「後の藪入り(のちのやぶいり)」という言葉は、あまり聞いたことがない方も多いかもしれません。
しかし、実はお盆の帰省に深い関係がある案外身近な言葉なんです。
後の藪入りについて紐解いていくと、江戸時代の奉公人や女性の暮らしや、そこから現代に根づいた習慣の意味を知ることができます。
今回は「後の藪入り」の意味や語源を解説していきます。
当時の人々の暮らしぶりや、後の藪入りと同時に催される「閻魔参り」もご紹介しているのでぜひ参考にしてください。
後の藪入りは旧暦7月16日!奉公人が帰省する日だった
後の藪入りは、旧暦の7月16日を指します。
江戸時代の奉公人や嫁入りした女性が、旧盆が明けたあと実家へ帰省する日でした。
そもそも「藪入り」とは、商家などに住み込みで働いていた奉公人や、夫の家に嫁いだ女性が生家へ帰ることができた日のこと。
旧暦の1月16日、7月16日と年2回ありました。
1月16日の「藪入り」と区別するために、7月16日が「後の藪入り」と呼ばれるようになったのです。
当時の奉公人は自由に帰省することは許されておらず、藪入りだけが堂々と実家へ帰れるほぼ唯一の休暇でした。
また、江戸時代の女性は結婚したあと生家の門をくぐることは許されていませんでしたが、藪入りだけは子どもを連れて帰ることができたのです。
藪入りの期間がどの程度になるかは、主家や婚家によって違いがありました。
いずれにしても、後の藪入りは大切な家族と久しぶりに会える、待ちに待った休日だったんですね。
藪入りの語源の一説は「籔林のある故郷へ帰るから」
藪入りと呼ばれるようになった理由には諸説があり、はっきりとはわかっていません。
いくつか代表的な説を挙げてみます。
- 籔林を分け入って故郷へ帰るため
- 「宿入り(やどいり)」が訛って藪入りになった
- 養父入り・家父入りの当て字
このほか、江戸時代中期に編纂された百科事典「和漢三才図会(わかんさんさいずえ)」には、「天涯孤独で帰る家のない者は藪のなかに入ってやり過ごすという意味か」との解釈が載っています。
そうだとしたら、ちょっと切ない語源ですよね。
また、関西では藪入りが6のつく日であることから「六入り(ろくいり)」、鹿児島では親と対面することから「親見参(おやげんぞ)」と呼ばれていました。
お盆が終わる時期だから7月16日が後の藪入りになった
7月16日が後の藪入りになった理由は、奉公先や嫁ぎ先でお盆の行事を行ったあと実家へ帰る必要があったからです。
昔の小正月(1月15日)とお盆(7月15日)には、現在と同じくさまざまな行事が行われていました。
かつて貴族や僧侶など高貴な身分の人だけが行っていたお盆も、江戸時代には一般に定着。
お花やろうそく、ちょうちんを買ってきて盆棚(仏壇の前に設置する先祖に供え物を供えるための棚)にしつらえたり、お墓参りに行ったり、今の私たちと近いことを行っていました。
主家や婚家でそうしたお盆の行事をしっかり終えてから、今度は自分が生まれた家でお盆を迎えるために帰省していたというわけですね。
奉公人の場合は、行事を終えると主人からお小遣いや給金、「お仕着せ」と呼ばれる着物や履物をもらい、それを着て実家へ帰っていたそうです。
また、貯めた給金で兄弟におもちゃを買って帰ったり、仕送りとしてそのままお金を渡したりと、久しぶりに会う家族のためにお土産も用意していました。
このような背景を知ると、主家との主従関係や、人々にとっていかに後の藪入りが喜ばしかったかが伺えますよね。
後の藪入りは家族と会えるとても貴重な休暇だった!
