お祭りでは、神社で行われる神事とセットになっているのが、神輿や山車の運行です。
神事よりも賑やかで華やか、たくさんの人が参加できるので、これをお祭りの楽しみにしている人も多いでしょう。
ところでなぜお祭りには、神輿や山車が運行されるのか考えたことはありますか?これにはきちんとした意味があるのです。
この意味を知っていれば、より一層楽しくお祭りを見物することができます。
今回はお祭りで神輿や山車が運行されるようになったのは、いつ頃なのかと、それにはどんな意味があるのか解説していきます。
お祭りの主役!「神輿」にはどんな意味がある?
輿(こし)とは、古くから日本で使われていた乗り物の名前です。
輿は人が担いで移動させるものでした。
神輿には、神道のお祭りのときに神様が乗る輿という意味があります。
だから神社が関係しているお祭りには、必ず神輿が登場します。
なぜ神様の乗り物が必要なのかというと、神様にこの世においでいただき、神社の氏子が住んでいる街中を見ていただくのがお祭りの目的だからです。
街の繁栄を見ていただき、さらなる平和と繁栄を神様にお願いするという意味があるのです。
神様が乗った神輿を担いで、街の中を練り歩き、御旅所(神様の休憩所、または目的地そのものをいうこともあります)などの目的地まで向かうことを「神幸祭」といいます。
御旅所でも神事や奉納が行われます。
よく御旅所祭といわれていますね。
御旅所からお帰りになることを「還幸祭」といいます。
神幸祭の前には、予め神様の霊を神輿にお遷しする儀式を神社で行っていますし、神社に到着した後は、きちんと神様の霊を天にお還しする神事を行います。
これらはどこの神社でも共通して行われています。
神様はきちんと順序よく私たちが住む場所を視察しているのがわかりますね。
神輿が練り歩いているときに、担ぎ手たちが神輿を上下に激しく揺するのを目にしますが、あの行為はお祭りを盛り上げるためではありません。
神輿を激しく揺すると、神様の力が増して、より一層のご利益を望めるそうです。
また神輿どうしがすれ違うときにも、マナーがあります。
頭に巻いた手拭いや被り物を取り、弓張提灯を掲げて、拍手をするというものです。
また無断でほかの町会の神輿に触らない、というのもよく知られています。
過去には無理に担ぎ棒の上に乗った人がいたために、歴史ある神輿の担ぎ棒が折れるという事態が起きてしまいました。
どうしてもお祭りのときは、みなが興奮して、荒々しくなっているように感じられますが、このようにマナーを守って神輿を担いでいる人たちの方が多いのです。
神輿を担ぐ人たちは、本来は休憩のときでも、神輿を地面に直に置くことはないそうです。
それぐらい神輿に対して敬意を払っているのです。
見物客もそれを忘れないようにしたいですね。
神輿に乗るのはもちろんやってはいけないことですが、見物客が高いところから神輿を見下ろすのも失礼にあたります。
神輿の担ぎ手にはっきりとわかるように見下ろすのは避けた方が無難でしょう。
「神輿」はいつ頃できた?世の中に広まったのはいつ頃?
749年に奈良の大仏が建立されるときに、聖武天皇が初めて金色の鳳凰が屋根に付いた鳳輦(ほうれん)を使ったといわれています。
神輿はこの鳳輦をモデルにして作られたという説があります。
神様の乗り物ですから、高貴な人が乗る鳳輦をモデルにしたというのは真実味がありますね。
今でも神輿以外に鳳輦を持っている神社がありますが、神輿は神殿の形なのに対して、鳳輦は中が空洞なので、本来は乗り物だということがよくわかります。
鳳輦が登場する少し前の720年、九州での内乱を鎮圧した八幡神のために神輿を作ったという内容の記録もあります。
どちらにしても神輿は奈良時代から存在していたことになります。
平安時代に入ると、京都、奈良、大阪から神輿は全国に広まり、室町時代には村祭などで村人たちが神輿を担ぐのがお祭りのときの常識になりました。
現在町会神輿(氏子町会で持っている神輿)も、男性が担ぐ大人神輿を始め、女神輿、子ども神輿と担ぐ人に合わせた様々な種類ができました。
これは見物客だけでなく、参加する人たちにとっても嬉しいことですね。
明治に入ってから、電線に引っかかる、維持費がかかるなどの理由で山車を持つ町会が減りましたが、その分東京都心では神輿が増えたともいわれています。
神様の乗り物であるという本来の意味に加えて、コンパクトで使いやすいという新しい意味も加わった神輿は、いつの時代もお祭りの主役なのです。
「山車」はいつ頃できた?「神輿」との違いは?
