毎日、決まりきった面白くない日が続いている、とうんざりしている人はいませんか。
今日も明日も仕事や家事、育児に介護が続く人は多いはずです。
何か心が浮き立つような、よいことがないかと待ち望んでいる人もいることでしょう。
このよいこと、特別なことを昔の人は「ハレ」と呼びました。
今でも晴れがましい席だとか、晴れの日の装いなどと、耳にする機会がありますね。
それではつまらなくて苦労が多い日常のことは何というかご存知ですか?これは「ケ」といいます。
「ハレとケ」、今回はこの意味について、そしてこの言葉が今私たちの生活でどんな変化をして、私たちにどんな影響を与えているのかを解説して行きます。
どちらが主役?「ハレ」と「ケ」の意味!
ハレとは非日常のことを意味します。
結婚式やお祭りなどは、毎日のことではありません。
昔の日本では、ハレの日には日常とは違った食事や飲み物を用意して、みなで祝いました。
それが赤飯や尾頭付きの魚、酒などです。
このとき、食器も日常のものとは違う、ハレの日専用のものを使いました。
ケは日常のことを意味します。
明治までは晴れ着に対する言葉として、普段着る服を褻着(けぎ)といいました。
ハレとケは、正反対の言葉ですが、セットで使うことで日本人の生活そのものを表す言葉になっています。
ところで葬式はハレとケ、どちらでしょうか。
葬式は非日常です。
食べ物も普段とは違うし、葬式をすれば客に酒を出します。
神道で死は穢(ケガレ)として、葬式の後は塩で清めます。
これは結婚式や祭りとは明らかに違う点です。
ここでハレとケにもう一つ、ケガレが登場してきました。
病気や死は、毎日の生活に支障をきたすことがあります。
ケが上手く行かなくなることを、昔の人はケが枯れる、ケガレと呼び、恐れました。
現在でも日常生活が上手くいかなくなるのは、困ります。
ケガレは何とか解消しなくてはなりません。
そこでみそぎや祓いのために祭りを行いました。
つまりケが続き、枯れてくると祭りを行い(つまりハレの日を設けて)、またケが続くようにしたのです。
ハレとケではハレが主役なのではありません。
日常生活を脅かすケガレが起こったときに、これからもケが上手く続いていくようにと、ハレの日を登場させるのです。
ケのためのハレといってもよいくらいでしたが、肝心のケという言葉は、今はすっかり聞かなくなってしまいました。
ケはどこへ行ってしまったのでしょうか。
危険!日常生活に「ハレ」だけが残る?
かつてはハレの日しか口にできなかった赤飯や尾頭付きの魚、酒は今や普通の日の食卓に上るものになりました。
それどころかかつては、海のない場所では口にできなかった新鮮な刺し身や、外国の料理を普段食べるのが当たり前になってしまいました。
今や毎日がハレの日になってしまったのです。
ハレとケという考え方を最初に明らかにしたのは、民俗学者の柳田國男ですが、彼はハレとケが曖昧になることが近代化の特徴だといっています。
毎日ごちそうが食べられて、毎日晴れがましい思いができれば、その方がよいのではないか、誰もがそう考えて、毎日がハレの日になるように働いて、近代化された今の日本という国ができたのかもしれませんね。
毎日がハレの日になればよい、と考えていたから、ケのことは忘れてしまったのか、できれば隠しておきたくなったのかもしれません。
ハレという言葉は残りました。
ケガレもぎりぎりで残っていますが、本当はケが大切であることを、みなが忘れてしまったのではないでしょうか。
ケガレは残っていますが、今のままでは危ないのではないでしょうか。
日本人は死(死へと続く老化や病気も)を徹底的に隠そうとしています。
死は病院のベッドの上で迎えるものになっています。
葬式も自分の家でやる人はほとんどいないでしょう。
死に触れたことがない人がドンドン増えて、このまま行くとケガレに免疫がない人だらけになってしまい、実際にケガレに出会ったときにはどうしたらよいのか、途方に暮れそうです。
ハレの日だけが残ったとき、人間はどうなるのでしょう。
本当は単調な日常生活が、人間を支えているはずです。
結婚式や祭りが毎日だったら、どう感じるでしょうか。
日常生活は滞り、誰もがとても疲れてしまうに違いありません。
今ならまだ間に合います。
ケの大切さを思い出してみませんか?
