天神様を知っていますか?無実の罪により京の都から左遷されてしまった菅原道真公は、失意の内に亡くなりました。
その後に都で次々に起こった事件が道真公の祟りのためだと噂されたために、天神様として祀られることになりました。
その後、天神様を祀っている天満宮・天神社は日本中にできました。
そこで行われる祭りを天神祭といい、道真公の命日、25日頃に祭りが行われます。
そんな天神祭の中で、最も有名なのが大阪天満宮の天神祭です。
いつ、どんな場所で開催されるのか、有名になった由来とともに解説したいと思います。
きっと天神祭に出かけたくなりますよ。
「天神祭」はいつ開催?開催場所は広範囲だから、注意が必要!
大阪天満宮は、大阪市北区にあり、市民からは「天満の天神さん」と呼ばれ親しまれている神社です。
天満の天神さんで行われる天神祭は、日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つで、毎年13万人が訪れる大規模な祭りです。
7月24日が宵宮、25日が本宮ですが、6月の下旬から祭りの諸行事は始まりますから、1カ月近くも続く長丁場になります。
その歴史は古く、天神祭の始まりは1000年以上も前のことです。
現在の天神祭では、船渡御と陸渡御が大きな柱になっています。
船渡御とともに行われる奉納花火や、天神ギャル神輿などのさまざまな行事が行われるため、祭りが行われる場所も大阪天満宮を中心とした広範囲に及んでいます。
このため行き当たりばったりで行動していると、疲れるだけで天神祭を楽しめなくなってしまいます。
天神祭を楽しむためには、自分は天神祭で何を見たいのかを確認して、事前に十分に計画を立てておくことをお勧めします。
「天神祭」の見どころ、「陸渡御」とはどんなもの?
天神祭の由来は船渡御にあります(神様がお出ましになることを渡御といいます)が、現在船渡御の前に行われている陸渡御も、大阪の人たちにとって大切な心の拠り所になっています。
大阪天満宮の氏子や天神信仰の篤い人たちは、「講」という団体を作っています。
この講に参加している人たちが行列を作り、陸渡御のお供をしているのです。
約3000人が参加する陸渡御の行列は、その衣装や持ち物から時代絵巻と形容され、見る人の心を掴んでいます。
豊臣秀吉から拝領したといわれる「催太鼓(もよおしだいこ)」を打ち鳴らして、行列の先頭を進む「太鼓中(たいこなか)」や、うっすらと透けて見える被衣をまといしずしずと進む女性だけの「采女講」など、講にもさまざまな特徴があって見ていて飽きることはありません。
道真公の御神霊がお乗りになっている御鳳輦とともに進むのは、「御鳳輦講」です。
平安時代に行われた天皇の行幸の形式通りに渡御は進んでいき、群衆も御鳳輦が通ると、厳粛に参拝するということです。
陸渡御の最後には2基の神輿、鳳神輿と玉神輿が登場します。
屋根に鳳凰が乗っている鳳神輿は、1837年の大塩平八郎の乱で1度失われてしまいますが、1840年に再び寄進され、現在に至っています。
江戸後期に出版された「芦の岩業」によると、明治になって御鳳輦が登場するまでは神様が乗るのは鳳神輿で、玉神輿とともに陸渡御の中心でした。
玉神輿は屋根の上に宝珠が付いていることからそう呼ばれるようになりました。
鳳神輿と同じ1840年に、船大工によって作られた玉神輿は釘を1本も使わずに作られています。
この玉神輿の宮入りで、天神祭が終了するなど、現在でもとても重要な役割を持っています。
江戸時代に作られた神輿が今も現役で祭りに参加しているのを見ると、この世には廃れることのない本物が存在するのだな、と実感できます。
大阪天満宮を出発した一行が、天神橋北詰に到着して陸渡御が終わると、いよいよ船渡御が出発します。
「天神祭」の始まり、「船渡御」とは?どんな船が出る?
