あまり仏教に興味が無い、または日常的に仏教を重んじていない方は何となく「南無阿弥陀仏」という言葉がお経や念仏だという知識はあっても、どの宗派でどんな時に称えるものなか知らない方も多いはずです。
そこでこちらでは、実際に南無阿弥陀仏はどのような時に使用するのか、意味合いなども含めて解説していきます。
概要
南無阿弥陀仏は仏教の教義による念仏で、主に浄土系の宗派や密教の一部などで称えられています。
文字の中にある通り「阿弥陀」を信じている人々の念仏で、もともとの仏陀の教えをもとにした言葉になります。
これは「名号」と呼ばれ、阿弥陀仏は世界の人々を全て救済したいという慈悲から、自ら徳を積みそれらの願いを全て込めた6語を作り出したとされているのです。
この名号と信心や念仏の3つが揃うことで、幸せになれると信じたのです。
南無阿弥陀仏を唱える宗派は限定されている!
あまり知識がないと、「南無阿弥陀仏」はどの宗派でもお経として称えられていると思われています。
南無阿弥陀仏を念仏として称える宗派は、以下の通りです。
- 浄土宗
- 浄土真宗
- 天台宗
- 融通念仏宗
- 時宗
などです。
これ以外に称えられている念仏は、臨済宗や曹洞宗の「南無釈迦無尼仏」や、真言宗の「南無大師遍照金剛」、日蓮宗の「南無妙法蓮華経」、律宗「南無毘盧舎那仏」などがあげられます。
「南無阿弥陀仏」を称える宗派は、おもに鎌倉で作りあげられた「新鎌倉仏教」であることが特徴です。
「南無阿弥陀仏」の意味を解説
実際に南無阿弥陀仏を称えることで、どのような意味があるのかを説明していきます。
もともと南無阿弥陀仏を称えるには、自力本願と他力本願があるとされています。
現代では他力本願という言葉がありますが、意味合いとしては「人任せ」として使われることが多いはずです。
実は他力とは「誰か」という他人の意味ではなく、阿弥陀仏のことを指します。
阿弥陀仏が自分の暗い心を晴らしてくれる、という意味合いを含んでいます。
この状態で称える「南無阿弥陀仏」は、自分たちの心を救ってくれた阿弥陀仏に対する「感謝」の気持ちです。
一方で自力本願は、「南無阿弥陀仏」と称えることで自分の暗い心を明るい方向に持ち直させてくれる、自分の口で称えることで葬儀などの際に気持ちを明るくする、という意味で使います。
この時の暗い心は仏教用語で「無明の闇」といい、その闇を晴らせるかどうかは「南無阿弥陀仏」を称えることで変わるとされているのです。
浄土宗の葬儀での「南無阿弥陀仏」の意味
浄土宗の葬儀では「南無阿弥陀仏」という念仏を称えることは、故人に対する願いのためでもあります。
これは極楽浄土にいくためでもあり、「南無阿弥陀仏」を10回称えます。
この儀式を「十念」といい、そのまま焼香が終わると「念仏一会」といって会場で祈ることで故人を偲びます。