古来の中国から伝わった季節を感じる文化である、七十二候というものをご存知でしょうか?
七十二候は四季を通し、72の季節を特徴に分けて説明した言葉であり、それを表現することでより繊細な日本の四季を感じさせてくれるものなのです。その中で今回は蚕起食桑という表現に、注目してみましょう。
蚕起食桑と見ると、一見何のことを言っているのがわかりせんよね。そこでこの言葉の季節や、どんな内容なのか、また手紙の中でどの様な使い方をするのかについて、まとめていきます。
第二十二候、蚕起食桑の読み方とは?
七十二候は1年を72個に細かく分けて、それぞれ見事に表現しています。その巧みな表し方は、まるで今その場で体験をしているかのように、頭に情景が浮かぶほどなのです。
最初に日本に伝わって来た時には、もちろん中国の風土にあった言葉だったはずです。ですがそれを日本の風土や習慣に合わせて、自分たちの感覚で日本人らしい表現を探求してきたのでしょう。
まず七十二候の読み方について、注目してみます。
七十二候の読み方は漢字だけで、ある言葉を文章の様に読んでいきます。その読み方は漢文そのものであり、中国から伝来した名残があることが伺えます。日本には漢字だけではなく、平仮名などもありますよね。文章にするのであれば当然、間に平仮名や接続詞を付けることになるはずです。ですが七十二候は漢文の読み方そのものですので、読み方そのものを知らないと、スラスラっとは読めないでしょう。
まずこちらでご紹介していく第二十二候の蚕起食桑は、かいこおきてくわをはむという読み方をします。中々難しい読み方ですし、日常で蚕の様子を言葉に出して季節を表現することはそうそうありませんよね。しかも蚕のことを、そこまで知らないという方も多いことでしょう。
そこでこちらでは、蚕についての歴史や農家との関係性を踏まえつつ、どうしてこの第二十二候「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」という言葉が生まれるに至ったのかをご紹介します。
蚕に注目した理由
まずは第二十二候を説明する前に、蚕についての話をしないと言葉そのものの理解ができないかもしれません。蚕は、昔の農家にとって稼ぎ頭ともいえる家蚕(かさん)です。実は蚕に野生のものはいず、全て農家が稼ぎのために育てていたのです。つまり畜産農業でいう、家畜のようなものですね。
蚕が作る繭玉は、絹糸となります。蚕が3週間かけでつくった繭玉は、お湯の中で煮たてて取り出したら、糸をほどいて絹糸にします。
現代では衣服も様々な性質のものが出回っていますし、あらゆるところに工場などもでき、大量生産が好まれる傾向もありますよね。そのため段々と「絹の洋服が良い物、高価な物」である、という意識が人々からなくなってきているのも事実です。
もともと蚕は江戸時代に地方の人でも仕事できるようにと、主要産業として広まっていったとされています。確かに蚕産業は、衣服が着物中心であった江戸時代には、良い稼ぎになっていたことでしょう。車や電車がない江戸時代では、奉公にでるなどをしないと外部で仕事をすることはなかなか難しかったはず。かといって生計を立てる職がないと、暮らしていけませんよね。
そんな時代にぴったりだったのが、家蚕(かさん)だったのでしょう。
蚕起食桑の意味とは?
そもそも、蚕起食桑の意味とは何でしょうか?
蚕起食桑は第二十二候でありますが、時期は大体5月21日から25日頃のことをいいます。この時期の養蚕業の方は、休む暇がないほど忙しい時期。初夏になったこの時期には、卵からかえった蚕が3週間をかけ繭玉を作りますが、朝起きると桑の葉をたくさん食べるのです。もともと野生にはいないので、外にいる蚕を見て人々がその風景を七十二候に入れたということは、まずないでしょう。
つまりこの蚕の言葉を使うと決めたということは、それだけ七十二候を作る時に養蚕業が世間的に重要なものであったということを物語っています。
初夏に青々と茂る桑の葉は、蚕の食事。
朝起きて蚕が桑の葉を食べる時に出る葉の音は、サワサワという風に聞こえ、まるで小雨がその場に降っているような独特な音だといいます。
この時期の養蚕業の人たちの生活は当時の日本の季節の象徴であり、おそらくこの蚕たちが桑の葉を食べる音が聞こえると、「あ初夏だな」という風に感じる人が多かったのかもしれません。これは日本が着物を伝統的な衣装としていた時代だからこそのことでもあり、絹で作られた着物や帯はその当時とても高価なものだったのです。
そのような時代的背景があったからこそ、蚕というものに注目し、言葉に出して表現したのでしょう。
七十二候は短い単語で季節感を表すことを主としていますが、それと同時に当時の日本の文化や生活感をもその言葉の中に含んでいるといっても過言ではありません。
蚕起食桑の手紙での使い方は?
