをまとめていきます。
*材料6人分の用意
・もち米を1.5合
・干しエビを大さじ1杯
・豚肉を100g
・にんじんを2分の1本
・干しシイタケを3つ
・たけのこ水煮を50g
・醤油を小さじ2杯
・ごま油を大さじ1杯
・菜種油を大さじ1~2杯
・竹の皮かアルミホイルを6枚
・タコ糸を6本
*調味料の材料
・しょうゆ大さじ1
・砂糖を大さじ1
・酒を大さじ2
・干ししいたけの戻し汁を100cc
*レシピ紹介
①もち米洗ったら半日ほど水にひたしたままにし、ザルにあげましょう。
②竹の皮も水で15分ほど戻します。
③豚肉は1センチ大角切り(しょうゆ小さじ1・酒小さじ1・しょうが少々)に漬け込みます。竹のこ・にんじん・シイタケも同じ大きさに。桜海老は水で戻します。
④ごま油をフライパンに引いて熱し豚肉を炒め、その他の材料と調味料を入れます。調味料を入れ混ぜ合わせたら、一度他のタッパなどに移しておきます。
⑤菜種油をフライパンに入れたらもち米を入れて、透き通るまで炒めます。炒めたらシイタケの戻り汁を入れて、醤油小さじ2杯を入れ、火を通します。そして先ほどのタッパのものを全部入れ、混ぜます。
⑥できた混ぜご飯を6等分したら葉にくるみ、糸で縛ります。
➆そのちまきを蒸し器に入れて、40分は蒸しましょう。
これがちまきのレシピとなります。
柏餅などと一緒に食べて、端午の節句を祝ってみませんか?
まとめ
ちまきの歴史や意味、さらに中華ちまきのレシピまでをもご紹介してきました。
日本文化は中国からはいってきているものが多いのですが、食文化もその代表例ですね。
ちまきには和菓子として食べる風習がありますが、中華ちまきに関しては具材も豊富ですし、ご飯として食べる事ができます。
柏餅と同じ時期に食べるの良いですし、しっていると何かの時に手料理としてふるまうこともできるでしょう。
ちまきの歴史を知り、また別物としてぜひ中華ちまきのレシピを覚えてみてはいかがですか?