追善供養と聞くと難しい仏教用語のイメージですが、「法事」と聞くと大勢の方に馴染みがあります。
追善供養と法事は必ずしもイコールではありませんが、どちらも故人を遺族が思う気持ちであることは確かです。
追善供養をすることは遺族にとっても重要なことであり、気持ちを落ち着かせる効果もあります。
そこでこちらでは追善供養と法事の違いに触れつつ、共通点なども含めてご紹介していきます。
概要
追善供養をすることは、遺族が故人の冥福を祈るために行います。
簡単にいうと文字通り「故人が亡き後も善い行いをする」ことを指し、これは故人のために祈ることで遺族が善い行いをするという意味になります。
このことを仏教用語で「徳を積む」といい、遺族が迎えるだろうこの先の死後の世界をできるだけ良いものにするという考え方です。
とはいえ、追善供養は当然故人のためであります。故人は死んだ後にも7の数字の倍数の日に「裁判」があり、生前の生活態度や行いにより六道の中で向かう世界が違います。
四十九日法要で決まった行き先ではありますが、向かった世界に納得できないこともあります。
そこで追善供養をすることで、故人の魂を他の世界に移すのです。追善供養は、魂の救済活動ともいえます。
曖昧な追善供養と法事の違いを徹底解説
追善供養と法事の違いは、行為の違いがあげられます。
基本的に法事とは1周忌、3回忌など年忌法要などの決まっている供養行事を指し、菩提寺にお願いをして故人のためにお経をあげてもらい供養をします。
また正確には法事は法要後に親族などで会席をすることをいい、食事などをしない場合は「法要」といいます。
追善供養は法要で故人の冥福を祈ることはもちろんですが、日常で墓参りや仏壇に手を合わせる、また線香をあげる、お経をあげるなども追善供養です。
法要の際だけではなく、僧侶がいない状態でも毎日できることをするのも追善供養なのです。
仏教で重要視する六道の世界を解説
法要を含め追善供養をする意味は、四十九日までは死後の魂が六道の中で少しでも良い世界に行けるようにと願います。その後は今いる世界より、より良い世界に行くことができるように祈ります。
仏教では魂が裁判にかけられ、六道のどこかに行くと信じられています。
六道とは以下の通りです。
- 天道…苦しみが少なく空が飛べて楽しみが多い世界
- 人道…現在の人間界のような世界
- 修羅同…自発的に喧嘩をする世界
- 畜生道…本能で動く理性の無い世界
- 餓鬼道…食べ物に困り常に満たされずイライラしている世界
- 地獄道…悪いことをした人がいく世界
このように考えると「天道」が一番良い世界だと思われがちですが、実は天道には死の恐ろしい体験があります。
つまり完全な天国ではないのです。仏教はもともと浄土という世界に旅立つことが最終目標なので、六道で徳を積み、悟りを開いて「四聖」という浄土をはじめとした世界へ行けるかを教えているのです。
追善供養のカギとなる「日向」
仏教用語の中に「日向」という言葉があります。
これが追善供養の意味にも関係しているのですが、「日向」とは「因果方法」に似ています。善行や自分に分けられるものは他人へ分ければ、最終的に自分に返ってくるというものです。
普段は悪いことをすると使われる用語ですが、良いことにも使います。
意地悪をすると意地悪が返ってくる、人に嘘をつくと自分の大きな嘘をつかれるなどはまさに因果応報です。
この考え方により追善供養をすることは、遺族の徳になると信じられています。