春になると、美しい桜が至る所で見られます。
日本の桜は、そのほとんどが染井吉野という品種ですが、ご存知でしょうか?
お花見の多くがこの染井吉野の桜で行われています。
でも、なぜ日本では染井吉野の桜が大部分を占めているのでしょうか?
ここでは、染井吉野とはどんな桜なのかということを中心にご紹介します。
染井吉野とはどんなものなの?
染井吉野(ソメイヨシノ)とは、日本固有種であるオオシマザクラの雑種とエドヒガン系の桜との交配で産まれた桜です。
現在の日本では、桜だけでも自生種が100種類以上、園芸品種が200種類以上、細かく分類していくと、実に600種類もの品種が存在しています。
その中でも染井吉野は、明治中期から多く植えられるようになり、鑑賞用の桜の代表となっています。
染井吉野は木が若いうちから花を咲かせるため、第二次世界大戦以降も非常に多く植樹されました。
花見というと、一般的に染井吉野の桜で行われています。
欧州や米国などにも染井吉野が寄贈されていて、ワシントンで行われる全米桜祭りでも染井吉野の花が多くの人に鑑賞されています。
他の桜と比べても人気の品種であり、街路樹や公園、学校、河川敷など様々な場所に植えられています。
学校などでは、染井吉野と八重桜を両方植え、どちらかが入学時期に合わせて咲くように調整しています。
桜の開花は染井吉野が基準なの!?
毎年春に「桜が開花した」という開花宣言を見聞きします。
この開花宣言は、気象台が決めた染井吉野の木が基準となっています。
気象台が定める各地の標本木の花が5~6輪咲いた日を開花日としています。
また、満開日は標本木の80%以上の花が咲いた日を言います。
標本木は毎年、各観測所の400メートル以内に3本定められます。
全国の観測所構内や公園などで決めれています。
東京都では靖国神社、大阪府では大阪城西の丸公園内の染井吉野で標準木を定められていますが、具体的にどの木なのかは発表されていません。
恐らく、木の状態や生育年数などにより毎年標本木となる木は変えられているのでは?とも言われています。
桜前線も染井吉野の開花状況を参考にしています。
では、なぜ染井吉野が基準なのでしょうか?
それには2つの理由があります。
1つ目は、染井吉野が全国各地に広く分布しているからです。
日本国内の約7割が染井吉野の桜となっているからなのです。
2つ目は、染井吉野が同一条件下で開花するからです。
気温など桜の開花のために必要な条件が同一であれば、予想が立てやすいのです。
ただ、奄美大島以南と北海道では、染井吉野が生育し辛いため、南ではカンヒザクラ、北ではオオヤマザクラが観測対象になっている事もあります。
染井吉野と名付けられた由来は?
染井吉野はなぜそのような名前になったのでしょうか?
染井吉野は、江戸時代後期から明治時代初期頃にかけて、当時の江戸に存在していた「染井村」で暮らしていた植木職人や造園師達により育てられていた木でした。
桜の名所として有名な吉野山(奈良県の山)にちなんで、吉野桜として売られていましたが、吉野山に多く有ったヤマザクラとは違う種であるため、混同されることを失くすために1900年に染井吉野と名付けられました。
1901年には村松任三氏が学名を付けました。
このように、染井村と吉野山の二つの地名が由来しているのです。
尚、由来となった江戸の染井村は、現在の東京都豊島区にある駒込周辺になります。
染井吉野の開花時期と特徴
染井吉野の木は、傘状に広がっています。
花弁は5枚で楕円形、花自体は2~3センチ大です。
蕾のうちは薄い赤色、咲き始めは淡い紅色をしていますが、満開になるほどに白くなっていきます。
満開になると木全体を花が覆う形になり非常に華やかです。
桜の中には、花が咲いているのと同時に葉っぱが出てくるものがありますが、染井吉野は花が散るまで葉が出てこないという特徴があります。
開花の時期は、九州や四国地方では3月下旬頃です。
その後、徐々に北上し4月上旬頃までに全国各地で満開を迎えます。
染井吉野は、花が咲く期間が比較的短く、散るまでの時間も早いのが特徴です。
染井吉野の花言葉は?
