「死に水をとる」という言葉を、会社の上司などから聞いたことがある方もいるかもしれません。
この言葉は実際に故人の最期、口に水を含ませるという意味で使われますが、比喩表現としても使われます。
そこでこちらでは「死に水」について、本来の意味やどのような時に使用するのかなどをまとめていきます。
概要
死に水とは故人の最期、または亡くなるまさにその時、口に水を含ませることをいいます。
とはいっても水をコップで飲ませるわけではもちろんなく、脱脂綿や筆のようなものに水を含ませてそっと口をなでる程度です。
現在は葬儀社が全て用意してくれる場合が多いですが、気になる方は尋ねるのがおすすめです。
この死に水は仏教的な儀式の1つであり、経典が由来となっています。
死に水の本来の意味と仏教の関係性について解説
死に水がそもそもなぜ始まったのか、知らない方も多いはずです。
もとは仏教の経典が由来とされていて、「末期の水」として知られています。
釈迦がなくなる寸前に水を欲しがり、口にして最期を迎えたことに由来をするといい、「あの世にいっても喉が渇かない様に」との故人への願いが込められています。
また遺族が故人のために何かをしてあげたいという気持ちを大事にし、後悔させないためのものであるという考え方もあります。
つまり遺族側の気持ちの切り替えの為、思い残すことがないようにしている儀式だともいえます。
それ以外に、古来の日本では死に水を死者に含ませることで、蘇りを信じたとも言われています。
特に昔は医療技術も発展していませんし、民衆が医者に診せるのはお金もかかりました。
そのため迷信や信仰、願いなどが混ざり合い、死に水が出来上がったとも言われているのです。
日常的に使われている「死に水をとる」の意味を解説
死に水を比喩表現として使っている言葉に「死に水をとる」があります。
死者の最期に水を含ませるという意味は、「大切な誰かの最期を看取ってあげる」という意味も含んでいます。
その意味を比喩として使い、「最後まで後輩や友人、部下の面倒をみてあげる」という意味で使うのです。
意訳をすると「思い切りやりなさい」という意味でも使われます。
この表現をする場合は、信頼できる上司や友人が相手に向かって使うことがほとんどです。
「死に水」は今でもやっているの?
死に水について知らない方は、故人が最期を迎える時に水をあたえるという事実に驚いた方もいるはずです。
現代では死後に行うことが多く、横たわっている故人の枕元に配偶者から順番に水を含んだ脱脂綿や筆で口元をなぞっていきます。
さらにだんだんと簡易的になり、水の入ったコップで代用する場合も増えています。