「あばれ祭」を知っていますか?これは石川県で行われている祭りです。
北陸新幹線が開通するまでは、石川県は少し行きにくくて、謎めいた場所というイメージが大きかったですね。
あばれ祭についても知らない人が多いのではないかと思います。
何でも「熱狂のキリコ祭り」らしいのですが、このキリコとは一体何なのか、どんな由来があるのかについて解説したいと思います。
もちろん、あばれ祭はいつ開催されるのかについてもお知らせします。
あばれ祭りが行われるのは、いつ?どこ?どんな由来があるの?
石川県の能登半島にある宇出津地区(うしつ)は、古くから漁業で栄えてきました。
現在でも定置網漁でとれるブリはブランドになっていて有名です。
その宇出津で毎年7月の第1金曜・土曜日に行われるのが、あばれ祭です。
宇出津にある八坂神社の祭礼に、酒垂神社と白山神社が奉仕する形(神輿を出しています)で行われています。
あばれ祭の名前は、神輿に対する扱いから来ています。
担いだ神輿を川に投げ込むだけならまだしも、置き松明の炎の中に投げ込むなど、知らない人が見たらバチがあたるのではないかと心配になるほどです。
しかしそんな祭りには、こんな由来があるのです。
今から350年ほど前の江戸時代に、宇出津で疫病が流行りました。
人々は京都の八坂神社から牛頭天王(流行病を防ぐ神様)をお呼びして、迎え入れ、盛大に祭りを行いました。
すると1匹の大きな蜂が現れて病人を刺し、刺された病人はすぐに疫病から回復しました。
喜んだ人々は、蜂を神様からの使いだと考えて、大きなキリコを作り、「大泥棒ボー、蜂や刺いた」と練り歩きました。
神輿を乱暴に扱うのは、牛頭天王が勇ましいことが大好きなので、乱暴にすればするほど、喜ばれると考えられていたからです。
だから今でもあばれ祭の見どころは、祭り初日のキリコの乱舞と、2日目の暴れ神輿です。
実はあばれ祭りは、40年ほど前についた名前です。
それまでは「弥栄祭り(いやさかまつり)」と呼ばれていました。
弥栄とは、一層繁栄するという意味で、万歳に近い使われ方をする言葉です(Wikipediaより)。
祭りの目的を表したよい名前でしたが、あばれ祭の方がわかりやすい名前なのかもしれません。
今でもキリコが練り歩くときには、「イヤサカヨッセ、イヤサカヨッセ」と掛け声がかけられます。
これはきっと弥栄から来ているに違いありません。
初めて見る!巨大「キリコ」とは一体何?
江戸時代から練り歩くときに使われた「キリコ」とは、切子灯篭の略で、能登地方に伝わる巨大な行灯のことです。
このキリコを使うキリコ祭りが能登では7月から9月にかけて、全部で29もあります。
NHK朝の連続テレビ小説「まれ」も能登が舞台でしたが、作中にキリコが登場するシーンがありました。
能登に住む人たちにとってキリコ祭りは、1年で最も重要な行事で、盆や正月に帰れなくても、祭りには故郷に帰るものだそうです。
そしてあばれ祭が、そのキリコ祭のトップバッターなのです。
もともとキリコは神輿の足元を照らす行灯でしたが、どんどん大型になりました。
大型になったため、神輿のように担ぐようになりました。
高さが7m程度あり、行灯でありながら、前後には神輿のように長い担ぎ棒が付いています。
そのためキリコは担ぐのに40~50人が必要になります。
一時は14~15mの高さになりましたが、電線に引っかかるなどの不都合が増えたために、現在の7mほどに落ち着いたようです。
キリコの中幅(なかふく)という部分(白木造りで、明かりが灯る部分)には、「思無邪」のように漢字3文字で祈願の言葉が入っています。
(思無邪は、心に悪い思いや雑念がない、という意味です)一番上には神社でよく見られる切り妻屋根がついており、その下には赤い天幕が張られていて、それぞれの町の紋が入っています。
宇出津には約40の町があり、それぞれが毎年あばれ祭にキリコを出しています。
このキリコの一番の見どころは、祭り初日の夜、能登町役場前でのキリコの乱舞です。
役場前の広場には、高さが8mもある大松明が灯され、その周りを火が燃え移るのではないかというギリギリの距離で、各町のキリコが何周も回ります。
大松明は8本あり、1本が燃え尽きる前に次の松明に火が着けられます。
21時頃に始まる乱舞は深夜まで続き、最後の松明に火が着く頃には、広場内はキリコと担ぎ手でいっぱいになるのです。
