百か日法要という言葉を聞いたことはありますか?日本では現在とり行われている法要が数多くありますね。
その中でも、故人の葬儀が終わった後の2年間は重要な法要がたくさんあります。
皆さんの中で、百か日法要に参列したことなどがある方もいることでしょう。
ですが実は百か日法要は、法要の中でも省略することが多いものの1つで、実際にはそこまで由来や意味を知らない場合も多くあります。
そこでこちらでは百か日法要についての知識や、歴史、その他の法要についての関係性などについてまとめていきましょう。
百か日法要の基礎知識
あまり耳なじみのない方も多い、百か日法要。
通常人が亡くなり葬儀が執り行われるとすぐに来るのが、初七日法要と、四十九日、その後は一周忌法要をするのが一般的ですよね。
実は四十九日法要と一周忌の間に行われるのが、百か日法要なのです。
百か日というくらいなので、当然故人亡き後の100日目に執り行われる法要であることが想像できるでしょう。
では一体、どの様な意味があるのでしょうか。
実は百か日は卒哭忌(そっこくき)とも呼ばれ、故人が亡くなった悲しみも終わらせる・卒させるという意味合があります。
対して、四十九日法要は「忌明け」とされており、初七日からのその期間は遺族が必要とする「いやしの時間」とされているのです。
四十九日法要では故人の遺骨も納骨され、それまで自宅に置いてあった骨壺が墓などに入る事に。
四十九日は故人との本当の意味の「お別れ」ということなります。
遺族は大抵四十九日を境に一般の社会に戻るとされており、昔はこの日に「精進落とし料理」をいただいていました。
現代では精進落とし料理を、告別式後、または初七日法要の後に食べることも増えています。
これは本来忌明けに食べるという精進落とし料理の意味合いから、だんだんと僧侶や参列してくれた親族などに対するもてなしの意味が強くなっているからとも考えられますね。
ですが、先ほどご紹介した通り、実は本当の忌明けは百か日法要であるとも言えます。
百か日は故人が亡くなってからちょうど3か月あたり。
四十九日法要と、一周忌の間に親族が集まるにはちょうど良い日にちとも言えます。
ただ最近は、そこまで頻繁に親戚が集まることが難しい場合もあり、省略をする家庭も増えているのでしょう。
百か日法要を行う意味合いとは?
仏式の葬儀、法要を執り行う意味合いについてですが、「死後裁判」の日にちが関係しています。
仏教の教えでは、人は亡くなると直後から長い死後の旅に出るとされています。
これは「死後裁判」とも呼ばれており、故人の魂が死後の世界でどこに行くかを決めるものとなるのです。
いわゆる閻魔大王と呼ばれる、赤い強面の神様がいるのがこの世界です。
故人の魂は6日かけて三途の河がある場所に到着。
そこから三途の河を渡ることになるのですが、生前の行いにより急流か、暖流かが決定します。
三途の河を渡ったら10人の王たちに次々とどの世界に行くのかを決められ、入れかわり立ちかわり7日ごとに審判が下ってしまうのです。
この7日という数字は仏教でとても意味のある数字で、四十九日も7日の倍数になっていることにお気づきのことでしょう。
7日ごとに神を変え、何度も生前の行いや評価により行き先が決められる故人。
ようやく決定するのが四十九日法要なのです。
この時には地獄・畜生・飢餓・修羅・人道・天道のどこに行くかが決定しています。
ただ地獄のイメージは付きやすいですが、天道とは天国のことではありません。
一番天国に近い世界と言うのが正解でしょう。
そこで故人の魂の行く先が決定し、法要の際に「どうか故人が極楽浄土にいけますように」との祈りをささげます。
もともと死後裁判は中国の儒教やインドの考え方から来ているものなので、極楽浄土への考え方は、日本仏教独自の考え方であると考えられるでしょう。
まれに四十九日法要で死後の行く世界が決定しつつも、故人に相応しくない世界へ行く審判がくだされてしまう場合があります。
そんな時にさらに平等王という王に再審されるチャンスをもらえるのですが、実はその日が百か日なのです。
この法要を執り行う意味は、故人の魂を救済するということ。
百か日法要をすることで故人が間違って進んでしまった死後の世界から、救出しうるかもしれないという考えに基づいているのです。
百か日法要にお布施は必要?
百か日法要に、お布施は必要なのでしょうか?
