お祭りと聞いて思い浮かべるのは、どんなことでしょうか。
一番多く思い浮かべられるのは、神輿ではないでしょうか。
大勢の人たちに威勢よい掛け声とともに担がれる神輿は、日本の祭りの象徴といってもよいでしょう。
東京浅草の三社祭は、そんな神輿が有名です。
しかし三社祭はいつ始まったのか、どんな由来があるのかまで知っている人は、余りいないかも知れませんね。
きちんと知れば、三社祭がより楽しめるようになりますよ。
今回は、浅草の三社祭について解説します。
三社祭は浅草神社のお祭り!名前の由来とは?
三社祭は東京浅草にある浅草神社の例大祭で、毎年5月に開催されています。
正式名称は「浅草神社例大祭」です。
三社祭という名前は、浅草神社の古い名前が三社大権現社、または三社明神社だったため、いわれるようになりました。
628年に隅田川で漁をしていた兄弟の網に、同じ人形が繰り返しかかりました。
不思議に思った兄弟が、物知りとして有名な人物のところに相談に行ったところ、人形は観音像だとわかりました。
これがきっかけで兄弟は観音像を毎日拝むようになり、相談された物知りの人物は出家して僧になりました。
これが浅草寺の由来であり、浅草寺を創建したために兄弟と、物知りの人物が神様として神社に祀られることになったのです。
兄弟の名前は檜前浜成と竹成、物知りの人物は土師真中知といいます。
3人が祀られたから、三社なのですね。
祭りは明治に入るまでは、浅草寺の「観音祭」または、「浅草祭」として行われていましたが、
神仏分離によって浅草神社が切り離されたために、浅草神社単体での「三社祭」として発展しました。
「観音祭」の時代には、三社の名前の由来がもとになり、船祭りが行われていました。
神輿は人々に担がれるだけでなく、船に乗っていたのです。
この頃の祭りの主役は各町から出される山車でした。
浅草神社の氏子町だけでも18町ありましたから、その豪華さは見事なものだったようです。
船祭りは江戸時代が終わるまで行われましたが、明治5年には現在のように神輿の渡御が行われるようになりました。
三社祭はいつ開催される?祭りの主役・神輿について
現在三社祭は、毎年5月の第3金・土・日曜日が開催日ですが、やはり神輿渡御は一番の見どころです。
神輿はその名前が示す通り、神様の乗り物です。
輿(こし)はお供が担ぎ上げて移動する、高貴な人のための乗り物でした。
浅草神社には、3基の宮神輿があり、それぞれに神様をお移しして渡御することで、街中を神様に見ていただきます。
かつて浅草神社の宮神輿は徳川家光が寄進したもので、国宝になっていましたが、第2次世界大戦で消失してしまいました。
戦後宮神輿を復興させるために、わざわざ日光東照宮で家光ゆかりの神輿を調査したそうです。
現在の宮神輿は氏子44町から寄進されたものです。
新たな宮神輿の特徴は、胴が細く、屋根の四隅に付いた蕨手(わらびで)という装飾が大きくなっていることです。
町神輿に比べると一回り大きく感じる重厚な魅力を持つ宮神輿を見ていると、氏子の人々の祭りに対する熱意が伝わって来るように感じます。
神輿を担いでいる最中にわざと上下左右に揺さぶり、動かしますが、これは祭りで興奮しているからではありません。
神輿にいらっしゃる神様に対して「魂振り(たまふり)」を行っているのです。
これを行うことで神様の力が強くなり、豊作や豊漁がかない、疫病が退散すると信じられていました。
また44ある氏子町内でも、100基に及ぶ神輿を所有しています。
これらの町神輿は、宮神輿を手本にして作っているものが多いのですが、よく見ると細部の装飾が宮神輿よりも色彩が豊かで華やかです。
数多くの町神輿を見比べるのも、三社祭の楽しみですね。
祭り2日目にはこの100基の神輿が街中に繰り出します。
宮神輿のお出ましは最終日です。街中を渡御し、浅草神社へとお帰りになると祭りが終わりになります。
どちらも威勢のよい神輿ですが、違いを知っていると少し見る目が変わってきそうです。
宮神輿には御祭神が乗っているんだな、と思いながら見てくださいね。
神輿を楽しむために、注意した方がよいこととは
三社祭2日目と最終日は、神輿を見るための日だといえます。
街は人出も多く、交通規制もされているので、とても混雑します。
祭りで気が立っている人も大勢いるでしょう。
もともと三社祭では神輿の担ぎ手が、神輿に乗る例が後を絶ちませんでした。
浅草神社境内から神輿を出す宮出しのときに、宮神輿に担ぎ手が殺到します。
みな自分たちが担ぎたいので、「神輿に乗って自分たちが担ぐぞ」とアピールをするために神輿乗りをしたのだと思われます。
これは大変危険な行為として、浅草神社や浅草神社奉賛会(祭りの主催者)も禁止してきました。
2006年には神輿乗りの結果、宮神輿の担ぎ棒が破損するという事件に発展し、2008年の神輿渡御などの中止につながってしまいました。
祭りに熱気があるからこそ、このようなトラブルが起きるのでしょうが、興奮している人たちに巻き込まれないように、神輿には近付きすぎないなど、安全に充分注意することが必要です。
浅草神社の神輿渡御は、神社から事前にルートが発表されます。
3基の宮神輿それぞれの順路図をダウンロードして閲覧することができるようになっています。
事前にチェックしておけば、計画的に神輿を楽しむことができますよ。
各町の神輿渡御については、数が多いためルートなどは発表されていません。
100基あるといわれている町神輿のうち、44基は浅草神社で宮入りと宮出しを行うので、色々な町の神輿が見たい場合は、神社周辺にいるとよいかも知れません。
見どころは神輿だけではない!伝統芸能を味わおう!
