「芹乃栄」、これは何のことなのかと思う人も多いでしょう。
芹は野菜のセリです。
鍋に入っているのを見たことがありますね。
セリが栄える、つまり盛んに茂っている様子が「芹乃栄」ですが、 これは二十四節気七十二候に記されている言葉です。
セリが盛んに茂っている様子には、一体どんな意味があるというのでしょうか。
今回は芹乃栄の意味、読み方、使い方について解説します。
「芹乃栄」の読み方と意味!芹が盛んに生える時期とは
芹乃栄、これは「せりすなわちさかう」と読みます。
これは短文になっていますが、季節の特徴を説明するための言葉で、現在の暦では1月6日頃から9日頃までを指しています。
一年の中で寒さが最も厳しくなる季節の始まりに「小寒」という日があります。
毎年1月6日頃から19日頃までの期間も小寒と呼んでいますが、この最初の5日間の特徴を説明するのが 芹乃栄ということになります。
この時期になると芹が盛んに生えてきて茂ると説明しているのですが、 これを二十四節気、 七十二候といいます。
一年には四季があります。
その四季を更に6つずつに分割したのが、二十四節気です。
これは古代中国で作られ、それぞれに季節を表す名前が付けられています。
昔は農業や漁業をする場合に、季節の変化を自分で読み取ることが必要でしたから、 二十四節気は中国だけでなく日本でも盛んに利用されていたのです。
その24に分割したものを、更に3つの期間に分割したものを七十二候といいます。
七十二候は、季節ごとの動物や植物の動きを説明する短文なので、より一層細かな季節の変化を知ることができました。
芹はなぜ七十二候に登場したのか?日本人と芹の関係とは
二十四節気は中国から日本に入ってきましたが、芹乃栄は日本で独自に作られたものです。
芹は数少ない日本原産の野菜なので、日本の季節を知らせるものとしては最適だったのでしょう。
また芹は古事記や日本書紀にも出て来る野菜で、日本人が春を知らせる野菜として楽しみにしていた様子がわかります。
正月も終わりに近付いた頃の七草粥に入っているのは、 もうお馴染みですね。
聖徳太子の4人の后のうちの一人、膳大郎女(かしわでのおおいらつめ)は 芹を摘んでいるときに見初められたそうですし、万葉集にも芹摘みをしている人の和歌が載っています。
芹は春を告げる貴重な野菜だったため、大切な人への贈り物としても使われたようです。
栄養的にもβカロテンやビタミンB2・C、カルシウム、鉄分などを豊富に含み、胃や肝機能を整える効果があります。コレステロールを排出する働きもあるので、正月に食べ過ぎた後の七草粥には最適な野菜です。
冬でも野菜が豊富に食べられる現代と違って、かつての日本では芹は貴重な栄養源だったことが想像できます。
現在でも芹は鍋物に付き物の野菜ですが、普通の葉物野菜と違って根まで食べられます。
秋田の名物きりたんぽ鍋にも芹は欠かせませんが、地元の人たちは、芹は根が美味しいといっています。
昔から芹は根白草と呼ばれていたそうですから、きっと昔の人たちも葉だけではなく、根まで味わったことでしょう。
芹という名前は、まるで競い合うように次々と生えてくることから付いたそうです。
競い合うことを競り合う(せりあう)といいますから、この様子を見た昔の人はきっと冬の最中に 植物の生命力を感じ、来るべき春を想像したことでしょう。
芹が生える場所は田のあぜ道などの湿った場所でした。
米作りが重要だった昔の日本人にとって、 芹は冬でも食べられる大切な野菜であるとともに、親しみ深い野草だったのかも知れません。
だから、春の七草をそらんじるときも、最初に来るのは「芹」なのでしょう。
七十二候に芹が取り入れられたのは、日本人にとっては当然のことだったのです。
野菜として優れていた芹!ずっと日本人に愛されてきた芹をこれからも食べたい!
