お正月の遊びというと羽子板に福笑い、すごろくなどたくさんの遊びを思いつきますよね。
お正月にはそんな遊びをしたことはないという方もいるかもしれませんが、家族や親戚と一緒に遊んだことのある方もいるでしょう。
そんな楽しいお正月の遊びですが、それぞれの由来などはご存じですか?
実は何気なく遊んでいたお正月の遊びの中にもきちんと意味があるのです。
今回はそんなお正月の遊びの由来や意味も含めてご紹介していきたいと思います。
お正月の遊びって何があるの?
そもそもお正月の遊びって何があるのか知っていますか?
現代だとお正月に家や近所で昔ながらの正月遊びをするよりも、福袋を買いに年始のセールへ出かける方も多いかもしれません。
今ではクリスマスプレゼントが当たり前のようにありますから、そこでゲームをもらったお子さんなどはお正月もゲーム三昧!なんてこともあるでしょう。
年々、正月遊びに触れる機会が減ってきているかと思いますが、昔ながらのお正月の遊びは多くあります。
有名なのは羽子板や福笑い、たこあげではないでしょうか。
辛うじてたこあげは広い公園で見かけることもありますが、羽根つきや福笑いは遊んだことのない子供も多いかもしれません。
日本の伝統的な遊びですから少し残念な気がしますよね。
お正月が近くなると博物館や近隣の児童館や公民館、神社などでもイベントでコマ回しや羽根つきの体験ができることもありますのでぜひ、体験してみてください。
お子さんと一緒に正月遊びを体験するのもおすすめですよ。
福笑いは縁起物?
福笑いは目隠しをして、顔の輪郭だけ描いてある紙に眉や目や口や鼻を乗せていく遊びですよね。
福笑いは明確な勝ち負けのルールがなく、その場で「正確に顔を付けられた方が勝ち」とか「面白い顔が勝ち」などと決めます。
ただ単に顔を作って皆で楽しむこともできるので小さな子でも一緒に遊べますよね。
顔を作る様子を皆で笑いながら楽しむので「笑う門には福来る」なんてことから正月の福を祝うために遊ばれたのが始まりではないかという説もあるそうですよ。
そんな福笑いは江戸後期から始まったとされています。
明治時代に定着して昭和の中頃まで正月の遊びの一つとして遊ばれていました。
残念ながら最近ではお正月に福笑いで遊ぶよ!なんてお子さんはあまり見かけることはないかもしれません。
福笑いも動物の顔やキャラクターなどさまざまな種類がありますが、一般的な福笑いのイメージはおかめの顔ではないでしょうか。
おかめは丸顔で広い額と低い鼻の女性の顔ですよね。
神楽では道下役としておかめのお面が使われることもあります。
そんなおかめはお多福やお福などとも呼ばれ、福を招く神様としていわれることもあるのです。
おかめの他にも口を突き出しておどけた顔をしている、ひょっとこの福笑いもありますよね。
ひょっとこも火を守る神様としておかめと共に家庭を守ってくれる神様でもあるのですよ。
福笑いをお正月の遊びに取り入れて、楽しく福を招くのも良いですよね。
お正月の縁起物!コマについて知ろう!