三社祭の見どころは神輿だけかというと、そんなことはありません。
祭りの初日の「大行列」は、忘れてはいけない見どころです。
これは伝統芸能のエッセンスが詰まったような行列です。
浅草あやめ連のお囃子屋台、鳶頭木遣り、三社祭のときにしか見られないびんざさら舞、手古舞、芸者衆、白鷺の舞などが行列して行きます。聞き慣れない名前の芸もありますから、少し解説しますね。
・びんざさら舞
びんざさら舞は、びんざさらという細い板を束ねた楽器を持って舞うのでこの名前が付きました。
びんざさらは擦ることで、板と板が音を出します。びんざさらと太鼓で色々な音を出して豊作や悪霊退散を願います。
これは田楽の一種で(田植え行事が芸能になったもの)、平安から鎌倉・室町時代にかけて大流行しました。
色鮮やかな衣装と太鼓、巻き散らされる紅白の紙吹雪(これは籾まきを表しているそうです)は、
なぜか異国情緒を感じさせます。
東京都内で田楽を見ることができる神社はとても少ないので、三社祭のときにはびんざさら舞を、ぜひ見ておきたいですね。
・手古舞
もともと木遣り唄を歌いながら、山車の前に付き添った鳶職をてこまえ(手棍前)といいました。
そのてこまえを芸者衆が真似したものが手古舞と呼ばれるようになりました。
男装した芸者衆は、きらびやかな衣装を着たときとは違った魅力が感じられます。
手古舞のときには、お揃いの衣装の片袖を外して、中の襦袢(和服のときの下着です)を見せているのが大胆でおしゃれに見えます。襦袢は鮮やかな赤なので、目を惹きつけます。
宝塚歌劇団ができる前から、人々は男装の麗人の魅力がわかっていたのですね。
・白鷺舞
白鷺舞は、京都の八坂神社が起源ですが、1652年の「浅草寺慶安縁起絵巻」の祭礼行列に鷺舞の姿があったことから、1968年の東京百年の記念行事として浅草寺で復興されました。
頭に白鷺の首を付け、手に羽が付いた姿での舞は、とてもかわいらしく、見ていると心が和みます。
・木遣り唄
木遣り唄を聞くと、祭りのムードが高まるのを感じます。
木遣りはもともと大木など重いものを運ぶときに、みなの息を合わせるために歌われました。
それが江戸では火消しの鳶たちの間で広がり、祝い事や祭りにも歌われるようになったのです。
今では木遣り唄を聞くと、祝い事や祭りを反射的に思い出しますね。
このように大行列を見物すると、色々な伝統芸能を一度に楽しむことができますから、ぜひ見物してください。大行列は雨天中止ですから、見られたらラッキーです。
神輿以外の見どころを、ゆっくりと楽しんでくださいね。
まとめ
三社祭の由来やいつ開催されるのかなどについて、解説してきました。
祭りの主役の神輿だけでなく、ほかの見どころについても解説したので、見物に行くときの役に立てていただければ幸いです。
祭りでトラブルがあったと聞くと、怖いと思ってしまいがちですが、トラブルが起こるということはそれだけ人々の気持ちが高まっている、見どころがたくさんある祭りだということなのです。
そして祭りを主催する多くの人たちが、トラブルが起きないように心がけていますし、起きてしまったときには厳正に対処しています。
ぜひ、怖がりすぎないように、でも安全には充分に注意して三社祭を楽しんでください。
神輿以外も楽しめますよ!