キリコの上には、女性や子どもが乗って、囃子方を担当しています。
今にも火の粉が降りかかるのではないかと、見ていると本当にドキドキしてきます。
キリコの担ぎ手と囃子方だけでも2千人を超えるといいますから、その熱狂ぶりが想像できますね。
尋常ではない!「暴れ神輿」の暴れっぷり
祭り2日目には、いよいよ暴れ神輿の登場です。
神輿4基のうち、酒垂神社と白山神社の神輿が暴れます。
神輿は昼間から町内を練り歩き、手荒な扱いを受けていますが、本当の暴れ神輿は夜、20時頃から始まります。
一番の見どころは梶川橋から神輿を梶川に投げ入れ、担ぎ手も一緒になって、川の中を暴れながら八坂神社を目指すところです。
川の中を暴れるために、体力を消耗して担ぎ手のみなさんは脚が痙攣しそうになるのを耐えながら、神社に向かうのだそうです。
神社に着いても、すぐに拝殿に上がれるわけではありません。
境内には8mの大松明が灯されていて、火の粉を全て落とさないと拝殿に入ることは許されないのです。
全ての火の粉を落とすために、神輿は何度も松明にぶつけられ、ときには燃える炎の中に投げ込まれます。
松明の灯が消えるまでに3時間ほどかかるということです。
ここまでの扱いをして、神輿が壊れないのかと心配になりますが、全壊ということはほとんどないそ
うですから、驚きます。
祭りの後に丁寧に修理をしながら、4~5年は同じ神輿を使うそうです。
暴れ神輿の担ぎ手は1基につき、30名と決まっています。
神輿の担ぎ手を希望する人は、暴れ神輿の開始1時間ほど前に、神輿の責任者に申し出る決まりになっています。
町の繁栄を願っての暴れ神輿ですから、責任は重大で、責任者に認められなければ、神輿に触れることもできません。
担ぎ手に選ばれると、黄色い襷を渡されますから、それを身に付けて神輿を担ぐことになります。
少しの気の緩みが大けがにつながりかねない暴れ神輿ですから、それぐらいの緊張感が必要なのかも知れませんね。
昼間にも見どころが!「キリコの勢揃い」と「よばれ」が気になる!
キリコの乱舞といい、暴れ神輿といいあばれ祭の見どころは夜しかないのかと思われそうですが、決してそんなことはありません。
昼間14時頃から、キリコが街中を練り歩き、夜とは違った魅力を感じることができます。
宇出津地区の狭い小路スレスレにキリコが通るのは、迫力満点です。
また、約40あるキリコの勢揃いを見られるのも、昼間ならではです。
キリコが勢揃いするのを見られる場所は、祭り初日は白山神社寄りの棚木、2日目は酒垂神社側の通りです。
昼間揃ったキリコは、夜に向けて1度長い休憩を取ります。
その休憩中に宇出津では「よばれ」が行われます。
よく人の家に招かれることを「およばれ」といいますが、よばれはそれと同じような意味です。
夜遅くまで家の玄関を開け放して、ごちそうを振る舞う風習で、親戚だけでなく近所の人なども混ざっての宴会になります。
見ず知らずの人でも丁寧にもてなしてくれるそうですが、こんな風習が今でも残っているとは、驚きですね。
キリコや暴れ神輿にはもちろん興味津々ですが、よばれもぜひ1度経験してみたいものです。
あばれ祭には、昼間から若者が多数参加しています。
これを見ていると、祭りのためにみなが帰省するというのは大げさではないことがわかります。
日本中祭りの後継者が不足して、存続が危ぶまれていますが、ここ宇出津ではそのような心配は無用のようで、心強い限りです。
先行きが明るい祭りだから、よばれのような風習も生きているのではないでしょうか。
まとめ
宇出津のあばれ祭について、いつ開催されるのか、どんな由来があるのか解説してきました。
あばれ祭で能登のキリコ祭りがスタートしますから、きっと能登は何度も訪れたい街になるに違いありません。
あばれ祭の性質上、どうしても火の粉や灰が飛びますので、出かけるときには、汚れてもよい服装をするようにしましょう。
祭りを見物する私たちにも、それなりの心構えは必要です。
「観光客のみなさんに優しい祭りではないかも…」と地元の人たちは心配していますが、勇壮な暴れ神輿を見れば、胸がスカッとするように感じますし、キリコの美しさはほかに比べるものがない程です。
ぜひ、1度は自分の目であばれ祭の魅力を確かめてみてください。