11月23日は祝日ですね。
勤労感謝の日というのは誰でもご存知でしょう。
この名前は第2次世界大戦が終わってからできたものです。
それまでも、11月23日は学校や仕事が休みになる日でしたが、名前を新嘗祭といいました。
第2次世界大戦が終わった後に、GHQの意向により新嘗祭の名前は消えてしまいましたが、現在でも11月23日には、天皇陛下は皇居で毎年新嘗祭を行っています。
一体新嘗祭とはどんな行事なのか、気になりますね。
今回は新嘗祭にはどんな意味があるのか、そして新嘗祭での天皇陛下の役割について解説します。
「新嘗祭」の意味と由来!「新嘗祭」には収穫への感謝が表れている!
日本では大昔から、米を始めとする五穀がとても大切にされていました。
五穀とは、米、麦、粟、キビ、豆を指し、私たち日本人が生きていくためには欠かせないものでした。
江戸時代、武士の給与は石高で表されましたが、石高とは米の収穫量を表す単位です。
米は貨幣と同じか、それ以上の価値があったのです。
どのくらい五穀が収穫できるかで、日本の未来が決まる、それくらい五穀の収穫は大切なものでした。
だからその収穫はとてもおめでたいことであり、それを祝い、感謝する風習がありました。
飛鳥時代(西暦600年前後)には既にその風習があったということです。
「新嘗祭」とは、天皇が宮中で行う収穫祝いのことなのです。
新嘗祭は旧暦11月の、2回目の卯の日に行われていましたが、明治になって新暦が採用されたのをきっかけに11月23日に固定されました。
(その年の旧暦11月の、2回目の卯の日が新暦の11月23日だったからです)現在の勤労感謝の日も、勤労を尊重して、生産に感謝する日だそうですから、収穫を祝う新嘗祭の精神が活かされているといえます。
新嘗祭という名前は、新饗(にいあへ)という言葉が由来となっています。
新は新しく収穫された穀物、饗はもてなすという意味があります。
新しく収穫された穀物を神様にお供えすることで、神様をもてなしたのです。
嘗という字には舐める、味わうという意味がありますが、これは神様にお供えするだけでなく、天皇陛下もその場で穀物を口にするために使われるようになったのでしょう。
なぜ天皇陛下自らが、穀物を口にするかといえば、もてなす神様の中に、皇室の始祖である天照大神がいらっしゃるからです。
祖先に供えるだけではなく、子孫である自らが穀物を口にすることで新しい力を取り入れて、国を守ることができるようになると考えられたのでしょう。
人間どうしのお付き合いを考えても、相手をもてなすときは自分も一緒に食べないとおかしいですよね。
天皇陛下が大変な思いをしている!「新嘗祭」は私たちのため?
皇居で行われる新嘗祭では、その年に新しく収穫された米と粟、新米から作られた酒が神様に供えられます。
ここでの神様というのは、天神地祇(天照大神に代表される高天原の神々と、天孫降臨よりも以前から日本を納めていた国津神と呼ばれる神々)といわれる全ての神々です。
お供えのための米と粟は、日本全国の農家から献納されています。
そのために明治25年から、全国の各都道府県から2件ずつ農家が選ばれているそうです。
また天皇陛下自身も、皇居で稲作を行っています。
昭和天皇が農民の苦労を知るために始めたという稲作を引き継いだ天皇陛下は、小規模ながら種まきから稲刈りまで、自分の手で行っているそうです。
粟も皇居内で作っていますから、皇居産の米と一緒に新嘗祭で使われています。
新嘗祭で重要なのは、天皇陛下が神様とともに食事をすることです。
これを直会といい、さまざまな作法があるということですが、その様子は外からは窺うことができません。
皇太子殿下だけが同じ部屋に入り、一部始終を見て作法を習得します。
またこのときに天皇陛下によって御告文が読まれ、1年間の豊作への感謝と国民の幸せが祈願されます。
23日の18時頃に始まる儀式は20時頃まで続き(これを夕の儀といいます)、その後23時頃に再び同じ儀式が翌日の午前1時頃まで続きます(これを暁の儀といいます)。
天皇陛下は神々と、夕食と朝食をご一緒すると考えるとわかりやすいですね。
11月とはいっても深夜の気温はとても下がり、体が震える程だといいます。
また長時間の儀式のほとんどが正座で行われます。
天皇陛下は新嘗祭が近づくと、くつろぐときでも正座で過ごすそうです(2017年の産経ニュースによる)。
80歳を越えた天皇陛下にとって、それは生易しいことではないでしょう。
これが新嘗祭はとても厳しい儀式といわれる理由なのです。
京都に御所があった頃は、新嘗祭の日には京都の人たちは民の幸せを願ってくれる帝を慮って、儀式が終わる時間まで寝ずに待っていたといいます。
新嘗祭の日に、初めて天皇陛下はその年に収穫された米や粟を口にします。
だから以前は、新嘗祭が終わるまで、一般人も新米を口にしませんでした。
現在は気候も変わったため、11月23日まで新米を口にしないのは難しいことでしょう。
何しろ10月中から、店頭で販売される米はたいてい新米に代わってしまいますから、新米を口にしないとご飯が食べられないということにもなりかねません。
ただ今年も無事に新米がいただけることに、感謝の気持ちを忘れないことは心がけていたいですね。
現在は新嘗祭が行われていること自体を知らない人も多いかもしれませんが、自分の幸せを誰かに祈ってもらうというのは嬉しく、ありがたいことです。
天皇陛下が無理を押して幸せを祈ってくださるという事実だけで、幸せな気分になれるのではないでしょうか。
皇居以外でも「新嘗祭」をやっている?その特徴は?
