私たち日本人は、昔からずっと月が好きでした。
日々形を変えていく月の不思議さに心を惹かれ、満月の美しさを愛しました。
変わっていく月の形から暦が作られ、電気のない時代の夜には、その明るさの恩恵を受けました。昔の人々は月を愛しただけでなく、その不思議さからも目が離せなかったようです。
仏教には満月に関係があるお祭りがあります。
アジア各国で行われていますが、日本でも鞍馬寺で行われています。
今回は鞍馬寺の五月満月祭について解説します。
五月に行われる!鞍馬寺の五月満月祭!読み方も謎?
五月満月祭は京都の鞍馬寺で五月の満月の日に行われるお祭りです。
鞍馬寺は源義経が幼少時代を過ごした寺としても有名ですね。
鞍馬山が新緑で彩られる五月の満月の夜には、天から強いエネルギーが降り注ぐといわれていました。すべてのものが目覚めるためのエネルギーであると信じられており、鞍馬寺では満月に清水を供え、みなで分かち合う儀式が行われていました。
昭和22年(1947年)に、鞍馬から遠く離れたヒマラヤでも、鞍馬寺と同じ夜に祭りが行われていることがわかりました。
お釈迦様の誕生の日、悟りを開いた日、入滅の日がすべてインド暦第2月(ヴァイシャーカ・Visakha)の満月の日だったという伝承があるため、その徳を讃える「ウエサク祭」が始められたのです。
これにちなんで鞍馬の五月満月祭もウエサク祭と呼んで、広く公開するようになったそうです。このときから五月満月祭にはウエサクサイとフリガナが振られるようになりましたが、ウエサクはヴァイシャーカが転じたものだといわれているので、五月満月祭の読み方がウエサクサイだとは考えられません。それ以前は普通に「ごがつまんげつさい」などと呼ばれていたのかも知れません。
五月満月祭では、鞍馬山と宇宙がつながる?
昔の人たちが月を愛していたから、五月満月祭ができたのかというと、どうもそうではないようです。
鞍馬寺はもともと宇宙とつながりが深い寺でした。
鞍馬寺の御本尊は、「尊天」と呼ばれています。
尊天は宇宙エネルギーで、すべての生命の源です。鞍馬寺はこの宇宙エネルギーが特に多く届く場所であり、宇宙エネルギーのパワーに包まれるための道場になっています。
鞍馬寺では御本尊の毘沙門天は太陽の精霊、千手観音は月輪の精霊、魔王尊は大地(地球)の霊王だとしています。
私たちには聞き覚えがない魔王尊は尊天の一人で、650万年前に金星から地球に降り立ったといわれています。年齢は永遠に16歳であり、その体は私たちのような普通の人間とは違う元素でできているそうです。SF映画になりそうな斬新な設定ですが、鞍馬寺は昭和22年(1947年)に鞍馬弘教を開宗し、天台宗から独立しています。この独特の宗教観は揺るぎないものなのです。
五月の満月夜に宇宙からのエネルギーを受け取るために、五月満月祭を行うのは、鞍馬寺としては自然の成り行きであり、当然やらなくてはいけないことだったのでしょう。
五月満月祭!実際には何をするの?
五月満月祭は三部構成になっています。
第一部は「きよめ」を目的としており、月が空高く昇る19時頃から行われます。
祭りに集う人々がその場と自分自身を清めるために、魔王尊に祈りを捧げます。あらかじめレジメが配られるので、それに載っている「魔王尊に祈る」という詩のようなものを貫主の後に続いて唱えます。その後赤い蓮の花の形をした「心のともし灯(これは自分で祭りの前に買っておきます)」に火がつけられます。
このともし灯を高く掲げて祈りますが、赤い炎でいっぱいになった会場は何とも幻想的です。赤いともし灯と満月を見るだけのために五月満月祭に行く価値は十分にあります。祭礼が終わると、参列者は月に供えた清水、明水を授けられます。明水を使うと、自分の体内に満月のエネルギーを取り入れ、活力を増すことができるといわれています。
この後22時からは第二部が始まりますが、最終電車に間に合わなくなるため、夜明けを迎える覚悟ができていない人は第一部だけで帰ることも多いようです。
第二部は「はげみ」が目的になります。
月光を受けながら、はげみの瞑想を行い、夜明けまで続く第三部では「めざめ」を象徴する聖火が上がるそうです。この五月満月祭は満月からのエネルギーを受けて、すべての人が目覚めるように祈ります。
目覚めとはどんなことなのでしょうか。
私たちは人間だけが何か特別な生き物のように考えて、自然をコントロールしようとしますが、私たちの命もほかの動植物すべてと関係して、支え合って生きています。これに気付いて、私たちの命もほかの動植物の命も、比べようがない大切なものであることを知ることが「めざめ」であるようです。
真に大切なことに気付くこと、すなわち「めざめ」は聖火のように人生を明るく照らしてくれます。
一人ひとりが掲げていた心のともし灯は、とても小さなものですが、それでも集まれば周りを明るく照らし出します。一人ひとりが人生で真に大切なことは何か、に気付けば、それがこの世界を変える力になるのかも知れません。聖火や心のともし灯を見ながら、様々なことを考えられるのも、五月満月祭の魅力なのでしょう。
街中に出かけるときとは違う!五月満月祭に出かけるときの注意!
