上野駅で下車してから公園口を出て、徒歩3分で到着する便利な神社が五條天神社です。
五條天神社の大祭は、3年に1度千貫神輿が出ることで有名ですが、千貫神輿とはどんな神輿なのか気になりますね。五條天神社はとても歴史のある古い神社ですが、いつ、どんな経緯があってできたのかもとても興味深いです。
今回は五條天神社の大祭や由来について解説します。
五條天神社の由来!どんな神社?祀っている神様は?
今から約1890年前、日本武尊(やまとたける)が東征のために上野の忍が岡を通りました。
このとき大己貴命(おおなむじのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱の神様に加護をいただいたことに感謝して、両方の神様を祀ったことが、五條天神社の始まりといわれています。
大己貴命は別名大国主命(おおくにぬしのみこと)といいます。因幡の白うさぎの話に登場する心優しい神様で、皮を剥がれて苦しんでいたうさぎを助けてやったことは、知っている人も多いでしょう。
少彦名命は大己貴命に協力して国造りをした小さな神様です。農業、酒造、医薬、温泉の神様として信仰されています。
大己貴命がうさぎの傷を癒やしてやったことと、少彦名命が医薬の神様であったことから、五條天神社は医薬祖神とも呼ばれています。毎月10日には医薬祭が行われており、病気平癒の願いを持った人々が訪れるそうです。
「五條」と「五条」の違いとは?どちらが正しいの?
ところで五條天神社について調べたことのある人なら、「五條天神社」と「五条天神社」と2つの表記が出てきて、戸惑ったことがあるのではないでしょうか。
京都にも五條天神社という同じ名前の神社があり、やはり少彦名命をお祀りしており、医薬の神社としてのご利益があるといわれています。五條天神社の北側を通っている松原通が、かつては五条通と呼ばれていたことが、神社の名前の由来になっています。
現在、京都の五條天神社では、登記上の名前が五条天神社となっています。普段使っている名前と違うのか、と驚かれるかも知れませんが、実は條と条は同じ漢字です。条は條の新字体(使いやすく省略された漢字)で、京都の五條天神社は、新字体を採用したわけです。
現在も地名として五条という名前が京都だけでなく、北海道や香川にも残っていますが、みな新字体で「五条」と表記されています。地名は読みやすく、書きやすいことが優先されたのでしょう。京都の五條天神社も時代の流れに乗ったのかも知れません。
ちなみに條や条には、枝やすじという意味があります。ここからすじのように書いた文書や、すじみちという意味ができました。上野の五條天神社の周りには、五条という地名はなさそうですが、人々を集める道すじがあるのかも知れません。道すじをたどって、今でも四方八方から信仰心を持った人々が集まって来て、五條天神社を守っているのでしょう。
結論として、五條天神社と五条天神社は、漢字だけを考えるとどちらも間違いではありませんが、上野の五條天神社の場合は、昔からずっと使ってきた「五條」という字を使う方がよいでしょう。
五條天神社大祭の始まり!祭礼式から町会神輿連合渡御まで
五條天神社の大祭は毎年5月下旬に行われます。大祭は3年に1度で、それ以外は陰祭といいます。最近では2017年が大祭の年でした。
曜日に関係なく毎年5月25日に行われるのが、当日祭です。当日祭は神様を祀る儀式を行うことで、祭りの主役です。神輿や山車に目を奪われてしまいますが、神様を祀るのが祭りの目的です。当日祭も大切な儀式ですが、平日に行われることも多いためか、静かに進行するようです。当日祭では大祭、陰祭に関わらず巫女舞や里神楽が奉納されます。
大祭の年の「当日祭」に一番近い土曜日には、町会神輿の連合渡御が行われます。氏子町会は12もあるため、連合渡御をする様子は見事なものです。氏子たちによって担がれる町会神輿は、上野公園内を五條天神社から公園南口の広場まで連合渡御します。神輿たちは広場で小休止した後、更に上野の街中に繰り出して行きます。
上野公園といえば、お花見の名所ですが、桜の時期が終わっても、こんな楽しみがあるのですね。
