今でも熱狂的なファンがいることで知られている作家が太宰治です。
大抵の人は教科書で一度は彼の作品に触れているでしょうが、そこで終わってしまうことも多いでしょう。
太宰の故郷、五所川原市は青森県の津軽半島の南、ちょうど半島の付け根部分に位置しています。
毎年8月に五所川原立佞武多(たちねぷた)が開催され、りんごの名産地としてもよく知られています。
五所川原市では太宰の生家など、ゆかりの建物が昔のままの姿で保管されており、毎年生誕祭も行われています。
今回は太宰治生誕祭について解説します。生誕祭の内容や五所川原市内で行われるイベントに出かけると、太宰の魅力を新たに発見できるかも知れませんよ。
太宰治生誕祭とは?桜桃忌とは違います!
太宰治は1909年6月19日に、青森県五所川原市金木町に誕生しました。
太宰の生家は大地主だった上に、父親は衆議院議員まで務めた人物で「金木の殿様」と呼ばれていました。
このため、太宰の生家は大変な豪邸で、現在も国指定の重要文化財になっています。
現在この生家は、「斜陽館」と名付けられ、太宰治記念館として活用されています。
青森県立芦野公園には、太宰の文学碑が建てられており、ここで毎年太宰の誕生日、6月19日に行われているのが太宰治生誕祭です。生誕100年記念の2009年には太宰の銅像が建立されたため、より一層多くの人が五所川原を訪れるようになりました。2015年の文学碑建立50周年記念の際には、太宰の長女・津島園子さんが参列、挨拶をしました。
生誕祭では、太宰作品の朗読や太宰治賛歌の合唱の後に、太宰の好物だったさくらんぼが供えられます。
最後には来賓やファンにより次々と祝花が捧げられます。あくまでも誕生祝いなので、祝花なのですね。
生誕祭の後は文学碑の前で昼食会が開かれます。参加するためには事前の申込みが必要ですが、生誕祭のよい思い出になるのではないでしょうか。
知っている人も多いでしょうが、太宰は1948年に39歳で入水自殺をします。
太宰の墓所がある東京・三鷹の禅林寺では、太宰の遺体が発見された6月19日を桜桃忌としており、今でも熱烈なファンが訪れています。
生誕祭もかつては桜桃忌という名前でしたが、遺族の意向により1999年から「太宰治生誕祭」という名前に改められました。確かに同じ日程で同じ名前では、少し紛らわしいですし、その死を悼むのではなく、生誕を祝うことができるのは、やはり生まれ故郷の五所川原ならではですね。
太宰治と関係なくても行きたい!「芦野公園」は素敵な観光地!
生誕祭が行われる県立芦野公園は、芦野湖を含む約80haの自然公園です。芦野湖の湖畔には、2200本の桜と1800本の老松が広がっており、春の眺めは素晴らしく、多くの人が訪れる観光地になっています。
芦野公園の中には、津軽鉄道の駅・芦野公園駅があります。県立公園の中を鉄道が通っているのは大変珍しいことです。春、満開の桜の中を走っていく列車の姿は、きっと多くの人の心をつかんだことでしょう。
太宰もそんな1人だったようで、子どもの頃によく遊んだことが縁で、1965年に文学碑が建てられました。
碑文として太宰が愛唱していたヴェルレーヌの詩が刻まれています。
「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」
太宰はやはり自分を選ばれた者だと自覚していたのでしょうか。
ちなみに旧芦野公園駅の駅舎は今も健在で、喫茶店として営業しています。
その名も「駅舎」といいますが、太宰がかつて通っていた珈琲店「万茶ン」のオリジナルブレンドコーヒーを楽しむことができます。この駅舎は太宰の小説「津軽」に登場することでも有名です。
太宰治がその目で眺めた駅舎を私たちが自分の目で見ることができるのは、何か不思議なつながりを感じます。
もちろん昔の駅舎の外観の可愛らしさを眺めるだけでも、十分に楽しめます。
太宰治生誕祭とともに行われるイベント!太宰を見る目が変わる?
