パンやパスタを食べる人が増えてきたとはいえ、米は大切な日本人の主食です。
昔の日本人にとっては、米を作ることは命をつなぐことでした。米作りに欠かせないのは田植えですが、今のように機械化されていなかったために、田植えは重労働でした。
昔の日本では、苦しい田植えを少しでも楽しく、効率よく行うために田植え歌を歌いながら、リズムにのって田植えをする風習ができ、これが御田植祭のもとになりました。
そのため御田植祭は日本にたくさんあり、どれを見ればよいのか迷うほどです。
今回は御田植祭の代表格、伊雑宮御田植祭について解説します。
伊雑宮御田植祭とは?伊勢神宮との関係は?
伊雑宮とは、三重県志摩市磯部町にある神社で、伊勢神社内宮である皇大神宮の別宮の一社に当たります。
伊勢神社の別宮は14社ありますが、伊勢国の外にあるのはこの伊雑宮だけです。
また、神田を持っている別宮も伊雑宮だけです。
ちょっと特別感が漂う伊雑宮ですが、読み方は「いぞうぐう」または「いざわのみや」です。
正式には旧字体を使って「伊雜宮」と書きますが、現在は常用漢字を使って「伊雑宮」と表記されることが多くなっています。
この伊雑宮の御田植祭が、日本三大御田植祭の一つ、伊雑宮御田植祭です。
ちなみに日本三大御田植祭、残りの二つは千葉県の香取神社、大阪府の住吉大社の祭りです。
住吉大社の御田植祭はよく知られていますが、これに並ぶほどの祭りだというだけで、見物に行きたくなる人もいることでしょう。
歴史も古く、平安時代末期から鎌倉時代にかけて始まったといわれています。
日本に御田植祭はたくさんありますが、どれかを選ぶとすれば、古くから人々に守られ、引き継がれてきた伊雑宮の御田植祭を最初に見物するとよいのではないでしょうか。
伊雑宮御田植祭の由来とは?2019年の日程は?
伊雑宮御田植祭の由来は、倭姫命にあります。
倭姫命は第11代垂仁天皇の皇女で、天照大神を現在の伊勢神宮に祀った女性です。
この倭姫命が伊勢神宮へ供える食べ物を探して志摩まで来たときに、一羽の白い真名鶴がくわえていた稲穂を落とした伝説から御田植祭が生まました(諸説あります)。
鶴はかつてめでたいことが起こる前触れとして現れる鳥(瑞鳥)といわれ、田に降りてきて落穂をついばんでいる姿が多く見られたため、穀物の神のように扱われていました。
鶴がくわえていた稲穂から稲作が始まったという伝説は日本中にありますから、本当に倭姫命は白い真名鶴を見たのかも知れないと思えてきますね。昔の志摩市では伊雑宮の周辺だけが、米作りに適していたそうですから、白い真名鶴の伝説も信憑性を帯びてきます。
稲穂をくわえた鶴は、同じ磯部町の佐美長神社に五穀豊穣の「大歳神」として祀られて現在に至っています。
またこの祭りは毎年曜日に関係なく同じ日程、6月24日に行われます。2019年ももちろん同じ日程です。
6月24日は倭姫命が志摩にやってきた際に、7匹のサメが野川を遡上して、伊雑宮の鎮座地を教えた日です。
毎年この日に7匹のサメが伊雑宮に参詣すると伝えられているため、近隣の漁師や海女は漁を休み、伊雑宮に参詣するそうです。
御田植祭を行う伊雑宮ですが、こんな経緯があるため、漁業を行う人々の信仰も集めているのです。
不思議な伝説に彩られた伊雑宮御田植祭ですが、実際の祭りの見どころは大きく3つあります。
「竹取神事」、「御田植神事」そして「踊り込み」です。この見どころについて順番に説明していきますね。
勇壮な竹取神事!団扇に書かれた太一の意味とは?
竹取神事は男性約40人によって、田植えの前に行われます。
水の張られた田の中でふんどし姿になった男性たちが、泥だらけになりながら、大きな団扇が付いた竹(忌竹)を奪い合うのが竹取神事です。
とても目を惹く大団扇ですが、これはごんばうちわという名前で、竹の上下に2つ付けられています。
上の円形の団扇は直径2.6m、下の団扇は幅3m、長さ4mもあるそうです。下の団扇には帆柱の先に赤い宝珠が付いた宝船が描かれており、船の帆には「太一(たいち、たいつ)」と漢字で書かれています。
太一とは神道や陰陽道で使う言葉で、宇宙の根源を意味しています。また、北極星を指している場合もあります。
かつて北極星は地上から見るとほとんど動いていないように見え、北の星は北極星を中心にして回転しているように見えました。そのため北極星は天の中心と考えられ、太一は「最高の神」、「宇宙の始まりの神」を意味する言葉になりました。
竹取神事での太一は、伊雑宮の祭神、天照大神のことを表しています、
忌竹は神様の依代とされ、男性たちが勇ましく奪い合うことで、その年の豊作と豊漁を願います。
宝船の赤い宝珠の部分は、航海の安全と豊漁のお守りになるため、かなり激しい争奪戦が繰り広げられます。
竹取神事が終わった後の忌竹は、泥を洗い流し、切り分けて縁起物として参加者に分けられるそうです。
漢字の読み方が難しい?御田植神事には様々な役目がある!