神輿は神様の乗り物ですが、山車は違います。
神様をお招きして、お祭りの間はこの世に留まっていただきますが、 そのためには神様が宿れる何かが必要です。
その何かを依代(よりしろ)といい、山車はその依代の役目を持っているのです。
昔から山は、神様が宿ると考えられました。
山自体が神様として信仰されたのが山岳信仰です。
山車は最初、山のひな型でした。
だから山車には「山」の文字が使われていて、山車のことを山と呼ぶ地域があるのです。
人々は山のひな型を、お祭りを行うときの臨時の祭場にしました。
これなら直接山に行けない人たちも、神様に祈願することができます。
ほとんどの山車には車輪が付いていますが、これは乗り物だからというより臨時の祭場を移動させるために付いていると考えられます。
この臨時の祭場としての山が833年の記録に残されています。
今では山車にはたくさんの種類がありますが、どれもみな華やかな装飾で、屋根の上に木を立てていたり、鉾が立っていたりします。
これは山車が山のひな型だったことの名残で、依代として高ければ高いほど、神様の目に留まって、神様が降りて来やすくなるという意味があります。
だから山車が大型化したのは当然のことでした。
現在は電線に引っかかるという問題が起きるので、電線にかからない高さに制限されている場所が多いようですが、明治になるまで山車は大型化する一方でした。
大型化しているため、福岡の博多祇園山笠のように例外はありますが、山車は大抵の場合は大勢の人が曳いて移動させるようになりました。
このような経緯があって、山車は日本各地でさまざまな進化を遂げました。
青森のねぶた祭は、巨大な人形型の灯籠が山車として運行されています。
愛知県の尾張津島天王祭は、たくさんの提灯が灯されたまきわら船が川に浮かび、まるで打ち上げ花火が降りてきたようです。
石川県の青柏祭、京都府の祇園祭、大阪府の岸和田だんじり祭など例を上げればキリがありません。
神様に気に入ってもらおうと、さまざまな努力をした結果、山車は人間にとってかけがえのない財産になりました。
お祭りでの「山車」は、美しいだけじゃない!さまざまな役目がある!
神輿の場合、お祭りの主役は神社の宮神輿です。
山車は、町会で持っている庶民のものなので、神社の神様を助ける役目があります。
神社の宮神輿が練り歩く際は、山車は神輿を先導して、太鼓やお囃子の演奏で、神輿の進路を祓い清めますし、神輿の後ろから付いていく山車は、神輿を警護しています。
山車は神様が宿る場所なのに、囃子方などが乗っているのを不思議に感じる人もいるかもしれませんね。
神輿には人が乗っているのを見たことがありません。
過去に神輿に人が乗って大問題になったお祭りもあります。
なぜ、こんな違いが生じるのでしょうか。
山車に人が乗って、音楽や踊りを奉納するのは、神様へのおもてなしです。
神様の依代となる木や鉾よりも下の部分に人間が乗っているのは、下で神様をおもてなしするという意味があったのです。
そもそも山車という名前には、そこで出し物をするから、という意味も含まれていたそうです。
神社での神事の際にも、神楽などが奉納されていますから、山車で披露されるお囃子や踊りは神様へのおもてなしというのも納得できますね。
もちろん人間である私たちが見ても、心惹かれる楽しさがあります。
山車は維持費がかかる上に、収納する場所も必要になります。
町会で山車を維持していくのは、大変なことですが、だからこそお祭りの日に見る山車には、格別なものを感じるのでしょう。
これから先、未来に向けて引き継いで行きたい財産が山車なのではないでしょうか。
最近では日本各地に、観光客向けの山車会館ができており、1年中山車を見学できます。
間近でじっくりと山車を眺めて、お祭りの予習をするのもよいですね。
何よりも山車会館に払う入館料の1部でも、山車の維持費の足しになればお祭りを愛する者としては嬉しいことです。
まとめ
今回は神輿と山車がいつ頃お祭りに参加するようになったのか、お祭りの神輿と山車にはどのような意味があるのかを解説してきました。
神輿や山車の意味がわかると、自然にその役目にも納得できるようになりますね。
そしてお祭りを見物するポイントも自然に増えて、より一層楽しめるようになると思います。
神輿よりも先に山車がやって来れば、『神輿の進路を祓い清めているんだな』と思えます。
祓い清めるための太鼓やお囃子がどんなものか、しっかりと聞けるようになるでしょう。
なんとなく賑やかに行ってしまった山車よりは、ずっと心に残るのではないでしょうか。
神輿や山車の意味をしっかりと心に刻んで、次回のお祭りはぜひ、心に残るものにしてくださいね。