五所川原では毎年太宰治の生誕祭とともに、様々なイベントが行われます。
イベントの内容には年によって違いがあります。やはり生きている人間の誕生日と同じで、節目の年にはイベントも盛大になるようですが、毎年出かけても新たな発見ができるようになっています。
2019年は生誕110年を記念して、太宰治展(立佞武多の館美術展示ギャラリー)、太宰治文学映画祭、記念フェスティバル、記念講演会などを行います。
太宰治展では、彼の作家としての歩みを愛用品や貴重な資料からたどっていきます。
熱烈な太宰ファンでなくても、この展示を見ると、太宰治の存在が身近に感じられるようになります。
作家はともすれば作品の影に隠れてしまいますが、実際に愛用したものなどを見ることで実在した人物なのだということが実感できるようになります。
ファンになってから聖地巡礼をするのもよいですが、聖地巡礼をしてから太宰の世界に足を踏み入れることで、きっと彼の作品が胸に迫ってくるはずです。
太宰は人間の暗い所、生命が生まれるだけではなくそれが滅びていくところも全力で描こうとしています。
人間は誰でも明るい部分だけではありませんから、暗いところも描こうとしている太宰の姿勢に惹かれてしまうのかも知れませんね。
暗くて嫌だと思っていても、実際に太宰を育てた五所川原の街並みを眺め、イベントに出かけて見ることで、自然に太宰の世界を受け入れることができるかも知れません。
様々なイベントは様々な角度から太宰治という人間について私たちに教えてくれるのです。
好きな作家が1人増えると、自分の世界がとても広がります。これだけの人に読みつがれている太宰文学を素通りするのはもったいない話です。
五所川原では、太宰治の足跡をたどることが観光になる!
太宰治の生誕を祝うために五所川原を訪れるなら、斜陽館や芦野公園のほかにもゆかりの場所を訪ねてみましょう。
斜陽館は太宰の生家ですが、第2次世界大戦中に彼が家族とともに疎開した家が2007年より一般に公開されています。
「太宰治疎開の家」は大正時代に、太宰の兄夫婦の新居として建てられました。
「新座敷」と呼ばれたこの家は、斜陽館にも劣らない重厚な造りになっています。随所に洋風の造りが取り入れられているのが、今見てもおしゃれに思えます。今では作ることが難しい建物を眺め、過去の人たちの生活の様子を考えるだけでも、時間が経ってしまいそうですね。
この家に滞在した1年4ヶ月の間に太宰は23もの作品を生み出したということです。
斜陽館の近くにあるのが、雲祥寺です。子守の少女に連れられて、幼い太宰がよく遊びに来ていたそうです。
そのため、2008年には記念碑が建てられました。
碑文の「汝を愛し 汝を憎む」は太宰の直筆を複製したものです。
一人静かに記念碑を眺めれば、この言葉は胸に染み入ってくるかも知れません。
病弱だった母に代わり、自分を育ててくれた叔母のことを太宰は母よりも慕っていました。
後にこの叔母が住んだ家には、太宰も小中学生の頃にはよく遊びに訪れていましたが、蔵が建っていました。
この蔵は区画整理で1度は解体されましたが、解体した部材をもとに2014年に太宰治「思ひ出」の蔵として再建、公開されました。中には太宰からの手紙などが展示されています。
太宰の幼年期に深く関わりのある叔母の家を訪れることで何か発見がありそうですね。
太宰治の足跡をたどることが、五所川原の観光そのものなのです。
生誕祭が近付くと町は太宰治、一色!その様子も楽しもう!
2019年も太宰治生誕祭に向けて、町は太宰の色が濃くなっています。
駅やショッピングセンターには太宰治生誕を記念するロゴが取り付けられていますし、津軽鉄道ではロゴを取り付けた「太宰治生誕110年列車」が運行しています。
スーパーやコンビニでは太宰治生誕110年を記念したパンが販売されています。
青森市の工藤パンが製造しているパンは3種類、イギリストースト、カステラサンド、メロンパンです。イギリストーストとカステラサンドは、文庫本をイメージしたパッケージになっています。
パンの袋に印刷された太宰の顔がじっとこちらを見つめているのもご愛嬌です。イギリストーストは青森ではおなじみの菓子パンですから、一度は食べてみたいですね。
太宰ゆかりの場所を訪ね、生誕祭に関係するイベントに参加するのもよいですが、生誕祭に向けて動いている町の空気も楽しんでみてください。毎年太宰の色が濃くなる町を眺めていると、きっと太宰に親しみと興味が湧いてくるはずです。
まとめ
今回は太宰治生誕祭について解説しました。
生誕祭が行われる場所と日程や桜桃忌との違いについて説明しました。同じ日程で行われる行事ですが、1度は生まれ故郷の五所川原で行われる生誕祭に出かけてみたいですね。
また五所川原市内の太宰ゆかりの場所についても説明しましたから、生誕祭に出かけるときには、ぜひ立ち寄ってください。
生誕祭に関連するイベントとともに、太宰治の新しい顔を発見するのに役立つに違いありません。生誕祭を控えて、太宰一色になる町の様子も楽しんでくださいね。
それにしても、太宰治が亡くなったのは、戦後間もない頃です。
その人の著書がいまだに多くの人に影響を与えているだけではなく、命日には手を合わせてもらい、誕生日を祝ってもらっていることには感心させられます。
今まで太宰治の作品を敬遠していた人も、太宰治生誕祭に出かけてみませんか?きっと世界が広がるはずですよ。