葬儀に参列をすると帰りがけに渡される香典返しの中に、「お清めの塩」が入っていることがあります。
一般的にお清めの塩のことを「お清め」と呼ぶ方もいますが、実は葬儀の際のお清めの意味とは葬儀の後の会食のことを指します。
こちらでは意外と知られていない、「お清め」や「お清めの塩」について意味やマナーについてご説明します。
概要
葬儀関係の用語で知られている「お清め」という言葉は、関東を中心として主に「会食」のことをいいます。
通夜の後に案内されて食事をすることを「お清め」という場合もありますし、回忌法要などの後に食事をする場をいうこともあります。
地域や家庭により「お清め」の意味は違いますが、一般的に慣習として残されているところは共通しています。
また葬儀後に渡される返礼の中に、「お清めの塩」が入っていることもあります。
このお清めの塩の意味や、使い方を知らない方もいるはずです。
ただしお清めの塩は、宗派により行わないという場合もあるのでこの限りではありません。
お清めが会食を指す理由を解説
通夜や葬儀後に遺族の方に振舞われる食事のことを、「お清め」といいます。
葬儀後に食事をすることには、きちんと意味があります。
まず故人と最後の時間を過ごすという意味合いです。
この「お清めの」意味には、主に2つの意味があるといわれています。
火葬を控えた故人といる時間はもうまもなく終わりが近づいてしまいますし、通夜にしか参列できない方はこの日が最後になってしまいます。
そこで食事を一緒にとることで、故人の知り合いたちと同じ悲しみや思い出を共有し過ごすという時間を作ったのです。
もう1つの意味は、参列者及び僧侶へのお礼の気持ちです。
それぞれ生活があり忙しい中で、故人のために葬儀に参列をしてくれたことへの感謝の気持ちを遺族が表現しています。
最近は葬儀の在り方自体が変わり多様化しているので、簡易的になっている場合も増えています。
例えば気軽に食べることができるものなどを、「つまむ」程度に出すという方法もお清めの1つなのです。
内容違えど遺族が参列者や故人のことを思って用意する食事が、「お清め」ということになるのです。
お清めの塩について解説
葬儀に参列すると小分けにされた「お清めの塩」を貰うことが多いですが、実はもともとお清めの塩は仏教オリジナルのものではありません。
昔の日本では自然崇拝をする人が多く、山や川、先祖の霊などといった身近にあるものに「神」が宿り守ってくれるという発想が根付いていました。
そこから日本の神話が生まれ、今でも伝わる古来の伝説が生まれたとも言われています。
そして段々と「神道」が確立され、日本人は神道の理念と共に生きていく時代を迎えます。
飛鳥・奈良時代には遣唐使などが渡来したことで、段々と仏教や儒教の考えが広まり、日本人は仏教を崇拝する人も増えてきました。
ただし仏教が広まっても根付いた自然崇拝や神道が完全に消滅したということではなく、何気ない日常にその思想が現れることもあったのです。
神道を信じていた古来の日本では、やがて「訪れる死」は「穢れ」であると思われるようになり、身の回りから払う必要があるとされます。
神道の教えの一環として葬儀後には塩が混じった海に入り「体を清める」ということをしてきました。
その名残が現在でも残り、「お清めの塩」になったとされています。
お清めの塩のマナー
お清めの塩は、自宅からただ相手にまけば良いと思われている方もいますが、マナーがあります。
しっかりしっておいた方が、大人として恥をかきません。
- まず手を洗い自分で塩をかけるか、自宅にいる方に塩をまいてもらます。(この時には必ず敷居をまたぐ前の玄関で行うことがポイントです。)
- 胸が最初、次が背中で、最後が足元の順番です。(玄関からおもむろに塩を投げるのではなく、順番通りに投げていきます。最後に塩を足で踏むことを忘れない様にします。)