現在でも芹は鍋物に付き物の野菜ですが、普通の葉物野菜と違って根まで食べられます。
秋田の名物きりたんぽ鍋にも芹は欠かせませんが、地元の人たちは、芹は根が美味しいといっています。
昔から芹は根白草と呼ばれていたそうですから、きっと昔の人たちも葉だけではなく、根まで味わったことでしょう。
栄養的にも芹はβカロテンやビタミンB2・C、カルシウム、鉄分などを豊富に含み、胃や肝機能を整える効果があります。
コレステロールを排出する働きもあるので、正月に食べ過ぎた後の七草粥には最適な野菜です。
冬でも野菜が豊富に食べられる現代と違って、かつての日本では芹は貴重な栄養源だったのです。
芹という名前は、まるで競い合うように次々と生えてくることから付いたそうです。
競い合うことを競り合う(せりあう)といいますから、この様子を見た昔の人はきっと冬の最中に 植物の生命力を感じ、来るべき春を想像しながら芹を食したに違いありません。
「芹乃栄」に使い方はあるの?何の役に立つのか
二十四節気七十二候に、使い方はあるのでしょうか。
季節の微妙な変化をいち早く察知することで、私たちの生活に何かメリットはあるのでしょうか。
農業や漁業など、屋外で作業する人には二十四節気七十二候はそれなりに役に立つかも知れません。
それでも現在は天気予報が発達して、自分の住んでいる地域の詳しい予報をすぐに知ることができる時代です。
二十四節気七十二候は俳句の季語とも深く結び付いているので、 俳句を嗜む人には興味深いものでしょう。
でも、みなが俳句を嗜むわけではありません。
それでも二十四節気七十二候は、若い人を中心に今人気が出ているといいます。
書籍だけではなく、スマホのアプリもあるのでいかに興味を持たれているかがわかります。
例えば七十二候の「桃始笑(ももはじめてさく)」などの表現は、若い人にとっては新鮮に映るようです。
桃の花の蕾がほころぶ様子を笑うと表現することは、知っていると役に立つというほどではありませんが、 知っていれば心が豊かになるような気がしますし、昔の人の表現の力に感心させられます。
何も考えていないと、ただひたすらに走っている状態になってしまうのが、現代の生活です。
二十四節気七十二候にあることを、いちいち心に置いて外の世界を眺めることができれば、 その間は少しだけ立ち止まって休むことができるのではないでしょうか。
1月6日頃の「小寒」は、ちょうど年末年始の休暇も残り少なくなって来る頃です。
忙しい日常が始まるのを憂鬱な気分で待っている人もいるでしょうが、 そんなときに「芹乃栄」を思い出してください。
寒さが厳しく街から緑が失われたように思える小寒の季節に、青々と茂る芹を思い出すだけでも心に潤いが戻ってくるような気がするのではないでしょうか。
そして七草粥を食べて、自分をいたわろうと思えるでしょう。
こんな使い方なら、屋外の仕事をしていなくても、俳句を嗜まなくてもできるでしょう。
毎日の生活に句読点を付けるために使って、心と体に疲れをためないようにするのが、二十四節気七十二候の賢い使い方です。
季節の変化だけではない!二十四節気七十二候が私たちに教えてくれること
小寒の最初の候は芹乃栄ですが、その次は水泉動(しむずあたたかをふくむ)といいます。
水泉とは湧き水によって作られた泉のことですが、地中で凍っていた泉も解けて動き出すという意味です。
地上は冬の最中でも、春への準備はもう始まっているというわけです。
よく人生を四季に例えることがありますが、そうすると冬は人生の終盤だと思ってしまいます。
周りを見ても青々と茂っていた葉が秋に色付いていたかと思うと、 冬にはみな落ちてしまい街には色彩が乏しくなります。
確かに目に見える景色は、寂しいものかも知れませんが、 季節はそのまま止まっているわけではありません。
冬は決して止まっているわけではなく、実は忙しく春への準備をしていることを教えてくれるのが、 二十四節気七十二候です。
私たちはつい、目の前のことしか目に入らなくなるので、 一つの季節がずっと続くように考えてしまいます。
毎年夏には冬の寒さを、冬には夏の暑さを懐かしむのなどはそのよい例です。
目の前のことに囚われてしまったときに、二十四節気七十二候を思えば、 我に返って物事を俯瞰して眺めることができるようになるかも知れません。
二十四節気七十二候はあくまでも自然の移り変わりを教えてくれているのですが、 よいことも悪いことも、一瞬も変わらないことはないことを私たちに気付かせてくれます。
考えてみれば私たち人間も自然の一部ですから、 二十四節気七十二候に教わることが多いのは当然のことかも知れません。
まとめ
今回は「芹乃栄」について意味、読み方、使い方について解説しました。
芹乃栄は二十四節気七十二候の小寒の最初の候で、 1月6日頃から9日頃の自然の移り変わりを短文で表したものでした。
この時期に芹がよく茂ることを表していますが、芹も日本人とは馴染み深い野菜でした。
1月7日の七草粥で食べる習慣は、体をいたわるためにも続けて行きたいものですね。
芹乃栄が春を連想させるように、七十二候は次の季節への準備を表しているものが多くあります。
二十四節気七十二候に親しむことで、自然の変化を敏感に感じ取って、生活の句読点にするとともに、よいときも悪いときも決して物事は止まっていないのだと理解しましょう。
自然の変化を教えてくれる二十四節気七十二候ですが、心の持ちようも教えてくれるようです。
中国から入ってきて、日本で長い間大切にされてきた二十四節気七十二候をこれからも 大切にして次の世代に引き継いでいけるとよいですね。