夏のお盆の時期になると、川や海などで光る灯籠を流しているのを見たことがある方も多いはずです。
この一連の行動を「灯籠流し」と言います。
灯籠流しは夕方から火を灯した灯籠を、川に浮かべて流す行事を指します。
その景色はとても幻想的であり、吸い込まれてしまいそうなほどです。
そんな灯籠流しについてこちらでは、始まった由来や歴史などについてまとめていきます。
概要
灯籠流しは川や海に流す灯籠のことを指し、お盆の時期によく見かける行事です。
川に流すことが主なので、川岸が近くにない地域などでは目にしません。
灯籠流しの本来の理由は、水害などで亡くなった方の霊を慰めるためであるといわれていますが、現在では送り火という認識の方が多いです。
地形や地域性が関係しているので、必ずお盆に行うわけでないことを覚えておきます。一番有名なものが長崎県の「精霊流し(しょうろうながし)です。
灯籠は魂を乗せて川を流れ、あの世に向かうと信じられています。
長崎県の灯籠流しの歴史を解説
灯籠流しは、もともと長崎県で行われている「精霊流し」が、全国に広がったものだといわれています。
精霊流しはお盆の時期に行われる慣習ですが、実は毎年精霊流しをするわけではありません。
基本的には故人が亡くなって初めてのお盆、つまり新盆に行うのが一般的です。
故人の霊がお盆に戻って来た後、あの世に戻すために灯籠流しをして魂を返すという発想からです。
精霊船というものを作り、その中に供物を乗せ先祖や故人の霊と共に流すのです。
精霊流しは有名なお盆行事となっており、爆竹の音が響くことでも知られています。
精霊流しは中国の文化から影響
長崎県の精霊流しがどのようにはじまったのかですが、実は色々な理由があるといわれています。
中でも中国の供養の仕方でもある、「彩舟流し」に影響を受けたとの見方が有力です。
長崎県は江戸時代に唯一中国人との貿易を許されていた場所だったので、多くの中国人が出入りしていました。
自由に貿易をすることになったせいで、金などの価値のあるものが国外に密輸されていることに気が付いた幕府は、唐人屋敷という屋敷を作り厳しく唐人を監視することにしたのです。
唐人屋敷を利用していた中国人が日本で亡くなった、または航海途中に亡くなった場合は魂を故郷に戻すために「彩舟流し」をしたという歴史が残っています。
その文化に影響を受けたと言われているのが、「精霊流し」です。
精霊流しは偶然からできた産物
実は精霊流しはもともと、長崎県に根付いていた文化ではないとされています。
江戸時代にふと男性が供物を藁に包み流したのを見た儒学者が、あまりに霊に対し失礼だと考えたため、小舟に乗せて流しはじめたという説も有力です。
定説はないものの、先祖の霊や故人の霊を慰める、という意味合いとしては人々の考え方はおなじものだといえます。
広島県の灯籠流しの歴史
広島県にはもともと、お盆に灯籠を自宅に飾る文化があります。
この風習のことを「盆灯籠」と呼んでいたのですが、この文化と精霊流しがミックスされて灯籠流しができたと考えられます。始まりは昭和22年頃です。
広島県では昭和20年の空襲を受け、その後戦争で亡くなった方の魂を慰めるために灯籠を流し始めました。
亡くなった方の名前や流す人の名前を書くのが一般的ですが、現在は「平和」という大きなくくりで願いを託し、灯籠を流す方が増えています。