博多どんたくという名前を、1度は聞いたことがあるでしょう。
博多では有名なお祭りですが、聞くだけで楽しい気分になれる、よい名前ですね。
正式には「博多どんたく港まつり」という名前ですが、「どんたく」とは一体どんな意味なのか、お祭りの日程や由来とともに解説していきたいと思います。
博多どんたくの歴史を知ると、きっと出かけてみたくなりますよ。
「博多どんたく港まつり」の由来!日程が決まったわけとは
「博多どんたく港まつり」は博多松囃子が主役のお祭りです。
松囃子は1179年に亡くなった平重盛(清盛の息子です)に、博多の町人たちが感謝を表すために始めたのが由来といわれています。
江戸時代には正月の15日に、福岡藩主のもとに博多の町人が訪れ、松囃子を行うのが恒例の行事になりました。
明治維新や第2次世界大戦などで中断したこともありましたが、その度に復活して松囃子は博多の人たちとともに歩んできました。
戦後には博多の復興ために松囃子が行われるようになり、現在のような祭りの形式になりました。
中断と復活で祭りの日程は度々変わりましたが、1949年からは憲法制定に合わせて、5月3日と4日に落ち着きました。
ところで松囃子を行うのに、なぜどんたくという名前なのでしょうか。
これはオランダ語の休日・ZONDAG(ゾーンターク)が語源といわれています。
明治維新後の中断の後、復活したときに、どんたくと呼ばれるようになりました。
1962年には、現在行われている、市民総参加の「博多どんたく港まつり」になり、5月3日、4日には思い思いの仮装をしてどんたくを楽しむ人たちで博多の街はいっぱいになります。
どんたくに参加する人は約2万2千人、見物客は約200万人と、ゴールデンウィーク期間中では日本一の祭りといわれています。
博多どんたくはどんなもの?松囃子と通りもんとは
博多どんたくを楽しむためには、どんたくについて知っておいた方がよいでしょう。
どんたく、すなわち松囃子は、江戸時代には正月を祝う行事でした。
お祝いにピッタリの福神(福禄寿のことです)、恵比寿(男と女がいて夫婦です)、大黒の三福神と稚児が、博多の街を祝い歩きます。
三福神はそれぞれ馬に乗り、太鼓を叩いて言立て(決まった口上・祝言。各福神、稚児にもある)を唄う子どもたちと、笠鉾を立てた大人たちがそれに続きます。
稚児は、頭に天冠をかぶり舞衣に緋のはかまを身に着けた少女たちと鼓や太鼓を叩く少年たちです。
これにも大人が付き添って、言立てを唄いながら町中を祝い回ります。
江戸時代には、この福神と稚児に、博多の町人たちがそれぞれ趣向を凝らした仮装や出し物をして続きました。
この人たちを「通りもん」と呼んだのです。
福神と稚児は、武家町や寺社仏閣を回りましたが、通りもんは知人宅や商家を回って祝い、酒や肴を振る舞われたということです。
始めは福神と稚児を松囃子、通りもんのことをどんたくと呼んで区別していましたが、今では総称して全てを博多どんたくとよんでいます。
通りもんができたときから、博多どんたくは市民が参加していました。
市民総参加は伝統的だったわけですね。
現在でも博多どんたくには多くの市民が参加しています(事前の申込みが必要です)。
いちばん大切なのは、お祝いの気持ちを忘れないことだそうです。
5月3日と4日、「博多どんたく港まつり」のメインイベントとして、どんたくパレードが行われます。
会場は、車両を通行止めにした明治通り「どんたく広場」です。
市長や県知事、県警音楽隊まで参加する大掛かりなパレードですが、博多どんたくの源流として、博多松囃子が先頭を務めます。
パレードは路上で自由に見ることができますが、じっくり見物したい人のために、階段状になった有料観覧席も設けられています。
博多どんたくの衣装が気になる!音楽は?