新嘗祭の日には伊勢神宮に天皇陛下からの勅使(お使い)が遣わされます。
伊勢神宮の新嘗祭は神々に新しく収穫された五穀を供える「大御饌の儀(おおみけのぎ)」と、神前に勅使が幣帛を奉る「奉幣の儀(ほうはいのぎ)」の2部構成になっています。
参拝時間内(11月は5時から17時までです)なら参道から儀式を見ることができるそうですから、日本人なら1度は見てみたいですね。
伊勢神宮の新嘗祭は11月29日まで全ての社宮(皇大神宮、豊受大神宮を含む125社)で行われます。
このほか、日本中の神社で宮中にならって新嘗祭が行われます。
自分の家の近くで新嘗祭がやっていないか、探してみるとよいですね。
出雲大社では古式ゆかしい「古伝新嘗祭」が行われます。
特色は「歯固めの儀」です。
神聖な井戸・真名井から取り出した小石を使います(赤ちゃんの歯固めの儀式と同じですね)。
新嘗祭で神々と食事をともにすることで、出雲大社の国造(宮司・出雲大社の祭祀を司る人が代々出雲国造の称号を受け継ぐ)は神の力を自らに取り入れることができると考えられています。
寒さとともに失われた力が、取り戻せるともいわれています。
更に歯固めの儀を行うことで、健康で長生きすることが祈願できるため、国造にとって新嘗祭は重要な行事だったのです。
「百番の舞」や「御釜神事」も行われ、豊作への感謝と来年の豊作を祈願します。
古伝新嘗祭は始まりが19時からなので、見学しやすい時間です。
2時間の儀式の間、照明はロウソクの灯りのみ、私語も撮影も禁止になっています。
きっと今まで経験したことのない、神話の世界が垣間見られることでしょう。
最近は米の消費量が減っているといわれていますが、1日に1回は米を食べたくなるのが私たち日本人ではないでしょうか。
収穫に感謝する新嘗祭は、きっと私たちの奥底の何かを刺激し、呼び覚ましてくれます。
普段は余り縁がないと思ってしまう新嘗祭ですが、この機会に見直してみてください。
間違えそう!「神嘗祭」とはどんな行事?
新嘗祭の1カ月程前には、神嘗祭という行事もあります。
名前が似ているので、紛らわしいですが、神嘗祭もその年の収穫を神様に感謝する行事です。
神嘗祭は宮中と伊勢神宮で、10月17日にその年初めて取れた稲の穂を天照大神に供えます。
これは日本神話で天照大神が高天原で稲穂を食べたことに由来しているそうです。
伊勢市内では神嘗祭に合わせて、神嘗奉祝祭が行われます。
花笠踊りや郡上おどりなど、日本全国の祭りが奉納されるので、1度にさまざまな祭りを見ることができます。
また稲穂の奉納も、船に乗せた川曳きと曳き車に乗せた陸曳きで大々的に行います。
神嘗祭の頃には、日本全国で秋祭りが行われますが、これも収穫の喜びとは無関係ではないでしょう。
かつての日本では、神嘗祭で神様に新しい収穫物を供え、新嘗祭では天皇陛下が神様とともに収穫物を食べ、そして次に庶民が収穫物を味わうという流れができていたようです。
今もその流れは途絶えてはいません。
きっと人々の収穫への感謝は深く、1日感謝してお終いというわけには行かなかったのでしょう。
私たちは日頃大きな存在への感謝を忘れがちだといわれています。
確かに、普段大自然や神様について考える人は余りいないかもしれません。
しかし、今でも新嘗祭や神嘗祭が残っているということは、私たちが全ての感謝の気持ちを忘れたわけではない、という証拠に違いありません。
まとめ
今回は新嘗祭について、解説しました。
勤労感謝の日が新嘗祭だったと聞いて、新鮮に思う人も懐かしく思う人もいると思います。
昔の日本人にとっては、稲作、すなわち米が一番大切なものでしたが、それを抜きにしても、私たちはみな誰かのおかげで生きています。
新嘗祭について考えることで、誰かに感謝する気持ちを思い出せたらよいですね。
勤労感謝の日には、ぜひ新嘗祭のことも思い出してください。
できれば、近所の神社に出かけてみてくださいね。