施餓鬼とは「おせがき」とも呼ばれている、有名なお盆行事の1つです。
お盆にお墓参りに行くと、お堂で行われている法要を目にしたことがあるかもしれません。
これは故人法要ではなく、あの世の六道の中で「飢餓道」に行った方に対する法要で、救済を願ったり供物を供えます。
とはいっても一体何のために施餓鬼を行い、誰のために救済を願うのでしょうか。
こちらではお盆の風物詩でもある施餓鬼について、意味などをまとめていきます。
概要
施餓鬼とはお盆に行われるだけではく、一年を通して彼岸などにも行われます。
六道で餓鬼道に落ちてしまった魂は、あの世で食べることも飲むこともできず、飢餓に苦しむと言われています。
その魂はお盆になると戻ってくるといわれているので、寺院などでは餓鬼道から戻って来た魂を救済するために供え物をして苦しみから救おうとします。
それが施餓鬼です。
施餓鬼は仏教の教えがつくりだしたものですが、宗派によって考え方が違うとされています。
施餓鬼は何のためにするの?意味を解説
施餓鬼は六道の餓鬼道に落ちた魂を救うためではありますが、お経を唱えることで自らの徳を積むことを目的としています。
仏教では徳を積むことが、自らの死後の世界を良いものにされると信じられているのです。
仏教的に故人の魂はあの世で六道に分かれるとされていて、その中の1つが餓鬼道です。
餓鬼道は生前の行いで欲張ったり、卑しい行いをした人がいく世界だと言われています。
本来はお盆だけではなくお彼岸などでも施餓鬼は行われていますが、一般的にお盆に行うものだという認識が強いです。
地域によっては彼岸の際にも餓鬼道に落ちた魂を救済する、という意味があったので通年を通して行われていました。
なぜお盆に施餓鬼が行われたかというと、お盆の時期には地獄の窯の蓋があき、餓鬼道の魂たちもこの世に戻ってきてしまうという考え方があったからです。
宗派による施餓鬼の考え方を解説
寺院とはいえ、どの宗派でも施餓鬼を同じ意味合いとして、とらえているわけではありません。
例えば浄土宗では施餓鬼自体がありません。
これは浄土真宗の思想にもとづくもので、浄土真宗に六道の考え方がないのが由来です。
浄土真宗は昔から民衆の味方でもある宗派と言われ、故人の魂は死んだ後に全員が極楽浄土へ行けるという考え方です。
願わなければ極楽浄土にいけない、徳を積めば極楽浄土にいけるという考えを覆し、死者全員がどんな生前の行いでも餓鬼道に行かないので施餓鬼はないのです。
また曹洞宗では施餓鬼を「施食」といいます。
これは「餓鬼道に落ちた魂を救済してあげる」という、「上の立場から見る解釈」は釈迦の教えと一致しないからという理由です。