自分で作る!「ハレ」と「ケ」のサイクル
ハレの日だけ、ケの日だけと切り離して考えることはもう止めにしましょう。
ハレとケはそれで1セットなのです。
ハレとケのサイクルを取り戻すことで、私たちは日常生活を上手く送ることができるようになるでしょう。
それには、生活にメリハリを付けることが大切です。
祭りのときには昔ながらの赤飯などを用意して、普段の食卓とは差を付けます。
同時に毎日祭りの日のような食事を用意するのは止めるのです。
家にお年寄りがいるなら、祭りのときにはどんなものを用意するのかを聞いておきましょう。
伝統を子どもたちに伝えるのは大切なことですし、ハレの日をともに乗り越えることで、家族の結束はより一層固くなるでしょう。
また昔は、晴れ着、他所行きなどのように着るものでハレとケの区別を付けました。
いつもの体に馴染んだ普段着には、何ものにも代えがたいよさがありますが、改まった席に臨むときは、それなりの服装をしてみましょう。
きっと心まで改まるのを実感できるでしょう。
例えば子どもの生まれて初めてのお宮参り
では、初着や産着と呼ばれる着物を、生まれて間もない子どもにかけて臨みます。
七五三のときにも同じ初着や産着を使い、改まった気持ちに加えて、子どもの成長を実感します。
ハレとケを考えるとき、服装の効果は、実は私たちが考えている以上のものなのです。
こうして意識して生活のメリハリを付けることで、ハレの日を心待ちにするようになるでしょう。
ハレの日を楽しみに日常生活(ケ)を送ることができます。
自分のための「ハレ」の日だから、自分本位で構わない!
生活にメリハリを付けることは大切ですが、全てを昔のやり方に戻すのは無理があります。
お正月におせち料理を全部手作りしても、今の生活をしている家族たちは3日もしないうちに飽きて別のものを要求することでしょう。
だからどうか自分に合ったメリハリの付け方を探してください。
そして昔の知恵で利用できるものがあれば、ドンドン利用してください。
例えば、どうしてお正月の前に大掃除をするのか、意味を考えてみたことがありますか?寒いときにわざわざ窓を拭いて、風邪をひく原因を作らなくてもよいではないかと感じますよね。
これはお正月にやって来る、歳神様をお迎えするためにやっているのです。
徹底的に窓拭きをして疲れ果てる必要はありません。
自分が清々しく感じられるようにすればよいのです。
神様へのおもてなしとしてやっている掃除で、疲れ果ててしまってはおもてなしになりません。
大掃除は絶対にしない、と決めつけるのも後ろめたさを感じる原因になるので、自分が納得できる方法を探して、幸せな生活を送りましょう。
誰かのためのハレの日ではなくて、自分なりのハレの日を用意すればよいのです。
お正月を迎えることで、気持ちがリセットされてまた新たな1年が送れるのは確かですが、人の目や世間一般の常識を気にしすぎると、ハレの日はただの負担になってしまいます。
よいケのためにも、自分なりのハレの日について考えてみてください。
今は女性向けの雑誌などで、やたらと日常生活を丁寧に、などとうたっていますが、あれはみながケの重要性に気がついた証拠なのかもしれません。
「ケガレ」だけの人生はない!必要以上に怖れないで!
毎日の生活を送っていると、どうしても避けられないのがケガレでしょう。
病気や死はないほうが幸せだというのが、一般常識です。
それは本当ですが、私たちは完全に病気や死から逃げることはできません。
我が家はどんなにさかのぼっても1度も葬式を出したことがない、という家は多分日本に1件もありません。
ハレとケの生活を送っているうちに、どうしてもケガレが出現するのだということを覚えておいても損はありません。
でもその後にハレの日が来ることで、また落ち着いたケの日々を送ることができます。
長い目で見れば、ハレだけがやって来ることも、ケガレだけがやって来ることもありません。
それがわかっていると、いたずらにケガレだけに気持ちを奪われて、自分だけが不幸なのだと思い込むことはなくなるでしょう。
まとめ
今回は「ハレとケ」の本来の意味と、現在の生活では、ハレとケがどのように変化しているのかについて解説しました。
ハレだけでも、ケだけでも人間の生活は上手く行かないことがわかりました。
ハレもケも、どちらも私たちのためには必要なのです。
またケを脅かすケガレについても解説しました。
いたずらにケガレを怖れずに、隠さずに生活することの大切さがわかっていただけたら幸いです。
日本人がずっと大切にしてきた「ハレとケ」の考え方は、これからも私たちの生活を助けてくれることでしょう。
ぜひ、自分なりのハレとケを見つけて、心穏やかな生活を送ってくださいね。