竹取神事の後に、神田で行われるのが御田植神事です。早乙女と田道人が一列に並んで、田楽の演奏に合わせながら田に苗を植えていくという内容です(つまり田植えそのものです)。
やはり早乙女は御田植祭の花形です。この祭りでは、早乙女は数少ない女性なので、華やかさを添える貴重な存在です。
白い装束に赤いたすきをかけ、菅笠をかぶった早乙女の姿は初夏の太陽のもとでとても美しく感じられます。
小学校高学年から中学校に通う女の子たちから選ばれるため、名実ともに早乙女の彼女たちの姿をしっかりと見ておきたいですね。
田道人は男性ですが、年齢は20代と決まっているようです。早乙女と手をつないで田に入る姿は、早乙女をフォローしているようにも見えて、微笑ましいの一言です。
早乙女と田道人は神田に奉仕をするために、地元の人々の中から選ばれます。
伊雑宮のある磯部町の9地区が毎年交替で奉仕を行うことになっています。奉仕する人々は役人と呼ばれ、早乙女と田道人以外にも様々な役目を分担します。
役人の読み方は「やくびと」です。田道人は「たちど」と読みます。読み方が難しい漢字が次々と出て来ますが、前もって予習しておくと祭りの世界にすんなりと入ることができますよ。
田植えのときに演奏される田楽は、磯部の御神田(いそべのおみた)といい、毎年御田植祭で奉納されるために、祭りそのものも御神田と呼ばれるようになりました。田楽を担当するのは、10人あまりの男の子たちです。ささらや笛、大鼓(おど)、小鼓(こど)などの楽器を演奏する男の子たちの姿を見るのも、御田植神事の楽しみの一つでしょう。
半分ほど苗を植えたところで、中休みが入り、役人に酒が振る舞われ、舞が舞われます。
この舞は「刺鳥差の舞(さいとりさしのまい)」といい、田楽でささらを担当した男の子によって舞われます。
古くから伝わる、ゆったりとした所作が特徴の舞は、見ていると時間を忘れてしまいそうになります。
この後はいよいよクライマックスの踊り込みへと祭りは進んでいきます。
200mを2時間で!ゆっくりと楽しめる踊り込みの世界!
御田植神事が終わった後は、刺鳥差の舞を舞った男の子2人が中心となり、踊り込み歌が始まります。
神田から出発した一行は、伊雑宮の一の鳥居までの参道を、踊り込み歌に合わせ、踊りながら練り歩きます。
参道の長さは200m程しかありませんが、練り歩くのにかかる時間は2時間といわれています。
途中でお神酒などをいただきながらのゆったりとした進み方には、現代の生活に慣れてしまった私たちは驚いてしまいますが、この優雅さが伊雑宮御田植祭の素晴らしさです。
踊り込みの一行は若い男性2人に先導されていきます。この男性は朳差し(えぶりさし)という役目です。
杁とはグラウンドを整備するのに使うトンボによく似た農具で、田をならすのに使います。
竹取神事の後の田も、杁差しがきちんとならしてから田植えを行います。
踊り込みのときには杁の柄で地面をついて、拍子をとりながら一行をリードします。
ゆったりとした優雅な行列と、力強い杁差しのギャップが一層踊り込みを魅力的に見せてくれるようです。
踊り込みの一行が境内に入り、千秋楽となり、御田植祭は終了となります。
勇壮な竹取神事、のどかな御田植神事、優雅な踊り込みと3つの見どころがそれぞれ違う特色を持っている伊雑宮御田植祭は、一度に3つの祭りを見物したような豊かな気分にしてくれます。
まとめ
今回は伊雑宮御田植祭について解説しました。
地元の人は田舎の素朴なお祭りと謙遜していますが、決してそんなことはありません。
衣装も本格的で、これだけの祭りを引き継いでいる地元の人々の苦労が忍ばれます。
最近は廃れてしまう祭りも多いのですが、子どもたちがきちんと参加しているところは、祭りの未来が明るいことを感じさせます。
また竹取神事は、古くからの姿がそのまま残っているそうです。
何もかもが変わっていく今、日本人として、このような神事を一度は見ておきたいですね。
実際に竹取神事は観光客にもとても人気があるそうです。
本格的な夏が始まる前に、ぜひ御田植祭に出かけてください。
伊雑宮で御田植祭の基本を抑えれば、ほかの御田植祭にでかけるときに役に立つに違いありません。
伊雑宮の御田植祭には、読み方が難しい、または変わっている漢字がたくさん出てきますが、予習をしているうちにそれすら歴史と伝統の結果のように思えてきますよ。