手紙を書くことから段々と遠ざかる現代。意識をしていない間に誰かのために文章を考えて送るということも減ってきてしまいました。コミュニケーションをとるのであれば、携帯電話やパソコンで十分でもあります。
ただそのようなツールだと、簡易的な文章になりやすく、かしこまった文章を作成するというまでに至らないのではないでしょうか。もちろん友人たちとの気軽な会話は楽しいものですが、もしも七十二候などを知っていると、いざという時にとても役に立ちます。
七十二候はその季節を的確に、しかも端的に表現しているもの。
俳句は季語を入れるものとして知られているように、実は手紙でも冒頭の挨拶文に季語を挿入することで奥行きのある世界観の文章を作ることができるのです。それでけではなく、目上の方に出す場合はとても教養があるという、良い印象がつくかもしれません。
こちらでは、5月の終わりに手紙を書く際の、七十二候の使い方についてご紹介しましょう。もちろんこの5月の21日から25日の期間で使いたい季語は、第二十二候の蚕起食桑です。ただ蚕起食桑の使い方と言っても、難しいですよね。もしも文章の作り方がわからない場合は、あまり小難しく考えず、一番最初に使うのがおすすめ。
例えば、蚕起食桑、いよいよ蚕が起きて桑の葉を食べる初夏がやってきました。などとするのはいかがでしょうか。その際のポイントですが、蚕起食桑の次に句読点で一度文章をきるのが良いですね。その後に季節感を表現する文章で繋げたり、またはこの七十二候の言葉を説明するなどが使い方としては定番です。
後に続く文章は、先方の調子だったり、ご家族の現在の様子などを伺うとスムーズな文章を作り上げることができます。この手紙の使い方は蚕起食桑だけ限らず、基本的にはどの七十二候を手紙で挿入する時も、使い方は変わりません。
蚕起食桑の時期は、他の言葉でも表現できる?
七十二候の第二十二候では、蚕を中心とした蚕起食桑という言葉を作り出しました。
ですが実は他にも蚕にまつわる、この時期の言葉があります。それは木の葉採り月という名です。木の葉採り月とは、蚕が食べるための桑の葉のことをいいます。この時期に桑の葉は青く茂り、それと同時に蚕がその葉を食べて絹糸を生み出すのでそのようにも呼ばれているのですね。木の葉とだけ表現されていますが、この木の葉は「桑の葉」のことだと覚えておきましょう。
またそれ以外にこの季節を表現する言葉として、田毎の月があります。
田毎の月とは長野県の姨捨でできた表現ですが、古来から月が綺麗に見える場所として有名だった姨捨には、田園開発されたために棚田が多くありました。棚田とは段々となっている地形を利用し、作られた田んぼのことをいいます。田んぼには水が張られていますので、夜空の月がいくつもの田に映り込んでいくのです。その美しい景色を、田毎の月といいます。
田んぼの水面に光り輝く月は、幻想的でとても魅惑的です。その月を眺めて、人々はセンチメンタルな気分に浸ったのかもしれません。このように同じ季節でも、様々な特徴をピックアップし、人は表現してきたのですね。
まとめ
こちらでは蚕起食桑という、七十二候の中の第二十二候についてまとめてきました。
昔の日本では地方などの主要産業としても発展してきた、養蚕業。その養蚕業が七十二項を作った当初、おそらく日本の5月最後を飾る印象的な事柄だったのでしょう。
人が聞く音や見る風景、また当時の日本の文化的な出来事や社会情勢などを見事に表現した数々の季語は、匠の技といっても過言ではありません。自分だけでは気が付かない日本の長所が、七十二候により気が付かされることもあるので、ぜひ興味のある方はこの機会に七十二候の奥深さを知ってみるのも良いかもしれません。