博多どんたくについて知っていくと、衣装も気になりますね。
通りもんの衣装として有名なのは、裏返して着る羽織です。
これが「肩裏(すらせ)」と呼ばれ、粋だとされています。
博多には「博多にわか」という伝統芸能があります。
ぼてかずら(紙を重ねて貼って作ったカツラ・ハリボテのぼてだと思われます)ににわか面(目元だけのお面、タレ目とタレ眉が印象的。二〇加煎餅で有名)を着けて、即興で社会風刺を交えた面白い話をする芸です。
先程の肩裏と袴に、にわか面をかぶるのも博多どんたくならではです。
当日にわか面を配っていることもありますから、もしもらえたら、自分で着けてみるのもよいですね。
博多らしい、という点では100点満点の衣装ですから、お祭り気分も盛り上がること間違いなしです。
また、女性が手に持ったしゃもじを叩きながら踊っているのもよく見かけますが、これはお囃子に誘われた女将さんが、たまたま食事の準備中だったために、しゃもじを持ってお囃子に参加したから、という由来があるそうです。
衣装も大切ですが、どんなお祭りにも唄は欠かせません。
博多どんたくの唄といえば、「ぼんち可愛いや」です。
現在7番までありますが、1番のみ幕末の江戸で流行ったもので、菓子作りの修行に東京に出た人が覚えて帰って来ました。
日露戦争後の戦勝ムードに、ぼんち可愛いやがピッタリだったと思われます。
2番以降は大正中期頃に作詞されたということです。
ぼんち可愛いや寝んねしな品川女郎衆は十匁十匁の鉄砲玉玉屋が川へスッポンポンこれがぼんち可愛いやの歌詞ですが、歌詞の段落ごとにしりとりになっています。
これはしりとり唄というそうです。
江戸時代には「坊や」だったのですが、明治以降に関西方面で使う「ぼんち」に変わっています。
「ぼんち可愛いや」は今でも博多どんたくのメインテーマとして、新バージョンもできています。
これまでも、これからも「ぼんち可愛いや」は人々に親しまれて行くのでしょう。
博多どんたくにかかせない、花自動車について知りたい!
博多どんたくの期間中、街中を花自動車が運行します。
どんたくパレードにも参加する、花自動車はまさに博多どんたくの花形です。
花自動車の始まりは、路面電車に飾り付けをした花電車でしたが、路面電車の廃止に伴い、花自動車へと変わっていきました。
お祭り気分を盛り上げる花自動車は、何と1台に1200個のLED電球が飾られています。
デザインを決めるのに3ヶ月、作り上げるのには1ヶ月かかっています。
アンパンマンや桃太郎などがデザインされており、子どもたちが花自動車を楽しみにしていることがよくわかります。
2018年4月23日には、博多どんたくに先立ち、花自動車の点灯式が行われ、近所の保育園の子どもたちが招待されました。
博多どんたくが始まる前から、花自動車は子どもたちの夢を育てる存在のようです。
花自動車が走る博多どんたくを見て育つ子どもたちが、何だか羨ましいですね。
博多どんたくに参加したいなら、総おどりが一番!
祭りの期間には、市内各所を訪れた松囃子のみなさんが祝賀をしています。
事前に申し込みをした市民のみなさんもどんたく隊として、パレードや演舞を行います。
市内の約34ヶ所に設置された演舞台では、どんたく以外にもさまざまなイベントを楽しめます。
また、博多駅前通りでは、どんたくの路上ライブを楽しめる時間帯があるので、パレードとも演舞台ともちがう、近い距離で博多どんたくを感じることができます。
見どころがたくさんある「博多どんたく港まつり」ですが、見ているだけでは、物足りなくなってくるのがお祭りというものです。
そんな人たちのために、祭りの最後には総おどりの時間が設けられています。
自分が踊るのは恥ずかしいと思う人もいるでしょうが、だからこそ祭りの最後が総おどりの時間なのです。
後は帰るだけですから、気兼ねなく総おどりに参加して、踊ってみましょう。
総おどりは5月4日、18時50分から19時20分までです。
どんたく隊に参加するのとは違って、予約など一切不要な飛び入り参加できる催しなので、ぜひ参加してみてください。
万全を期すなら、しゃもじを持って踊りましょう。
公式記念グッズとして、しゃもじが販売されているので、それを使ってみてはいかがでしょうか。
記念グッズとして、オリジナルCDも販売されています。
総おどりに使われる「ぼんち可愛いや」「黒田カッチリ節」のほかに博多祝い唄も入っていますから、CDを買っておけば、次の年まで博多どんたくを忘れないかもしれませんね。
総おどりが終わると、博多の祝い唄「博多祝いめでた」と「一本締め」で祭りが終了となります。
その場にいる全ての人と、祭りの終わった達成感、高揚感、そしてほんの少しの寂しさを共有できると思います。
まとめ
博多どんたくの由来や日程について解説してきました。
松囃子という伝統芸能に、古くから市民が参加することで新たな魅力を作ってきた「博多どんたく港まつり」に出かけてみたくなったのではないでしょうか。
見物するだけでなく、総おどりに参加できるのも、博多どんたくの懐の深いところです。
いろいろな方向から、お祭りの魅力だけでなく、博多の人たちの魅力も存分に味わってください。
有名になるお祭りには、やはりそれだけのよさがあるものなのです。