昔の奉公人には基本的に定休日はなく、年2回の藪入りが貴重な休み。
商家の場合は丁稚(でっち)・小僧・女中、農家では作男(さくおとこ)・子守などの奉公人が休みをとって実家に帰っていました。
また当時は10代前半で奉公に出されることが多く、奉公人になって間もない子どもは「里心がついてしまう」と考えられ、3年間は帰省できませんでした。
古典落語から後の藪入りの喜びを読み解く
「藪入り」は古典落語の演目にもなっており、とくに有名なのが三代目・三遊亭金馬の噺です。
その内容から、いかに藪入りが当時の人々にとって楽しみだったかを見てみましょう。
<ストーリー>
丁稚奉公に出ている一人息子が、藪入りのため3年ぶりに帰ってくることになりました。
父親は前日の夜から楽しみでソワソワと落ち着かず、全く寝つけません。
いざ息子と対面すると感極まってなかなか言葉も出ず、涙で顔も見えない父親。
立派に成長したと感動していたものの、息子がお風呂へ行っている間に財布を覗いてみると、なかには高額のお札が3枚も入っていました。
なにか悪事を働いて得たお金じゃないかと息子を問い詰めると、当時流行っていたペスト対策のために、店で出たネズミを捕まえて交番に持って行ったら懸賞に当たった。
主人が「せっかくの藪入りだから実家へ持って行ってやれ」と渡してくれた、と言います。
感心した父親が「主人に感謝しなきゃな。これもチュウ(忠。主人につくす心)のおかげだ」と言ってオチが着く、という噺です。
藪入りの前日から楽しみで寝れず、久しぶりに見る息子の姿にいたく感動する父親の姿が可愛らしく、深い親子愛を感じられるお話ですね。
また、奉公人というと主従関係のもと強制的に労働させられていたようなイメージがありますが、藪入り前に懸賞金を渡してくれる主人の優しさも描かれています。
「後の藪入り」は、家で待つ親にとっても、主人の家で働きながら逞しく成長した子どもの姿を見られる貴重な機会だったのでしょう。
後の藪入りだけじゃない!7月16日は閻魔参りの日でもある
7月16日は後の藪入りだけでなく、閻魔様にお参りする「閻魔参り」の日でもあります。
閻魔参りは「閻魔賽日(えんまさいにち)」とも呼ばれ、地獄の窯のフタが開きっぱなしになって鬼や亡者も休む日。
「亡者の骨休め」ともいわれる、地獄の定休日です。
閻魔様の縁日は毎月1日と16日にあり、閻魔様がご本尊のお寺ではご開帳が行われます。
なかでも1月16日と7月16日は上記のとおり閻魔参りにあたるため、各お寺の前には露店が並んで賑わいを見せます。
そのため、後の藪入りで帰省していた奉公人も縁日に出かけたり、閻魔堂にお参りしたりしていました。
実家が遠方で帰省できない奉公人も、寺院参りや芝居見物をしていたそうです。
「地獄も休みの日だから」と、当時の奉公人も大手を振って休暇が楽しめていたのかもしれませんね。
藪入りの別名「走百病」は中国が由来
藪入りは「走百病(そうひゃくへい)」とも書くことができます。
走百病はもともと中国の言葉。
中国では旧暦1月15日を「元宵節(げんしょうせつ)」といい、各地で灯篭祭りなどの行事が開催されます。
獅子舞も繰り出し、多くの人々が見物に訪れて賑わうそうです。
また「元宵団子」というお団子を食べ、家族の団欒を願います。
そして、一部の地域には「走百病」という風習も存在するんです。
病気や災いを祓う目的で、女性が連れだって路地を進んだり、郊外まで練り歩いたりします。
走百病が藪入りの別名になった理由は定かではありません。
ただ、先述したように休暇をもらった奉公人は寺院参りをすることが多かったので、信心に通ずる行動をしていたのは日本も中国も同様だったとわかりますね。
後の藪入りの背景を知ってお盆に一家団欒を楽しもう
今回ご紹介したとおり、「後の藪入り」は江戸時代の奉公人が実家へ帰省できる日のこと。
いまでもお盆に帰省する風習がありますが、これは後の藪入りが由来だったんです。
あまり聞き慣れない言葉ですが、実は意外と身近だったことがわかりましたね。
お盆は現代の日本でも、普段離れて暮らす家族が顔を合わせられる大切な休暇です。
新暦への移行が行われた現在は8月盆(月遅れ盆)が一般的ですが、新暦と旧暦には1ヵ月以上の差があるため季節的には当時と比較的近い時期にあたります。
昔の奉公人や女性は自由に生家へ帰ることも許されていなかったと考えると、毎年何気なく迎えていたお盆もなんだか貴重な日に思えてきますね。
「今年は帰らなくていいかな」なんて思っていた方も、ぜひお盆を機に実家へ帰省して、ご家族に顔を見せてみてはいかがでしょうか。