かつて日本には、「眠り流し」と呼ばれる風習がありました。
名前の通り、眠気を海や川に流しましたが、なぜ眠気を流さなければならなかったのか、疑問に感じる人がいるかもしれませんね。
流す、というのは禊(みそぎ)のように罪や穢れを自分から取り除くための行為です。
そんなことをしなくても、眠ければ眠ればよいのではないか、そう思ってしまいますよね。
今回は眠り流しはいつどこで行われて、どんな由来があるのかを詳しく解説していきたいと思います。
「眠り流し」はどんな行事?その由来とは
今、日本人の睡眠時間は世界でも有数の短さだそうです。
通勤時間が長いとか、家事や育児、介護でまとまった時間が取れないとか色々な理由があるでしょう。
どんな理由があっても、睡眠不足は結局仕事の能率を下げて、健康に悪影響を及ぼします。
昔の人たちもそれはわかっていたようで、睡眠不足からくる昼間の睡魔を穢れの一種と考えて、これを祓い清める行事が行われていました。
それが「眠り流し」です。
この眠り流しは青森県内で姿を変え、ねぶた祭になりました。
あの勇壮なねぶたが運行する祭りは、いってみれば壮大な眠気覚ましということになります。
眠り流しは東北に限らず、日本全国で行われていたメジャーな風習だったのです。
眠り流しは七夕の行事の一つとして行われました。
七夕に由来があるから、日本全国で行われていたのです。
暑い季節の行事のため、水浴びをしたり、灯籠や船に形代を乗せて海や川に流すのが、眠り流しの一般的なスタイルでした。
現在、眠り流しそのものを行事として行っている地域は余りありませんが、どんなことをしているのか、少し紹介したいと思います。
陸上なのに船が登場!横手の「ねむり流し」
まずは秋田県横手市の「ねむり流し」です。
毎年横手の送り盆まつりに先立って、8月6日の18時頃から行われる子どもたちのための行事です。
子どもたちが長さ3mほどの小舟を曳き、町内を練り歩いた後、横手川が流れる蛇の崎川原に集合します。
小舟が町内を運行するというのも、見慣れない者にとっては中々珍しい光景です。
小舟には七夕の笹が立てられ、願い事が書かれた5色の短冊が飾り付けられています。
また町会の頭文字をかたどったわら細工が飾られているのも特徴です。
毎年20前後の団体(主に子ども会)が参加して、見物客は2千人ほど集まるということです。
川原に到着し、日が暮れてくると小舟に立てられたたくさんのロウソクや提灯に火が灯されて、その美しさに思わず息をのむほどです。
子どもたちによるお囃子の演奏も始まり、場はとても盛り上がります。
お囃子が賑やかな中で、子どもたちは思いおもいに花火などをしてねむり流しを楽しみます。
辺りは色々と燃えているためか、白く霞んで見えるほどです。
確かに眠気は吹き飛ぶだろうと感じるほど、子どもたちは楽しそうです。
最後は横手川の下流で花火が打ち上げられ、ねむり流しは締めくくられます。
横手の送り盆まつりが8月16日に行われますが、ねむり流しに使われた小舟の倍の大きさの屋形船をぶつけ合う勇壮な祭りを見ることができます。
ねむり流しに参加していた子どもたちは、穢れを祓い、健やかに成長した暁には、送り盆まつりを担う立派な若者になることでしょう。
送り盆まつりの当日は、ぶつけ合いで危険なため、屋形船に余り近付けません。
屋形船をよく見たい人は、前日の屋形船鑑賞会に出かけるとよいですよ。
盆踊りも同時開催されるので、賑やかな祭り気分が味わえます。
ちなみにねむり流しも送り盆まつりも船が登場するのに、実際に水に入ることはありません。
船は木の骨組みにわらを巻いて作ったもので、多分水に入ると沈んでしまうでしょう。
送り盆まつりに使う屋形船は、重さ600~800kgにもなり、人が担ぐのも大変な重さです。
担ぐのには30人ほどの若者が必要だということです。
船が登場するのに、水に入らないのは何だか不思議な感じがしますが、 重い屋形船を担ぐ若者たちを見ていると、ねむり流しには確かに効果があると感じます。
見応え抜群の子どもパレード!能代の「子ども七夕」
同じく秋田県能代市では、毎年七夕行事が行われ、今でも「ねぶながし」の名前が残っています。
これは眠り流しの「眠り」がなまって「ねぶ」になったと考えられます。
ねぶながしはもともと子どもたちの行事で、江戸時代には夜、子どもたちがグループを作って灯籠を持ち、太鼓、笛、鉦で囃し立てながら街中を歩いたという記録が残っています。
もともとは眠気と一緒にさまざまな穢れを海や川に流す行事でしたが、ロウソクが庶民の手が届くものになり、いつしか灯籠を持って練り歩くようになりました。