五月満月祭には、満月とともし灯を眺めに行くのもよいですし、満月から宇宙エネルギーが降り注ぐのを実感しに行くのもよいでしょう。いろいろな楽しみ方ができる鞍馬寺の五月満月祭ですが、出かけるときには注意した方がよいことがいくつかあります。
まず鞍馬寺があるのは標高584mの鞍馬山です。京都市内とは気候が違います。
五月満月祭は五月に行われますが、それでも夜間は寒いため、防寒対策は必ずしてください。雨対策なども必要です。街中のように、街灯がたくさんあって足元が安心というわけではありません。懐中電灯などの用意があると帰り道で安心できます。
普通お祭りには露店が付き物ですが、五月満月祭には露店などは一切出ていません。食べ物は自分で用意してください。食べたらゴミは必ず持ち帰るようにしましょう。どんな場所でもゴミのポイ捨ては許されませんが、鞍馬山は山自体が御神体と考えられています。神様にゴミを投げつけるような真似はしないに越したことはありませんね。
せっかく満月からの宇宙エネルギーをいただきに行くのですから、私たちも鞍馬山のために、自分にできることをしたいですね。
夜だけではもったいない!鞍馬山すべてを楽しもう!
せっかく鞍馬寺に出かけるなら、少し見どころを知っておきましょう。
鞍馬寺の最寄り駅は叡山電車の終点鞍馬駅です。駅を降りるとすぐに山門が目に入ります。この山門「仁王門」が鞍馬寺という清らかな世界を守る結界となっています。
日本一短い、かわいいケーブルカーを利用すると2分で鞍馬寺本堂に到着しますが、御神体である鞍馬山を自分の足で登れば、もっとご利益が望めそうです。ケーブルカーの山門駅の横の「九十九折(つづらおり)参道」は、平安時代に清少納言が、枕草子に「近うて遠きもの」と記しています。平安時代の人もこの道を歩いたと考えると、何だか不思議な気持ちになれますね。
本殿金堂は鞍馬寺の中心であり、三体の天尊が祀られています。本殿金堂の前の石畳に記されている六芒星が、パワースポットとして人気がある金剛床です。六芒星の中心に立って、両手を大きく広げ、天を仰ぐと宇宙と一体化できるといわれています(六芒星の真ん中の三角形は踏まない方がよいそうです)。このときに願い事を思い浮かべると叶うといわれています。
宇宙との一体化ということに憧れはあっても、周りの人から誤解を受けてしまいそうで、普段は中々口にできることではありません。でも、鞍馬寺ならそんなことはありません。この機会に自らの精神を開放してみるのもよいのではないでしょうか。
鞍馬寺には源義経ゆかりのスポットなどもあり、見どころは数え切れません。五月満月祭の際は暗く、幻想的な雰囲気が楽しめますが、明るいときにも、ぜひ立ち寄りたいパワースポットです。
まとめ
今回は鞍馬寺の五月満月祭について解説しました。
読み方からして変わっているお祭りですが、暗く幻想的な雰囲気の中で行われますから、自分にとっての真の幸せについて考えるためには最適な機会になります。
オカルト的な儀式を想像する人もいるかも知れませんが、家族連れなども多く見かけます。意外に親しみやすい雰囲気ですから、まずは気楽な気持ちで出かけてみてください。
鞍馬山という場所にあるため、天候や足元など気を付けなくてはならない点がありますが、だからこそ特別感も味わえます。
宇宙からのエネルギーを感じることは、自分の存在の小ささを感じることに繋がります。人間だけが特別ではない、人間も宇宙の中の小さい存在に過ぎないのだとわかると、今までよりも少しだけ謙虚な気持ちになれるのではないでしょうか。