天神祭は951年に始まったといわれています。
大川から、神鉾を流して流れ着いた場所に御旅所を作り、禊を行いました(御旅所はいわば神様の休憩所です)。
このときに大阪に住む人々、天神信仰の篤い人々が船を仕立てて神様をお迎えしたのが、天神祭の始まりでした。
だから天神祭の由来は船渡御にあるといわれているのです。
江戸時代の寛永年間に御旅所が、雑喉場(ざこば)という魚市場になって船渡御が中止されたことがありました。
このときに地車(だんじり)ができ、現在の陸渡御が生まれるきっかけになりました。
その後も、明治維新のゴタゴタや第2次世界大戦のために、天神祭は何回も中止になりました。
船渡御だけが中止になった年もありましたが、その度に蘇り、今に至っています。
現在、船渡御に参加する船は約100艘です。
神輿や御鳳輦を乗せた奉安船や催太鼓船が天神橋から出発、列をなして進みます。
船渡御のお供をする船を供奉船といいますが、見物客も乗れる場合があります(乗船券の購入が必要です)。
2018年には金幣船、御錦蓋(おきんがい)講船、御羽車講船が、乗船券を販売していました。
供奉船に乗ると、船渡御の列に参加できるので、川岸から見物するのとは違った光景が見られます。
乗船券は決して安い値段ではありませんが、天神祭を見物するなら、一度は乗ってみたいですね。
定位置に留まって神賑行事を行う舞台船には、神楽を奉納する船、能を奉納する船などがあります。
船渡御の列に加わらない列外船の一つ、どんどこ船は木場で働いていた人たちが始めました。
どんどこ音を出す鉦太鼓に合わせて、一斉に船を漕ぐ様子は勇ましく、つい見入ってしまいます。
どんどこ船は24日、25日の2日間、堂島川、大川、土佐堀川、道頓堀川を威勢よく漕ぎまわって、祭り気分を盛り上げます。
協賛団体が仕立てる奉拝船が、飛翔橋から出発、南下して神様をお迎えします。
船渡御の途中、神様が乗っている御鳳輦船では「船上祭」を行い、大阪の街の繁栄ぶりを神様に見ていただき、さらなる加護を願います。
船渡御の巡行コース沿いの川岸や、橋の上には約130万人の人が集まって、大阪の夏の光景を見物するそうです。
神様が見ている?「奉納花火」をぜひ見たい!
船渡御が出発して、しばらくすると奉納花火が始まります。
19時頃から21時頃まで、川崎公園と桜之宮公園の2カ所から約4000から5000発の花火が奉納されます。
桜ノ宮公園の中央広場周辺には、花火の見物客が多数集まり、屋台も出るので大変な賑わいになります。
桜之宮公園の最寄り駅、JR桜ノ宮駅はとても混雑するので、少し歩きますがJR大阪城北詰駅や天満橋駅を利用するとよいかもしれません。
花火見物の場所取りのためには、早めに到着するようにしましょう。
当日は交通規制される場所もあります。
出かけてみて、通れないということがあっては困ります(川崎橋は18時から23時までは通行止めになりますが、これは神様を真上から見下ろすことがないようにという配慮です。
通行止めにならない場合も、奉安船が通る橋の中央には注連縄を張った板が取り付けられて、見下ろせないようになっています)。
ぜひ、下調べをしてから出かけてくださいね。
どこで花火を見たらよいか迷う場合は、特別観覧席(有料)もあるそうですから、それを利用するのもよいですね。
どんなときもマナーを守るのは大切ですが、特に奉納花火は神様にご覧になっていただくためのものです。
あくまでも私たちは、神様のための花火を見せていただいている立場なので、それを忘れず、マナーを守って花火見物をしましょう。
日本で1番?「天神ギャル神輿」は大人気!
1981年に始まった「天神祭ギャル神輿」は、もうすっかりおなじみの名前ですが、正式名称は「天神女性神輿」といいます。
大阪天満宮の参道にある天神橋筋商店街を含む地域の振興のために始まりました。
現在では天神祭を盛り上げるイベントとして、宵宮の前日7月23日に商店街を巡行しています。
神輿を担ぐ女性たちは、15歳から31歳まで、毎年書類審査、面接審査を行い厳正に選考されます。
ギャル神輿といっても、1基の重さは約200kgです。
生半可な気持ちでは、怪我をします。
そのため面接審査では自己PRのほかに70kgの天秤棒を3回担ぎあげます。
神輿を担ぐ女性に求められるのは、気合なのですね。
ギャル神輿は2基出ますが、商店街の中は見物客でいっぱいになるそうです。
見物するなら比較的広い、JR天満橋、南森町駅付近がよいかもしれません。
歴史ある天神祭ですが、ギャル神輿のように新しい要素を取り入れて発展を続けていることには、感心させられます。
どんなことでも、変わらない部分だけでなく、変わっていく部分がないと長く続いていかないのですね。
まとめ
大阪天満宮の天神祭の由来やいつ開催されるのか、そしてどんな場所で見物すればよいのかを解説してきました。
天神祭の柱である、陸渡御、船渡御、奉納花火、そして天神ギャル神輿について紹介しましたが、実は天神祭の見どころはこのほかにも色々あります。
天神祭の大もとともいえる鉾流神事は、1度は見ておきたいですし、舞台船を使って行われる水上薪能(有料)には興味をそそられます。
催太鼓の宮入りには、天神講の獅子舞、傘踊り、四つ竹が続き、300人の行列になります。
カラフルでリズミカルな行列を見れば、五感全部を使って祭りを楽しむことができます。
正直なところ、見どころがありすぎて、1度では紹介しきれません。
ぜひ一度は大阪天満宮の天神祭を、自分の目で確かめてくださいね。