江戸時代の後期から、灯籠が巨大な城郭の形になり、(明治時代には17mを超える大型のものができました)ねぶながしは大人のものになっていきました。
現在もねぶながしにかける人々の情熱は衰えを知りません。
平成25年、26年と巨大な城郭型の灯籠ができ、毎年8月3日、4日には人々の前にお目見えします。
高さ17.6mの嘉六と24.1mの愛季(ちかすえ)、どちらの灯籠も立派な名前を持ち、美しさと迫力で見る人を魅了します。
現在は、8月2日の子ども七夕に、江戸時代のねぶながしの名残を見ることができます。
大掛かりな子どもパレードが行われ、そこには少しサイズの小さい灯籠がお目見えします。
子どもらしいアニメのキャラクターがデザインされた灯籠も見られ、子どもによるお囃子が披露される様子は、見ていてかわいらしいだけではなく、子どもなりに達成感を覚えていることがよくわかります。
そこには子どもたちの頼もしい将来像が見えるような気がします。
きっとこの子どもたちは近い将来、ねぶながしに参加して、巨大な灯籠を曳き回すようになるのでしょう。
燃え盛る大松明が野性的!滑川の「ねぶた流し」
「ねぶた流し」は富山県滑川市の和田の浜で、毎年7月31日に行われます。
ねぶたが行われる、最も南の場所が滑川になります。
今までに紹介した眠り流しは、大人の行事の一部として行われていましたが、滑川のねぶた流しは独立した行事で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
またほかの眠り流しの行事に比べて、子どもたちが参加するにもかかわらず、野性的な魅力を持っています。
滑川でのねぶたは、筏の上に大松明が据えられたものを指します。
大松明の高さは4~6mといいますから、本当に巨大です。
とても目立つので、見物するのには最適です。
このねぶたには、七夕のような折り紙の飾りとお盆のようなナスやキュウリの飾りが子どもたちによって付けられます(ナスやキュウリには人の顔が彫られているのが、特徴的です。
きっと子どもたちの代わりに、眠気を持っていってくれるのでしょう)。
18時頃にはねぶたは海に浮かべられ、火が着けられます。
ねぶたと一緒に子どもたちも海に入りますが、大人たちが付き添い、ねぶたがよく燃えるように、手を貸しながら見守ります。
以前は全て燃え尽きたねぶたは、そのまま海に流しましたが、現在はちゃんと回収するそうです。
情緒的には、こういう物はどこか別の世界に流れていって欲しいものですが、実際にはそうなる前に環境に悪影響を与えてしまいます。
きちんと回収するのは大切なことですね。
滑川でも、眠気を流してもらった子どもたちはきっと健やかに成長できることでしょう。
それ以前に、ねぶたと一緒に海に入る様子を見ていると、その時点でかなり健やかだということがわかります。
以前は和田の浜一帯でねぶた流しを行っていたそうですが、止めてしまった地域もあるそうです。
しかし公民館や市役所が新たに参加したこともあり、ここ数年は10基以上のねぶたが流されています。
青森のねぶた祭のように、眠り流しが姿を変えて残っている例はありますが、眠り流しそのものが残っているのはとても貴重です。
ぜひ、いつまでもねぶた流しを続けて欲しいですね。
まとめ
現代に残った3つの眠り流しを紹介しました。
七夕の行事に由来があるため、どの地域の眠り流しも同じような日程で行われていましたね。
そしてどの地域でも、眠り流しには眠気などの穢れを海や川に流して、子どもたちに健やかに育って欲しいという願いが込められているのを感じました。
かつての日本は今ほど医療が発展しておらず、せっかく生まれた子どもたちも、幼い内に亡くなってしまうことが珍しくありませんでした。
だから眠り流しのような行事で、子どもたちの無事を願わずにはいられなかったのでしょう。
またお盆近くになって眠り流しを行うことには、亡くなってしまった子どもの魂を慰めるという意味があったのかもしれません。
今は子どもが亡くなることは劇的に減りましたが、生まれる子どもの数自体が減っています。
子どもも小さな内から色々と苦労があるようです。
勉強や習い事、スマホの見過ぎで睡眠不足になり、昼間眠気に襲われている子どもたちもいることでしょう。
かえって現代の子どもたちの方が、眠り流しを必要としているのかもしれませんね。
私たち大人も、もっと眠り流しという子どものための行事を見直したいですね。
子どもが減っていく社会に未来はありません。
どんなに素晴らしい祭りがあっても、引き継ぐ人(つまり子どもたち)がいなくては、絶えるしかないのです。
眠り流しに出かけることは、子どもが健やかに育つためにできることはないのかと、考えることにつながるのではないでしょうか。