コマ回しは昔得意だったとか、よく遊んでいたなんて方はどのくらいいるのでしょうか。
昔は男の子の遊びの一つとして人気だったコマですが最近はゲームをして遊んでいる子供の方が多いでしょう。
コマは古くから世界各国で親しまれていました。
現在、判明しているコマの最古の歴史は紀元前2千年~千4百年にエジプトで発見されたものです。
木で作られており、指でひねって回すものだったといわれています。
コマは日本が発祥と考えていた方も多いかもしれませんがコマの発祥の地はエジプトやインド、中国や東南アジアであるなどさまざまな説があり、世界各国で自然発祥したのではないかとの説もあります。
日本では7世紀ごろの藤原京跡から見つかったものが最古のコマといわれており、その後の平安京跡などの日本各地の遺跡にコマが発見されています。
他にも平安時代初期の「倭名類聚抄」の文献にコマについての記述が書かれています。
文献の中では「古末都玖利」と表記され、「こまつむぐり」「こまつぐり」と呼ばれていたそうです。
コマは中国から高麗、そして日本へと伝わったとされ「コマ」という呼び名になったとされています。
独楽という漢字も古代中国でコマを「獨楽」と表記していたものが由来ともいわれているのです。
こうしてコマの歴史をたどると古くから日本でも親しまれていた様子が分かりますね。
奈良時代から平安時代の日本では貴族がコマ回しで遊んだり、占い師が吉凶を占うために使用したりと子供の遊びというよりは大人を中心として使用していたそうですよ。
その後、時をへて江戸時代に入ると庶民の間にもコマが広まっていきます。
江戸時代では「むち独楽」と呼ばれるコマの側面を鞭のようなものでたたきつけるコマが主流でした。
始めはコマに紐を巻き付けて回すこともありますが、その後にたたいて勢いをつけることから別名「叩き独楽」とも呼ばれることもあります。
九州や東北出身の方ですと現代でも残っているようですからご存じの方も多いかもしれません。
その後もむち独楽以外にもさまざまな独楽が日本に登場していきます。
お金を使用して作られた「銭独楽」は回している時間で寿命を競いました。
コマどうしを当てて競う「鉄胴独楽」と呼ばれる木製のコマに鉄輪をはめたものも出てきました。
明治時代に入ると後のベーゴマにもつながるブリキで作られたコマも登場してきます。
コマはまっすぐに回っている様子から“お金が回る”や“物事が円滑に回る”ともいわれる縁起物で昔の日本のお正月にとって欠かせない遊びでした。
コマどうしを競わせる様も男の子にたくましく育ってほしいとの願いも込められていたといいます。
もちろん女の子にも楽しめる遊びですのでぜひお正月にコマ回しをして遊んでみてくださいね。
札を使う百人一首やかるたの由来を知っていますか?
百人一首やかるたはお正月に子供の頃に遊んだことのある方も多いでしょう。
特に百人一首は小学校や中学校の授業で学ぶのでなじみも深いと思います。
そんな百人一首は今から約730年前に藤原定家によってまとめられました。
もともとは平安時代に行われていた貝合わせが始まりだといわれています。
貝合わせは二つの貝が合わさる物を探す遊びで、宮中では貝に絵や歌を書いて遊んでいたとされており、時がたつと「歌貝」というものに変化していきます。
歌貝は貝の形をした札を上の句と下の句に分け、下の句の札を並べてから上の句の歌を詠んで続く下の句の札を取りました。
現在の百人一首やかるたと同じような遊び方ですよね。
その後の戦国時代には百人一首がかるたとして宮中や諸大名の大奥で遊ばれるようになり、江戸時代には庶民にも広まっていきます。
お正月に遊ばれるようになったのには特に理由はないようですが、大人数で集まる機会の多いお正月ですから子供のために遊ばれるようになったといわれています。
百人一首やかるたは暗記力が必要ですから、気が抜けがちなお正月に頭の体操として取り入れるのも良いかもしれませんね。
お子さんも遊びながら楽しく暗記力を付けることも可能なのでおすすめですよ。
羽子板にはどんな意味があるの?
羽子板の歴史はさかのぼると平安時代の初期に行われていた杖で毬を打ち合う、毬杖(ぎっちょう)遊びが由来との説があります。
この毬杖遊びはその後の鎌倉時代に現在もなじみ深い羽子板の形へと変わっていったそうです。
江戸時代に入ると、女の子の初正月に羽子板を贈る風習が出てきました。
羽子板を贈る風習には女の子の健やかな幸せとさまざまな災いをはねのけられるようにとの願いが込められているのです。
羽根つきに使う羽の黒い球の部分は無患子と呼ばれる大木の種が使われており、「子供がわずらわないように」との意味もあるのです。
羽子板は女の子の成長を祈願して作られているのですね。
他にも江戸時代には歌舞伎役者の顔を形とった飾り羽子板が女性たちの間で大流行することもありました。
ちなみに羽根つきで遊ぶ時に負けると顔に炭を塗りますよね。
これは、もともと羽根つきがお互いの健康を願って長く打ち合う遊びであったことが関係しています。
打ち合いが途切れて羽を落としてしまっても、身を守るために鬼が嫌う黒を身にまとうことで厄災をはねのけたといわれているのです。
こうして羽子板を使った羽根つきはお正月の遊びの一つとして定着していったのです。
まとめ
正月の遊びをいろいろとご紹介しましたが皆さんも子供の頃に一度は遊んだことがあるのではないでしょうか。
最近ではあまり見かけない伝統的な正月遊びには縁起を担ぐものや健康を願うものなどさまざまな意味や願いが込められています。
ぜひ、昔ながらの正月遊びで健康や縁起を担いでみてはいかがでしょう。
新年の幕開けとして楽しく遊びながら一年の幸せを願うことになるでしょう。