一般的に省略する方が多い百か日法要は、もし執り行っても親族だけ、またはごく身近な家族だけという場合が多い様です。
あまり聞かない法要だけに、お布施が必要なのかどうかは大切ですよね。
家族だけで執り行う場合は、もちろん必要ありません。
ですが、形式的に仏式で百か日法要をするとしたら、お布施が必要です。
この場合は僧侶などに来てもらい、読経してもらうためです。
ただなかなかすることのない百か日法要なので、世間の平均値をだすことなかなか難しいものがあります。
もしもお布施をする場合であれば、3万円から5万円を支払うのが無難でしょう。
ただしこの金額はあくまで寺で執り行った時の話であり、自宅やどこかの場所に僧侶に来てもらうのであれば、さらにお車代や御膳料として5千円から1万円を包むと良いかもしれません。
ただ法要後に会食をするなどの場合、僧侶が一緒に会食に参列したら御膳料の支払いは不要なのでどの様にするかを検討しましょう。
また施主のお布施ではなく「参列者」としてお香典を持って行く金額ですが、こちらは1万円から1万5千円程度でよいでしょう。
親族などの場合は2万円という方もいますが、血縁関係者ではないという場合は大抵1万円で良いとされています。
百か日法要のお供えは何をする?
百か日法要の際に、何をお供えをしたら良いのかと悩む方も多いでしょう。
百か日法要の際のお供え物には、して良い物と良くない物があります。
まずお供えしても良い物からご紹介していきましょう。
まず百か日の特性から。
実は四十九日で一般的には忌明けとされていますので、それ以降の法要は忌明け後の法要として扱われます。
つまり、そこまでタブーに縛られないということですね。
百か日のお供えは一般的に花が良いとされているのですが、これは忌中には色見の鮮やかな花を飾ることはタブーとされていたから。
忌明けのこの法要には故人の好きだった花を始め、生前に好きだったお菓子や果物などが良いでしょう。
ただあまりに華やか過ぎる物は、場に相応しくありません。
もしも生前に好きだった花が華やかなものであった場合は、淡い色見などを組み合わせてみるのはいかがでしょうか。
またせっけんやタオルといった物もお供えにあげる方が多いとされています。
対して自分が百か日法要に参列をする場合は、日持ちのするお菓子などの食品がおすすめ。
一回開けてしまうとすぐに食べる必要がある物はおすすめできないので、小袋の詰め合わせなどを持参するのが良いでしょう。
お供えをする際にタブーとされているものについてですが、生ものは厳禁とされています。
ただしこの「生もの」の意味は、肉や魚のことを指します。
野菜や果物はOK。
他には、僧侶や宗派によりタバコや酒を禁止とすることも。
お酒などはお供えで良く見る物ですが、この禁止事項に関しては僧侶による場合が多い様ですね。
できるだけマナーを守ったお供えの仕方を心がけましょう。
百か日の服装のマナーとは?
百か日は法要です。
いくら親族だけで執り行う場合もあるとはいえ、やはりマナーを守る必要がありますよね。
葬儀や法要の際の服装は誰もが悩むところですが、やはり悩んだら礼服にすると間違いないでしょう。
基本的に法要は礼服であることが暗黙のマナーですし、場に相応しくないと思われてしまうよりも、きちんと礼服を着用していた方が社会的立場にも響きません。
もしも礼服が用意できないなどの場合は、ダークグレーや濃紺、できるだけ黒に近いものなどを着用しましょう。
女性であればワンピースや、ジャケット。
男性であれば会社用のスーツでも問題ありません。
ただしアクセサリーは身に着けず、かばんなども黒を中心とした控えめな色見のものを。
靴は女性なら、ヒールの少しある黒っぽいパンプスを履くのが無難です。
男性はもし会社様に履いている靴があればそちらでも構いませんし、もしなければドレスシューズの様な物を履くのがおすすめです。
服装は新しい物を新調する必要はないので、できるだけ暗めの物を意識するのがベストです。
参列者の場合は特に、ご遺族に失礼のない様にするのがマナーですね。
一方で遺族の方は、参列者の失礼のない様に簡略化されたものでも、礼服を着るのが最善でしょう。
まとめ
こちらでは百か日法要についての基本情報や、知識、マナーについてご説明してきました。
大人になると様々な法要に参列する機会も増えますが、必要なのは社会人としての礼儀やたしなみです。
出来るだけ先方に失礼の無い様、また参列者に失礼のない様に振舞うのがポイントです。
是非知識を身に着け、万が一の際に役立てて頂けたら幸いです。