染井吉野の花言葉は、「優れた美人」「純潔」です。
これは、桜全体の花言葉ではなく、染井吉野だけに付けられた花言葉です。
染井吉野は一本の木だけ見ても非常に美しく、優雅でおしとやかな美女を思わせるため、ただの美人ではなく「優れた美人」という花言葉を授けられてました。
また、純潔は、淡いピンクの花から付けられました。
桜の花は、種類によって花弁の数が異なります。
- 一重(ひとえ)咲き・・・花弁が5枚までのもの。古い木になると3~4枚のものもあります。
- 半八重(はんやえ)咲き・・・花弁が5~10枚のものを言います。
- 八重(やえ)咲き・・・花弁が10枚以上のものを言います。
八重咲きの花とは、雌しべになる部分が花びらに変化して幾重にも重なり咲く花のことを言います。 - 菊(きく)咲き・・・桜の場合は、花弁が100枚以上のものを言います。
- 段(だん)咲き・・・ひとつの花の中に、もうひとつの花が重なり咲くものを言います。
染井吉野は一重咲きになっており、その控えめな様子も純潔をイメージさせるとされています。
染井吉野は3/28と4/1の誕生花にもなっています。
染井吉野は全て一本の木からできている!
染井吉野は、元々一つの木から接ぎ木されて増やされています。
江戸時代後期に染井村の職人たちがオオシマザクラとエドヒガンザクラとを上手に交配させて作り出したものであり、その木自体を増やしているのです。
自然交配されて産まれた木もありますが、それは厳密には染井吉野とは言いません。
ですから、全ての染井吉野は全て同じ遺伝子を持つクローンなのです。
種子などでは増えません。
染井吉野はクローンなので、全て同じ条件であれば開花します。
桜前線などは、その性質を踏まえた上で予想されるのです。
クローンで増えた染井吉野ですが、クローンであるが故に困ったこともあります。
それが病気です。
全てが同じ木なので、病気への耐性が補われず、「てんぐ巣病」など染井吉野に大敵の病気が空気感染しやすいのが難点なのです。
また、クローンが故に寿命が短いのも特徴です。
染井吉野の寿命は、およそ60年と言われています。
樹齢50年を超すと、樹木の内部から腐ってしまうとも言われています。
エドヒガンザクラなどは、樹齢200年を超えるものもあると言われていますので、それに比べると非常に短い寿命で儚いのです。
日本3大桜の名所とは?
日本で一度は見ておきたい3大桜の名所があります。
それが、
- 青森県の弘前公園
- 長野県の高遠城址公園
- 奈良県の吉野山
の3か所です。
これらの場所では、弘前公園が染井吉野、高遠城址公園はコヒガンザクラ、吉野山がシロヤマザクラが主に見られます。
弘前公園の染井吉野は4月下旬頃に満開を迎え、ゴールデンウィーク頃まで楽しめると言われています。
散り際に弘前城のお堀一面に花びら浮かぶことで見られる「花筏(はないかだ)」も非常に有名です。
染井吉野が絶滅してしまうって本当!?
「戦後に植樹された染井吉野が老木になり伐採されている。」という報道を見聞きすることが多くなりました。
これは、前述の通り、染井吉野の寿命が平均60年ほどという点に関係しているのでしょう。
あまり古い木を街路樹などにしておくと、倒木の恐れがあり危険だからという理由もあります。
現在、染井吉野の代わりに、東京の神代植物園にあるジンダイアケボノという種の桜が接ぎ木により植樹されています。
この木は、染井吉野と良く似ているのですが、病気に強いのが特徴です。
このまま、どんどん染井吉野の木が減り、他の種の桜が植えられるという事になると、染井吉野は絶滅してしまうのでは?と危惧されます。
ただ、環境や手入れによって寿命を延ばしたり、様々な桜を植えることで全ての桜が一度に病気にかかることがなくなれば、染井吉野自体も長生きしやすい環境になるのかも知れません。
染井吉野が絶滅しない環境作りが大切になるのでしょう。
まとめ
染井吉野は、桜の中でも非常に有名なものです。
ただ、他の桜よりも寿命が短いという点が難点で、近年では植え替えもかなりの頻度で行われているようです。
染井吉野の寿命が短い理由に、花見客による土壌汚染や、木を不用意に痛めつける行為なども挙げられています。
日本の美しい春を守るために、見る方にもマナーがあることを忘れてはいけませんね。