大祭のクライマックス!五條天神社、本社神輿の特徴とは
大祭の年、当日祭(5月25日)に近い日曜日には、神幸祭として本社神輿と鳳輦の渡御が行われます。
本社神輿と鳳輦は、1日かけて12の氏子町会を渡御していきます。本社神輿は千貫神輿と呼ばれています。貫とは重さの単位で、千貫は3750kgになりますが、正確にこの重さでなくても、特に大きな神輿を千貫神輿と呼んでいます。
五條天神社の本社神輿は、担ぐと高さ4mにもなるため、担ぎ手には多くの人数が必要で、また交替要員も欠かせないということです。
本社神輿の渡御には、区間によっては囃子屋台が出ていたり、和太鼓の演奏が披露されていて3年に1度の渡御を盛り上げています。黒漆塗りの屋根に大きな金色の鳳凰が載った本社神輿の姿をしっかりと見届けたいですね。
神輿というのは、みな同じように見えますが、一つひとつが特徴を持っています。五條天神社の本社神輿の屋根をよく見ると軒のラインが直線的です。延屋根というそうですが、神輿によく見かける唐破風(屋根のラインが緩やかに湾曲している)とは違い、屋根紋が映えるシンプルなデザインです。
神輿の扉は四方が桟唐戸という扉になっており、神輿の胴の周りは精巧な作りの勾欄(欄干や手すりのこと)があるため、とても華やかな見た目になっています。神輿の特徴を踏まえて眺めれば、より一層本社神輿が楽しめます。
神輿とは違った魅力!鳳輦の渡御行列!
鳳輦とは神様の乗った輿のような乗り物です。神様が直接乗っているため、本社神輿の渡御とはまた違う、神話の世界を思わせるような行列が見られます。
鳳輦の行列は神職の一行が先導します。鳳輦の行方を清めるため、街の辻ごとに切麻散米(きりぬささんまい)をします。切麻とは細かく切った麻や紙のことで、これに米と塩を混ぜたものを撒くと、その場が清められます。
行列には先導の神様として有名な猿田彦が加わっており、盾や弓、さしば(柄の長い扇のようなもの)を掲げた巫女たちや、御幣を持った神職を引き連れています。この行列は五條天神社大祭の見どころとして有名です。見ていると、神様が本当に鳳輦に乗っていらっしゃるように感じられてくるから不思議です。
鳳輦自体は台車に載せられて渡御をします。鳳輦の周りは幕で覆われて、中を伺うことはできません。かつては担いで渡御をしていたそうですが、渡御行列は長丁場になります。台車に載っていたほうが神様も安心できそうです。
鳳輦の行列は巡航中に時折小休止を取りますが、そのときに巫女さんたちによる乙女舞が披露されます。白地の千早と緋袴姿のおなじみの装束を身につけた巫女さん以外に、薄紫の千早と紫の袴の巫女さんと総勢10名前後が路上で舞を舞います。
路上で巫女さんの舞を見るのはとても珍しいことですし、とても美しい舞なので、巫女舞はぜひ鑑賞してください。どちらかというとちょっとごちゃごちゃした人間くさい上野の街と、優雅な巫女さんたちの不思議な対比を楽しんでくださいね。
まとめ
今回は五條天神社の大祭について解説しました。
3年に1度の大祭の年にしか見られない、本社神輿と鳳輦の渡御行列の見どころについて詳しくお知らせしましたので、出かける際の参考にしてください。一緒に五條天神社の歴史や由来についても解説しました。大祭に出かける前にこれらを知っておくと、より一層楽しめるようになりますよ。
五條天神社は医薬の神様としてのご利益があるそうですから、毎月10日の医薬祭に出かけるのもよいですね。子どもの頃に親しんだ因幡の白うさぎのお話ですが、それを助けた優しい大己貴命(大国主命)に再開できるのは、懐かしく嬉しいものです。
上野の街にこんなに歴史のある場所が残されていて、上野の人たちに守られています。五條天神社の大祭を見る人は、きっと驚きを感じ、上野の人たちに対して尊敬の念を抱くはずです。
1度は上野の五條天神社に出かけてみませんか?
なお大祭の「当日祭」と町会神輿の連合渡御、本社神輿と鳳輦の渡御行列は日程が違います。毎年曜日に関係なく同じ日に行うのは、当日祭だけ(5月25日)になります。出かける際には、日程の確認を忘れないように、ご注意ください。